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海の街『南知多町』花屋兄弟日記♪

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源義朝と知多南部5~金王丸足跡石とうばはり石~

2012年02月22日 10時08分25秒 | 南知多町 地域に伝わる逸話


他にも 息子の義平 朝長 頼朝、一族の源義隆 平賀義信 源重成、家臣で乳兄弟の鎌田政清とその妻 斎藤実盛 渋谷金王丸らを伴い、

東国で勢力挽回を図るべく、東海道を下るが、その途上たび重なる落武者狩りの襲撃を受け、

朝長 義隆 重成は、深手を負い 命を落としてしまいました。

また 頼朝も一行からはぐれて捕らえられ、
義平は北陸道を目指して 一旦離脱するが再び京に戻って潜伏し、
生き残っていた義朝の郎党 志内景澄と共に清盛暗殺を試みるが失敗し、討ち死にする。


馬も失った義朝 舟を使い 美浜町野間の長田家を訪れるべく 隣の内海に 逃げ延びてきた時、

長田の親戚でもある 鎌田政家と その妻(長田の娘)
武勇に優れた 金王丸 と 僅かな家臣のみを引き連れていました。

やっとの思いで 源義朝一行が、野間の長田 邸についた時、長田は、言いました。

長田『よくぞ遠路はるばる訪ねて下さいました。お疲れでしょう。おくつろぎ下さい。』

長田は、源氏の敗色が濃いということをいいち早く知っており、ここである謀略を考えていました。

『ただ滅びゆくより ここで わしが打ち果たし、平家につかえる足掛かりとなってもらい、今まで長田が尽くしてきた恩情にこたえてもらおう』


あまりにも自分勝手な言い分ではありますが、行動に移します。


政家は、娘に言いくるめさせるか、酒でも飲まして 隔離するたけで、ことすむが、
武勇に優れた金王丸がいると 仕損じる事も考えられたため、


金王丸に
『新鮮な海の幸を食べて頂きたいのだが、めぼしい魚がなくて困っている。今後の旅に出るにも 食料が必要でしょう。
隣の内海で 魚をとってきてくれまいか』と伝えました。


まだ昼間であったため、今きた道を内海へ向かい戻り、内海の漁師を訪ねました。

片道6~7キロ、山道もある 険しい道のりになります。


内海で一晩すごし、野間の長田 邸に戻る最中、野間での異変を聞きました。


先日訪れた 内海の岡部村(現:南知多町内海 岡部区) と 野間の内扇村(現:美浜町野間 内扇区)の間にある別所(べっそ)というところまで、急ぎ足で到達したときに、一人の老婆と出会いました。


その老婆に、
『野間で何かあったのか?』とたずねると

『義朝様が討たれた。』との答えだった。。。

一瞬興奮して 我を忘れた 金王丸は、突然
『ばかやろう!!!』

と叫んで 力いっぱい 老婆を殴り付けてしまいました。

その老婆は、その場で石になってしまったそうで、その石を『うばはり石』といい、その場所を『うばはり谷』といいます。


また うばはり谷には、金王丸が、その時 力任せに大地を踏みつけたために足跡が今ものこり、『金王丸足跡石』と呼ばれている。



我を取り戻した 金王丸は、飛ぶように速く 長田邸を目指すも 、
長田邸待東に 受けていた長田家の兵と 乱戦となり 辿り着けず 逃げ延びたとのこと。


乱戦が繰り広げられた 長田忠致屋敷 跡 と 田上の間に かかる橋を 『乱橋』と呼ぶようになりました。


もう一人の家臣 鎌田政家は、酒を呑まされたところを景致の騙し討ちにあい、

政家の妻(長田の娘)は、政家を丸め込むように諭されるも断り、
長田に馬鹿なことはやめるようにと 訴えるも 捕縛され、あやめられてしまいました。
(政家が討たれ 嘆き悲しみ 川に身を投げて自殺したという説もあります。)



今も内海の山には、

源義朝が座り大岩姓を授けるきっかけにもなった『大岩』





『うばはり石』『金王丸足跡石』という史跡が、残されています。


※周辺に駐車場もなく 山道のため 見に行くのには、徒歩が妥当かと思われます。
もし見に行かれる際も、人通りも皆無に近いため その土地のことを よく知った方と同伴 下さい。迷子や脱輪の危険性があります。


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