建築家のヤカン

個人的覚え書き。UPは順不同!(汗)(ワタシは建築家でないです。。。)

『映画作家ストローブ=ユイレ/あなたの微笑みはどこに隠れたの?』~夫唱(NonStop)

2010-09-27 | cinema f.d-f
婦不随のふたり。

映画のタイトルには『映画作家ストローブ=ユイレ』とある。その後に『あなたの微笑みはどこに隠れたの?』と続く。
配給側で気分で勝手につけた邦題ではない。フランス語の原題が、そうなっている。
すると、ストローブ=ユイレなる人物の微笑みが、隠れたり隠れなかったりする映画なのではないか?と、このタイトルからは思える。
が、タイトル・ロールたるこの2人、実際にはこの映画に顔が見えない。
「姿」は見える。人物の像は、画面上にしっかりと形を持っている。
が、「顔」に関しては、ほぼ完全に見えない。
ひとつは画面が「顔」に近づかないこと。もうひとつは姿が逆光で撮られていて、首の上に乗った顔の部分も黒く陰になっていて、どんな「顔」をしているのか、まるで読み取れないこと。
「微笑み」がどこかに「隠れる」前に、そもそも「微笑み」の現場たるべき「ストローブ=ユイレ」さんの顔自体が画面に現れないのだ。
タイトルにその名がありながら、当の人物が映画の中にこんなにも実際にはその顔を持たぬ映画など、今回はじめて見た気がする。

代わってこの映画の中にある「顔」は、モノクロの人物の「顔」である。
カラーの姿を持つストローブ=ユイレさんがフランス語をしゃべるのに対して、この顔はイタリア語をしゃべっている。
映画はこちらの「顔」に近づき、こちらの顔を大写しにして見せる。
この「顔」には、見覚えがある。短編集で見た『六つのバガテル』で見たのと、同じ顔。年輩の女性が、若い男性に言う「メロンをお取り」。
なるほど、この後に直接繋がるのが、『六つのバガテル』で幾度も繰り返されるのを見たショットに違いない:男性が丸くて大きなものに手を伸ばしているショット。『六つのバガテル』を見た時には何だかわからなかったが、あれは「メロン」だったのだ。
顔の上に「微笑み」が見えたり見えなかったりするのは、名前を持たないこちらのモノクロ顔達の方である。

カラー人物の男性は、常にしゃべり続けている。
フランス語をしゃべっているが、フランス語が母国語では無さそうな様子がある。ドイツ語の方が、むしろ親しく知る言葉である様なことを言う。
しゃべりの内容は、当地では「ぼやき」と言われるものである。言葉の調子が、すでに見事なまでに「ぼやき」である。
やたら自負が高い。自分達の活動が他の者達のそれとは違っていかに「質が高い」かを、とめどなく言葉にして垂れ流し続ける。
時折、稀に、女性が激しく鋭い「突っ込み」を入れる:「煩いわね、黙っててよ!人が集中している時にっ!」
人のことなどかまわぬ風に見えながら、それでも気にするところはあるのか、言われて男性はしばし素直におとなしくなる。それまでの「演説」とは違って、女性のことを気にしているかの様なことを、遠慮がちに、そっと口にする。

この2人組から、「映画」が生まれるのだという。
今見ているのは、「映画」が生まれる、その現場の光景であるのだという。
男性が、しゃべり止まぬその口でもって圧倒的な自負を持って語るその「映画」。
他の映画(”商業映画”と男性は言う)はすべてクズだとでも言わんばかりにして、絶対的に差別化して語るその映画。
それほどまでに言うその現物を、見てみたいものだと思う。

(DANIELE HUILLET、JEAN-MARIE STRRAUB CINEASTES/OU GIT VOTRE SOURIRE ENFOI?/01/PedroCOSTA/ポルトガル・France)