「大きな政府」と「小さな政府」
松山徹哉氏のブログ転載
http://xavierja7.blog.fc2.com/blog-entry-78.html
「大きな政府」がいいか、「小さな政府」がいいかは、議論の
分かれるとことである。「大きな政府」とは、社会保障や教育、
医療などをタダにする方向に向かう政府であり、その分、
税金は非常に高くなる。北欧などの福祉国家は、まさに
その代表である。今の民主党政権も「大きな政府」を目指し
ている。「小さな政府」は、国防と治安が主な仕事で、税金は
極力安くし、民間の力を最大限に伸ばしていく。
政府というのは、常に肥大化する傾向がある。国民の不満を
受け、その解消に向かう立場であるため、自然と大きくなり
やすい。選挙で票を獲得するには、どうしても「ばらまき型」
「補助金型」になり、大きな政府ができあがっていく。
しかし、「大きな政府」というのは、言葉を換えれば、
「社会主義政府」ということでもある。それは、すべてに関して、
国が丸抱えで物事を判断し、面倒を見るという世界である。
一見、親切で、善いことのようにも思えるが、民間の力が
必ず衰えていく。そして、怠け者が大量に出現する。
努力しなくても、国から援助や補助金が出るため、真面目に
働かなくても構わない。これは、自分の体の中に、麻薬や
麻酔を打ち続けているのと同じである。
最初は心地よく感じられるが、確実に体はむしばまれていく。
そして、国の恩恵にあずかれない者は不満が拡大していく。
また、「大きな政府」になると、必ず国民の自由を統制する
ようになる。東電の隠蔽体質、官僚体質が問題となっているが、
電力会社はどこも地域独占であるため、ほとんど国営と
変わらない。競争の自由がないものは必ず堕落していく。
かつて、国鉄が巨額の借金をつくり民営化された。
国鉄時代は、度重なるスト、サービスの悪さで、国民からも
批判が集中していた。しかし、民営化され、今はストもなく、
サービスも劇的によくなった。駅のトイレも非常にきれいになった。
「大きな政府」とは、たとえて言えば、口うるさい両親による
教育のようなものである。子供の行動にいちいち干渉し、
面倒を見、過保護に育てる。その結果、自立心のない、
依存心の強い子供が育つ。「小さな政府」は、
子供の自立心を養うために、時に厳しく接し、甘やかさない。
しかし、いざという時には、しっかりと子供の面倒を見、
子供を守る。「小さな政府」を支えるのは「勤勉の精神」である。
かつては、どの学校にも二宮尊徳の像があったが、
今はあまり見かけなくなった。二宮尊徳こそ「勤勉の精神」の
代表のような方である。「勤勉の精神」こそが、人間を
成長させ、国を富ませるのだ。
「大きな政府」の代表である社会主義国家が、どこも貧しく、
その大半が崩壊していった事実は、「小さい政府」を
目指すべきであることを証明していると言えるのではないか。
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