マリの朗読と作詞作曲

古典や小説などの朗読と自作曲を紹介するブログです。
写真やイラストはフリー素材を拝借しています。

浅茅が宿(雨月物語)

2021年10月08日 | 古典の朗読

 

「浅茅が宿」は、

江戸時代の歌人、国学者、読み本作家の

上田秋成が書いた「雨月物語」の中の一篇。

 

 

勝四郎は戦火で荒れ果てた故郷に

7年ぶりに帰ってくる。

星明かりを頼りに我が家を見つけ、

生きてはいないだろうと思った妻、宮木とも

再会をはたす。

が、一夜明けると・・・

 

浅茅が宿

 

 

その須野紙はひどく古びており、

文字は消えかかっていた。

勝四郎を待ち焦がれて死んだ妻が残した

いまわの際の歌・・・

「さりともと 思ふ心に はかられて 

世にもけふまで いける命か」

 

 


菊花の約

2021年10月06日 | 古典の朗読

 

「菊花の約」は

江戸時代の歌人、国学者、読み本作家である

上田秋成が書いた「雨月物語」の中の一篇。

 

 

赤名宗右衛門は、旅先で

自分を重病から救ってくれた

丈部左門と義兄弟の契りを結ぶ。

やがて、「見届けるべきことがあるので

国へ帰るが、菊の節句には必ず戻る」

左門に約束をして旅立つ。

が、行った先で幽閉されたために自刃し、

霊となって約束を果たそうとする。

そうとは知らぬ左門は

約束の日に戸口に立ち、

義兄の帰りを待ちわびていた。

そこへ・・・

 

菊花の約

 

 

和のある大作家(三島由紀夫だったか)が、

「菊花の約」のこの部分を、

名文であるとして人前で朗誦していた

という話を聞いたことがある。

本当に、名文だと思う。


メダカを拾った話(エッセイ)

2021年10月03日 | 私の昔

かつて都内の住宅街の道端で 

メダカを一匹拾ったことがある。

確か小学3年か4年の夏、

今から60年も昔のことだ。

 

 

集中豪雨がやっと通り過ぎ、

一人で帰る昼下がりの放課後、

自宅近くの坂道をてくてくと下っていた。

道の両脇のドブは

いつもなら乾ききっているのに、

そのときは明け方までの豪雨を集めて

深くて速い澄んだ流れになっていた。

わたしはもう嬉しくてたまらず、

ワクワクしながら歩いていた。

と、流れの中になにかオレンジ色の

 

・・・あ、メダカ!    

    え、メダカ ??!!

 

立ち止まってよく見ると、

かすかにヒレを動かし、

頭を川上に向けてじっと留まっている。

やっぱりメダカ!

 

状況がわかるや、

反射的に家に飛んで帰った。

ランドセルを背負ったまま、 

池のそばに転がっていたヒシャクを

ひっつかんでドブにとって返した。

メダカはまだ同じ場所にいる。

ヒシャクを流れにそっと沈めると、

すっと中に入ってきた。

それを両手で大切に持ち、

わたしはそろそろと家に帰った。

メダカを見た母は、感心するよりも

「よくまあ見つけたわねぇ 」と

驚き呆れかえっていた。

(いやいやいや、子供の目は鋭いのだよ)

かくしてそのメダカは

我が家の池(実は使わなくなった古火鉢)に

棲むこととなった。

 

 

それにしてもなぜ

メダカはドブの中にいたのか。

そのドブは、近くで川や池に

つながっているわけでもない。

結局、道沿いの家の池があふれて

流れ込んだのだろうということになったが、

真相は不明のまま。

 

メダカを池に放ってみると、

思っていた以上に小さかった。

先住金魚の大口に吸い込まれそうだし、

餌の粒は大きすぎて口先でつつくだけ。

しかし身の危険を感じたのだろう、

すぐに餌を飲み込める大きさになり、

金魚に食べられることもなく

元気にすくすく育っていった。

わたしはしょっちゅう池をのぞき込んでは

拾ったメダカを眺めていた。

 

翌年の雨の降る朝、

起き出して窓の外を見ると

古火鉢の池は縁まで水が溢れていた。

 慌てて庭に出て池の中を探したけれど、

メダカはいない。

池の周囲の草をかき分けてみても、

なんの痕跡もない。

こんなことなら

池の水を減らしておくんだったと、

深く後悔した。

 

雨はそれからも降り続き、

数日経ってからようやく止んだ。      

池には前と変わらず

三匹の先住金魚が泳いでいるだけで、

ふたたびメダカを見ることはなかった。

親に頼んでメダカを買ってもらうなど

考えもしなかった。

わたしが池をのぞき込むのは稀になった。

思えば、あのちっぽけな生き物は     

雨と共にやって来て雨と共に去って行ったのだ。

不思議な縁だけが残った。

 

 

 


娘よ 詞曲MARI

2021年10月01日 | 自作曲紹介

私自身を含め、

娘を置いて離婚した女の歌。

 

この曲をライブでやると

女性にとても受けます。

特に一部の中高年女性からは

強い共感をいただきます。

かたや、この曲を聞いた男性は

なんか居心地が悪そうに・・・(笑)

  

 

娘よ  詞曲MARI

 

娘よ   詞曲MARI

それはね あなたという娘を授かったから 

そろそろ女同士の 話ができるかな

時代は少しづつでも 変わって来てるから 

あなたにはきっと 開けた未来があるはず

 

Up’d down  Up’d down 人生はUp’d down    

Up’d down Up’d down 人生優等生 Up’d down

Up’d down  Up’d down 人生はUp’d down  

Up’d down Up’d down 大器晩成Up’d down 

あなたを置いて 家を出たのは 

十年以上前のあの夜

あれからずーっと 一人のまま 

今日まで 生きてきました

もうすぐ二十歳の誕生日ですね おめでとう   

逃げ出した母を許してなどと 言うつもりはない 

結婚は二度とごめんだと 心底思っているけど     

後悔だけはしたことがない 不思議だね

 

それはね あなたという娘を授かったから 

そろそろ女同士の 話ができるかな

時代は少しづつでも 変わって来てるから 

あなたにはきっと 開けた未来があるはず

 

家族を一人で養う オレは甲斐性のある男  

なんにも稼ぎがなくって 一日家にいるだけの 

専業主婦にストレスだと 甘えるんじゃない

夫の便利な道具でいろ それこそが妻の立派な役目  

家に夫がいる時には 傍らで常にスタンバイ

男は何にも動かずに サービスさせて文句つけるだけ

あたしを何だと思ってる 生身の生身の女  

機械なんかじゃ ない

 

 

それでも あなたという娘を授かったから 

そろそろ女同士の 話ができるかな

時代は少しづつでも 変わって来てるから 

あなたにはきっと 開けた未来があるはず

 

Up’d down Up’d down 人生はUp’d down    

Up’d down Up’d down 人生優等生 Up’d down

Up’d down  Up’d down 人生はUp’d down  

Up’d down Up’d down 赤字財政こんなご時世  

 

うちのこと子育て以外に 興味を持つんじゃない 

妻であり母であるなら それが当たり前

暇があるなら主婦業 もっと精を出せ。 

いつでも子供の幸せを 願ってがんばっていたけれど

妻に許される幸せって ホントにホントにそれだけ?

命令束縛大好き男と 我慢我慢で暮らしていたら

かつては人間だった私 どこかに消えた

 

それでもあなたという娘を授かったから 

そろそろ女同士の 話ができるかな

時代は少しづつでも 変わって来てるから 

あなたにはきっと 開けた未来があるはず 

ララララ・・・