ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

「やる気がないなら帰れ」の後に「帰るな」と言われた時のあの不快感、実は名前がついてるんです。

2021-12-30 | 旧記事群

2007年に発表された論文などが取り上げている心理学の話題の1つに『ダブルバインド』というものがある。

ダブルバインドとは複数の相反する命令を同時に受けたと認知すること、もしくは命令そのものを指す。「やる気がないなら帰れ!」と言われて帰るそぶりを見せると「本当に帰るな!」と引き戻される一連のやり取りなどが該当する。

このような主張は、主張する本人の中では整合性が取れているものかもしれないが、主張だけを聞いた人にとっては矛盾したものであり、混乱と誤解を引き起こすものとなる。

「やる気がないなら帰れ」と「帰るな」という言葉だけを聞いた人はそれぞれを独立した命令として解釈するが、「やる気がないなら帰れ」と「帰るな」という命令を両立させることは現実的に不可能であり、何とかやりくりしようと考えても解決せず、ある種の思考停止状態に陥り、対応に失敗してしまうのだ。

失敗した時の被害やストレスは命令に左右されるが、今回の場合は主張した人をさらに怒らせるという形になるだろう。誤解の解消がされないまま叱責が続くことは何の改善にもつながらず、さらに引き起こされた思考停止状態が尾を引く可能性もあるのだ。

 

対策は順序だてて説明することと、真に達成してほしい欲求をきちんと言語化して伝えること

「やる気がないなら帰れ!」と「本当に帰るな!」と叫んだ後に「俺の思っていることを察しろ!」なんていわないこと。

ダブルバインドとは説明を拗らせたことで生じる誤解とも言い換えられる。

主張する側が「やる気がないなら帰れ!」と「本当に帰るな!」と主張するだけの欲求をきちんと言語化できていれば、それを順序だてて説明できていれば、まず誤解が生じることはない。

 

ーーーしかも、この手の主張をしてくる人はたいてい

「なんだお前、言いたいことははっきり言えよ!」と攻め、

「そんなことを俺に言うんじゃねぇ!」とも攻め、

「俺の言いたいことは察しやがれ、頭悪いなぁ!」とも言うのだ。

頭が悪いのは、どっちだよ。

 

 

参考文献

Sarah J. Tracy. (2007) Dialectic, contradiction, or double bind? Analyzing and theorizing employee reactions to organizational tension.


意図的に強がっているのであれば、やめたほうがいい。

2021-12-28 | 旧記事群

2002年に発表された論文によると、自身が抱えるストレスを無視し続けることで保てるようなキャラクターは、対象をよりストレスに過敏にさせ、そのストレスによって健康被害が発症するようになるという。

今回の研究では特に『威圧的で寡黙な一面』という、一見弱みがなさそうな性格に焦点があてられた。『威圧的で寡黙な一面』が板についてしまった人は、職場において過剰なまでの自律性や明確な目的を求めたという。

自律性の欠如と曖昧な目標下での行動はどちらも職場におけるストレスの要因としてあり得るが、彼らの場合は「一挙手一投足に至るまでの強くて明確な権利を求める」側面が強く出ていた。自律性の要求としては、あまりに過剰で非現実的なレベルである。

彼らが『威圧的で寡黙な一面』を保つ理由は様々だが、彼らが『威圧的で寡黙な一面』を保つために、自分が抱えるストレスから目をそらすために、極端なまでの自律性を職場で求めているのは確からしい。

で、そういったキャラクターによって封じ込められたストレスは心身にあらゆる支障をきたす。特に循環器系へのダメージが大きいことは、あまり直観に反しない事実だ。

 

ーーー要は、自分のストレスに目を向けられないような性格や事情は、

『蓄積されたストレスの暴走』という純粋な悲劇を巻き起こすということ。

しかもストレスに目を向けられないような性格や事情は、

何割増しかでストレスの影響を受けやすくなるのだから、たまったものではない。

『疲れた』と言えない職場も、『疲れた』と口に出すことに嫌悪感を感じることも、

『疲れた』を表に出さないように強がることも、ぜんぶ異常だ。

 

 

参考文献

Frances E.Cheek,Marie Di StefanoMiller. (2002) The experience of stress for correction officers: A double-bind theory of correctional stress.


頭いい人の考え方学んだところで、成績は上がらない。

2021-12-25 | 旧記事群

1999年に発表された論文によると、学習の目的を何に定めようが、学習への心構えがどれだけ礼儀正しいものであろうが、学業成績にはほとんど関係ないという。

『試験のために勉強している』『社会進出に向けた知恵を蓄える』『自分を磨くための教養を身に着ける』などの意識や考え方は、その人の学業成績を上げる要素ではない。学業成績に焦点を当てた場合、この中では優劣も特筆効果もないと主張している。

ただし、学習の目的をなにに定めることもなく、学習への関心が皆無に等しい状態は学業成績に悪影響をもたらすという。

 

考え方自体が学業成績に関係ないというのであれば、なぜ『自分を磨くための教養を身に着ける』という考え方を持つ人が成績よさそうなふるまいを、または実際にいいものになるのだろうか。

上記の考え方を構築する大きな要素に誠実性(物事をやりきる力、責任感の強さ、粘り強さ)があるのだが、この誠実性が学業成績と正の相関を持っていることが理由の1つである。

誠実性が高いことで相応に学業成績が伸び、また高い誠実性と開放性(新しいものを好ましく思う性質、新しいものへの寛容さ)などの性格と交わることで『自分を磨くための教養を身に着ける』といった考え方が形成されるためあたかも成績のいい人が上記の考え方を持っているように見えると、そんなイメージだ。疑似相関の一種とも言えそうだ。

形だけ考え方をまねても成績に対してあまり効果がないのはそのため。2つの要素を構築している誠実性が真に重要なため、もし成績を上げたいのであれば「愚直に努力する」のが一番早い。

 

注意点として、今回の論文は考え方と学業成績に焦点を当てている。考え方と業績・幸福度・その他いろいろな要素との相関すべてにこの結果が当てはまるわけではない。特に幸福度に関しては考え方1つで大きく変わるので、混在させないよう。

 

ーーー「だが、考え方は学習に対するやる気の現れようにかかわる。やはり考え方と成績にはそれなりの相関があるのではないか?」

それは成績とやる気の相関になるな、考え方ほぼ関係ないぞ。

『授業をまじめに受けたくない』なんて考えを正当化するぐらいなら、学校辞めたらどうだ?

 

 

参考文献

Vittorio VBusato,Frans JPrins et al. (1999) Intellectual ability, learning style, personality, achievement motivation and academic success of psychology students in higher education.


過去の授業態度から職場でのストレスを予測することは、できなくはない

2021-12-23 | 旧記事群

2004年に発表された論文によると、職場で受けるストレスのうち性格などの内面的な要素が原因となるものは、5年以上前の性格やストレス状態からも判別が可能とのこと。

また性格と学習スタイルに相関があることから、例えば学校の授業でどのようにふるまっていたかで、職に就いた時の振る舞いやストレスの受けようが判別できるとも主張している。

具体的には、「授業で習う知識に価値も意味も見出さないような姿勢」は誠実性の低さと知識に対する開放性の低さからなるものであり、そのような姿勢が構築される2つの性格傾向が職場で働いた時の生きづらさを引き立てるのだという。

仕事に対する学習意欲も行動意欲もないのに労働の義務が課せられる場所にいたら息苦しいよねと、やる気もないのに宿題ずっと課されてたら嫌になるよねと、そんなイメージだ。

 

ちなみに、今回の論文では他2つの学習態度に関するアレコレも取り上げられた。

1つが「授業を効率よく学びテストの点数を効率よく稼ごうとする姿勢」でああり、こちらは誠実性の高さと知識に対する開放性と関連する。

1つが「授業に出る知識を深く掘り下げて語られないところまで学ぼうとする姿勢」であり、こちらは誠実性の高さと知識に対する開放性と関連する。

どちらも授業で用いた戦略をそのまま職場に転用する傾向にあり、この2つの姿勢を構築する性格は職場でのストレスを強化しないか、もしくはストレスを乗り越える要因になるという。

学校と社会を分離して考えがちだが、学校での過ごし方が社会に出た後の身のなり様を予測することを、この研究以外にも複数観測されている。「あのときマジメに勉強しておけば……」という後悔は、こういった側面からも強化されているのだ。

 

注意点として、学習スタイルそのものがストレスに影響を与えているわけではない。学習スタイルを構築する性格が職場での振る舞いを決め、またストレスの受けようを変えるのだという。

 

ーーーまた、性格によるストレスの受けようと、職場が原因で発生するストレスに相関はないという。

関係性としては、職場が原因で発生するストレスが基礎数値となり、性格が数値に対する倍率となる、そんなイメージだ。

「この職場がブラックだから!」とか「お前の気の持ちようが!」とか醜く争ってないで、

ストレスの要因としてはどっちも考えられるから、労働基準監督署と心療内科をはしごしましょうね。

 

 

参考文献

IC McManus, A Keeling et al. (2004) Stress, burnout and doctors' attitudes to work are determined by personality and learning style: A twelve year longitudinal study of UK medical graduates.


「あれだけ自己中心的なのに、なんであの人は有名人なのだろう?」

2021-12-21 | 旧記事群

2002年に発表された論文によると、ナルシシズム傾向が高い人は、難しい課題に挑戦するとき・問題解決へのプレッシャーが大きいとき・自分の行動が他人に見られているときに、より成果が出せるようになるという。

またチームを組んだ時に動機が弱まり、自己評価による自身の成績向上にはほぼ関心がない性質から、ナルシシズム傾向が高い人は「他人から褒められたい」欲求を理由に、他人からの注目を集めやすい難しい課題を好み、そして必死に取り組む傾向にあるという。

逆に、あまり難度が高くなく、また他人からの注目が集まらないような状況に身を置かれた場合、ナルシシズム傾向が高い人は「やる気をなくす」のだという。自分の実力が感じられるような設計でも彼らは動かない、彼らが難しい課題に挑戦する理由が自己研磨ではなく、自己誇示に大きく傾いているからである。

「あれだけ自己中心的なのに、なんであの人は有名人なのだろう?」という偏見交じりの問いに答えるならば、彼らは自己中心的だからこそ有名人になれたのだろう。彼らは他人の賞賛を得るためならばどこまでも懸命になれる。実力が伴うかは別にして。

なおナルシシズムが一般水準の人は他者からの賞賛によって成果の出しようが変わることはなく、また難しい課題を課した時にはそのプレッシャーから成果を出しづらくなるという。

 

ーーー『攻略不可能』という文字と、周囲からの期待と疑念の声。

彼らはそれを「自分が他人にもっと褒められるようになる材料」と

「多数の他人が自分に注目している事実」と受け取っているのかもしれない。

 

 

参考文献

Wallace, H. M., & Baumeister, R. F. (2002). The performance of narcissists rises and falls with perceived opportunity for glory.