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仕事に対する心構えと考え方

IT系商社の管理職として後輩に伝えたいことを書き溜めたものを公開しています。

温故知新

2013-11-25 20:18:21 | 日記
前回記事を掲載したのが昨年の9月と、1年以上の時間が空いてしまいました。
この1年で私の仕事や周辺の環境も変化し、1年前には全く想像もできなかったというのが実感です。

今年の新入社員研修をした時に気が付き、研修の中でも話したのですが、私が入社した20数年前当時の部長がちょうど今の私と同じ年齢で、そういった意味では今年の新人と私とちょうど同じだけ
年齢が離れていたということになります。
自分では若いつもりですが、新入社員から見るとえらく年食ったおっさんに見えるんだろうな・・・自分もそうでしたから。

当時はまだ仕事にも昭和の感じが残っており、一方、バブルが崩壊したといいつつもまだその余韻が残っているような時代でした。
当時は新入社員でなんの実績もありませんでしたが、心構えとしては”できないことはない、明日は自分たちが作る”ぐらいのことを思っていたように思います。
今からすると鼻持ちならない若者だったと思いますが、根拠のない自信に基づいたバイタリティーはあったように思えます。

その後バブルの崩壊やITバブル、またITバブルの崩壊、その後もリーマンショックなど目まぐるしく世情は変わりました。不思議なもので、同じように警鐘を鳴らしている人達がいるにも関わらず、その中に入っていると周りが見えなくなるというか、大きな目で見ればモノは変われど同じような過ちを繰り返しているんだな、と振り返ってみれば気が付くことです。

働き方もずいぶん変わったと思います。もちろん、自分も役職を持つようになり、当然仕事のレイヤが変わったのもあるのですが、一つ感じるのは仕事が非常に細分化され、全体が見えにくくなっている気がします。たとえば、インターネットが日本で商用化された90年代の半ばであれば、自分でPCにTCP/IPをインストールし、設定して動かしたため、トラブルシューティングまで自分で行いました。そのため、TCP/IPを理解することができ、そこからネットワーク機器やセキュリティ機器が出てきた際にも本質の理解は早かったと思います。現在はほとんどなんの設定もせずにすぐにPCをインターネットに接続することができ、また、デバイス自体もスマートフォンやタブレットに置き換わりつつあります。
その一方で我々の生活そのものがインターネットなしでは成り立たないほど依存度が高くなり(メールやAmazonでの買い物、Lineが使えなくなっただけでパニックが起こりますよね)、一方インターネットを使うためのテクノロジーはその数が増えるとともに高度化し、細分化されていっています。つまり、自分の知識や携わっている領域は広範囲をカバーしていると思っても実は全体の一部でしかないことは往々にしてあります。また、自分の知識と現実を比較すると現実の方がはるかにスピードが速く変化し、いくら勉強しても知識が追い付かない気がします。情報は氾濫し、スマホなどのデバイスで容易に情報が得られ、情報の需要と供給という観点から考えれば完全に供給過多の状態になっているともいえます。

最近よく考えるのはこのような時代にどのように働くか、ということです。

当然、自分の職務を全うするのがビジネスマンとして当然のことなわけですが、まずは自分の範囲を決めてしまわないことだと思います。先ほどのとおり、自分の知っている範疇は実は細分化されたサイロの中の一つであり、そのサイロの中に留まっていると世の中で起こっている事象に気が付かないばかりでなく、気が付くと大きな流れに飲み込まれている=時代遅れになっていることになりかねません。一見関係なさそうなジャンルの話も興味を持って情報として仕入れる、という姿勢が必要なのではないでしょうか。

また、時々は自分のやっていることを俯瞰して見る必要もあると思います。俯瞰して見る、といってもそんなに簡単なことではないように思えますが、例えば私は、いつも温故知新という言葉を思い出すようにしています。
誤解があるといけないのですが、“前にやってうまくいったから”もしくは“前にやってうまくいかなかったから”といったような短いスパンでモノを見るのではなく、それこそ歴史上の史実や因果律などをたどって照らし合わす、とでもいったらいいでしょうか。

例としてよいかわかりませんが、私の場合、いろいろな問題やトラブルが一気に重なった時は、織田信長が足利義昭、武田信玄、比叡山など周囲を敵で囲まれ、挙句の果てに朝倉を攻めに行ったら浅井長政に裏切られ退路を断たれたという史実を思い出します。
ほうほうの体で逃げ帰った織田信長がとった戦略は“近攻遠交”と“各個撃破”でした。結果、織田信長は危機を脱し、その勢力を広めていったわけです。

この戦略は私が今でも四面楚歌に陥った、と思った時には十分に通用しています。
しかしながら、その史実を知らなければ、実際自分の身に起こっていることが世界で初めて起きたことと感じ、どのように対応していいかわからないとパニックに陥るかもしれません。
先に述べたとおり、直接的に仕事にかかわりがなくても、いろんなことに興味を持ち、知ることがモノの考え方だとその人の行動にまで影響を与えるのだと思います。

昔から読み継がれている書物はよいと思います。
おそらく無数の本が昔から出版されてきていて、その大半は世の中から消え去っていったのでしょうそれ何十年、何百年と読み継がれている書物はおそらく真実ないしそれに近いことが書かれているからなのだと思います。温故知新、先人の知恵をうまく使うことが今の時代を生きていくことなのかもしれませんね。
しかしながら、ハウツー本のようにその知恵はその通りすればすぐに役に立つ、といった性質のものではなく、頭に片隅にあって、自分の理解が進む年齢になって、なおかつそういった場面で思い出して初めて役に立ったと思える、というものなのかもしれません。

守・破・離

2012-09-10 20:20:39 | 日記
最近知った言葉なのですが、“しゅ・は・り“と読むそうです。
日本の武道で稽古など、技芸の上達をする過程とか修行の順序とか言われています。

「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと身につけることをいう。
「破」とは、師に教えられしっかり身につけたことを自らの特性に合うように修行し、自らの境地を見つけることをいう。
「離」とは、それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地をいう。
なのだそうです。

これはビジネスでも同じ事が言えると思います。ビジネスの場合、師というのは上司だけ、というわけではなく、お客様や仕入先、場合によっては優れた戦略を持つ競合など、我々を取り巻く中に師となる対象はたくさんいるでしょう。
マニュアルチックな世の中になってきているせいか、すぐに解答を欲しがる人が多いように見受けられます。”すぐに答えを聞かずにどうしたらいいか考えなさい”というと逆ギレ気味に”あなたはどうしたらいいと思うのですか?!”とどちらが質問をしているのかわからなくなってしまうことがままあります。

モノには順序があり、順序立ててやっていかないと、表面だけの理解となり、本質を理解しないために安易になったり、その時は覚えていてもすぐに忘れ、また同じことを尋ねたりしなければならなくなります。それは自分のモノになっていないからですね。

耳の痛いことや厳しい事であってもやはり聞く耳を持つ必要があるでしょう。それを無視してなにかをしてもそれは所詮“我流”であり、長期的に見れば“邪道”になる要素を含んでいます。
「守」をしっかり押さえた上でのオリジナリティであればよいのですが。

自分の経験が足らないとか新しいジャンルに挑戦しようと思ったら妙なプライドは捨てるべきです。自らがチャレンジを望んだわけではない、ということであっても、仕事として行わなければならない場合、そしてそれが自分の経験や知識では太刀打ちできない、と思った時は謙虚になるべきだと思います。

厳しいことを言われたり、自分の考えを否定されても、自分の人格が否定されたと感じてしまったり、きつい言葉を投げられたからといって拒否反応を示してしまっては、いつまでも「守」も境地には達しないでしょう。
私も若かったころはそうでしたが、往々にして「守」の境地に達するまでは年寄りが自分のやりたいことを邪魔をする、と感じてしまうものです。

しかしながら、話の中には2つの要素があることを理解しておくべきことです。

1.セオリー
  この通りやればそこそこうまくいく、という道筋。もしくは、その通りしないと失敗  するという方法論。これは、真理といっていいものかもしれず、我流でやると痛い目  に合うというありがたい先人が蓄積した知恵。
  簡単な例でいうと、お客さんとの約束時間の5分前には言質に着いていないといけな  いなど。時間にルーズな営業マンは、お客さんに不信感を持たれ、モノを買ってもら  えないよ、というようなこと。この場合、電車が遅れた、などは理由にならず、それ  を見込んだ行動計画を取るのがビジネスマンの常識と考えること。
2.オールドファッション
  文字通り流行遅れ。何年か前には正しかったかもしれないが、時代や市場は変化して  いくので、今や通用しなくなってしまった”旧セオリー”。
  簡単な例でいうと、製品の機能が優れていればモノが売れる、という認識。
  企業が右肩上がりに業績を上げている時期はそれでも売れたのでしょうが、今はどの  企業の予算は厳しいですから、”いいモノ”が売れるわけではなくお客様にとって”  必要なモノ”しか売れないと認識すべきです。

1.は重要ですが、2.は困りますね。誰が困るのでしょう?
言っている人が困った人なのか、それが正しいかどうか判断できない自分が困るのか。

人によっては、自分の経験によって2.ばかりを押し付けてくる人もいるかもしれません。そこで重要になるのが、自分で考える力ですね。
自分で考えず、解答を求めてばかりいると、1,2の区別がつきません。
仮に言われたからやった、と言い訳をしてみたところで、やったのは自分ですから、自分で責任を取らなければなりません。
取捨選択は自分の責任です。選択権はあなたにあるのですから。
だからと言って、1.を否定するとあなたは成功できません。

正しい判断をするためには経験と実績を積むしかなく、それは行動によってのみもたらされるものなのです。場合によっては、特に若い人はよく理解はできないけど、正しそうだからやってみる、という姿勢も大切かもしれません。
ビジネスというものは、考えてなにかを得るというよりは動いてその結果として得るものの方が多いように思えます。

最悪なのは、正しいそうかそうでないか、という判断ではなく、簡単そうだとか難しそうだとか、やりたいとかやりたくない、といったレベルで判断(実は判断ではなく、タダの好き嫌いや面倒くささ)することです。

私は試合や練習でケガをしたことのない格闘家というのを聞いたことがありません。
上司や先輩がやってうまくいくことをあなたがやってうまくいく保障はありません。
しかしながら、チャレンジをしなければ、また、そこで痛い目を見なければ”守”の境地に達することはないでしょう。

会社はそうやってあなたが成長するのを見守るぐらいの余裕はあるはずですよ。
人の話をよく聞き、正しいと思ったことを愚直に実行するところから始めてみてください。

イノベーション

2012-03-19 20:26:30 | 日記
すっかりご無沙汰をしてしまいました。
年末から年始にかけて公私ともにいろいろあり、自分の言動が周囲に与える影響が大きいことに改めて驚かされる思いです。

さて、今回はイノベーションについてです。
イノベーションと聞くと、新しい技術とかいう意味だと捉えていないでしょうか。
私はイノベーションとは、新しい技術はもちろんですが、アイデアなども含まれ、今までの概念を覆して新しい枠組みを作ってしまうことであると思っています。

通常の生活をそれまで通りやっていても、イノベーションは起こらないと思います。
むしろ、仕事であれば自分や会社のやっていることに常に疑問を持つことでイノベーションが起こるのだと思います。ネガティブではなく、”ポジティブ”な疑問です。

“このターゲットは本当に一番製品が販売できるターゲットなのだろうか” 
“手間がえらくかかっているが、本当にこのような手間が必要なのだろうか” このような疑問を持つとともに、自分の意見を言うことができれば、そこからイノベーションが生まれ、よりよい仕事ができるようになります。

”このターゲットは前からやっていて売れているからこれからも売れるだろう”
”これは前任者のころからやっていることなので、継続した方がいい”
これではなにも進歩はありませんね。

今自分がやっていることは次の瞬間古臭いやり方となってしまいます。“過去からこうやっていたから” “考えるのが面倒だから”という考え方では、マーケットからどんどん取り残されていき、そのような考えを持つとやがて競合に食われてしまうでしょう。
そもそもそのような考えはルーチンワークの延長だと思います。
”仕事がつまらない”と言っている人のほとんどはこのルーチンワークに陥っているケースですが、つまらなくしているのは自分ではないですか?イノベーションを忘れ、楽な方に逃げているつもりが、かえって自分をつまらなくしているのです。

自分のやっていることを否定するのはきついことです。
場合によっては周囲から朝礼暮改と言われます。
実際私も周囲から”前はXXXXと言っていたのに、逆のことを言うんですか”と言われ、
”XXXXはいつ言った?”と聞いたら、”2年前です”と言われ、これには開いた口がふさがりませんでした。このケースは朝令暮改ではないと思うので、大してきついとも思いませんでしたが。

ビジネスに安住の地はありません。自分が変わらなくても自分を取り巻く環境や状況は刻々と変わっています。

イノベーションは必然です。

一つだけ気を付けることは、建設的に具体的な代案を持って、しかもそれが今まで以上に効果のあると裏付けと自信があるのであれば、意見をいう、ということです。
単純にやりたくないから、というようなネガティブな気持ちで反対をしたりケチをつけることは絶対にやめてください。必ず、自分なりの建設的な意見を述べるようにしましょう。イノベーションとケチをいっしょくたに考えてはいけません。

深く納得

2011-11-25 19:14:50 | 日記
私の仕事観はここからきているのだ、と深く納得しました。

P・F・ドラッカー 現代の経営より

初期の経済学は、企業人とその行動を、純粋に受動的なものであるとした。
事業における成功とは適応していくこと、すなわち、企業人にはコントロールすることも影響を与える事もできない客観的かつ非人間的な力によって形成される経済において、企業の外部に生じる事象に対し、賢明かつ迅速に適応していくことを意味した。
そのような企業人のあり方は仲買人と呼んでよい。もちろんそのような意味での企業人は、たとえ寄生的な存在ではないにしても、極めて機械的な存在である。単に生産的な用途に資源を向けるだけである。
これに対し、今日の経済学においては、企業人とは、可能な行動の中から一つの行動を合理的に選択するものであるとされている。それは、もはや機械的な存在ではない。彼らの選択は、経済に対し明らかに実質的な影響を与える。
とはいえ、今日の経済学による企業人のコンセプトもまた、いわゆる企業経済学や利益最大化の公理のそこにあるものであって、経済の動きに適応するだけの存在である。適応の仕方について選択の余地はあるものの、依然として受動的、かつ適応的である。基本的にマネジメントのコンセプトではなく、伝統的な投資家と金融資本家のコンセプトである。
確かに経済の動きに対し、迅速かつ知的、合理的に適応することは必要である。しかし、マネジメントの働きは、受動的な反応や適応にとどまらない。マネジメントには新しい経済をつくる責任がある。その経済の中にあって、変化を計画し、その先頭に立ち、担い手となる責任がある。そして企業活動の自由に対する制約を除去する責任がある。
したがって、実現可能なこと、すなわち経済学のいう経済的与件は一方の柱であるにすぎない。実現が望ましいことが、もう一方の柱にある。
人間は、完全に環境を支配する事はできず、可能性の枠からでることもできない。しかし、実現が望ましいものを可能なものとし、続いてそれを実現することはできる。それこそがマネジメントに特有の仕事である。
マネジメントは、単に経済の中に投げ出された一存在ではなく、経済を自らつくるものである。マネジメントは経済環境の主人公として、意識的かつ目的的な行動によってその環境を変えるかぎりにおいて、真にマネジメントをしているといえる。したがって、事業のマネジメントとは目標によるマネジメントである。

課題設定力

2011-11-25 19:06:39 | 日記
2010年以降大きくパラダイムシフトが起きています。よく観察しなくても、大きな音を立ててパラダイムが展開しているのがわかるでしょう。
これは、歴史的に見ても当然のことと納得できます。

たとえば、直近起こったパラダイムシフトとしては1990年代のバブル崩壊後、2000年頭のITバブルと崩壊があります。

この2つの転換期の後、なにが発生したでしょうか。

バブル崩壊後、金融再編が起こり、大手都市銀行が次々と合併されました。
私が就職活動をしていたころには金融は大人気市場でしかも売り手市場だったので、多くの人達が高待遇で入社していました。
言葉は悪いですが、当時銀行は濡れ手に粟のような商売をしており、将来は約束されているように見えていました。
しかしながら、がっちり護送船団を組んでいた銀行に外圧が加わり、今や各社それぞれのサービスを展開し、顧客獲得に必死になっています。以前では考えられないことです。

また、我々が実際に体験したこととしては、身近な例では“成果主義”や“リストラ”が導入され、年功序列や終身雇用といった古きよき日本的経営の根本が覆ってしまいました。
その後、ITバブルが起こり(これは2000年初頭のITバブルではなく、2002年以降に発生したプチ・ITバブル)新興のスタートアップが次々と立ち上がりました。しかしながら、2005年頃には買収もしくは破産という形で多くの会社が消えていってしまいました。そして今IBM、Cisco、HP+MS、オラクルといった4大勢力がIT業界の覇権を争っています。一方、80年代、90年代を風靡した日本のコンピュータメーカは落日のもとにさらされています。経済がグローバル化しているにもかかわらず、ガラパゴス化したのが原因とも考えられます。

自分たちが変わらないでいるつもりでも、社会や市場はどんどん動いていて、後になって“ああ、あの時が転換期だったんだな”と後で気が付くことが多いものです。

このような時代に求められるのは、与えられた問題を解く“課題解決力”ではなく、事象を観察して何が問題なのかを見抜く“課題設定力”です。いくら解決法を知っていても、そもそも新しいパラダイムが作られている最中ですから、今までの常識や知識が役に立たないわけです。何を解くべきかを教えてくれる人は誰もいません。
自分で仮設を立て、試行錯誤を繰り返し、自分の目でものを見て、考えて、決めて、行動するしかないのです。
最初は課題設定で間違うことも多いでしょう。しかし、それを繰り返すことで、社会が求めている新しい価値が見え始め、課題設定の精度やスピードが向上していくはずです。

これからの時代、そのように自ら仕事を作っていかないとどんどん自分の仕事がなくなってしまうような気がします。