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阿部重治郎の大道詰将棋見たり聞いたり七十年

2014年06月19日 | book
 北海道将棋連盟発行の故阿部重治郎さんの私家本。前作は白い表紙で少年時代からの継続してきた趣味の詰将棋について、特に大道詰将棋について、晩年にも心も体も健康でつつがなく嗜んでいるとの内容でした。こちらは赤い表紙で内容も冒頭から戦後詰将棋の発起人に警察OBがいて随分と尽力活躍したといきなりの記述から始まります。つまりは、この本では前作とは違って、大道詰将棋とは、一定の均一な人的質的を維持した空間、例えば学校とか会社組織ではなく、開放された空間での解放されたフリーな人間、つまりは放棄された人間で、詰将棋という算術の初歩と根気があれば容易に達成感と自己愛を得られるであろう目的を持った人間から金銭を横奪する詐欺的な行為であると具体的に述べているのでした。一定の後天的なその時代的な価値観を教育された、言語という行動を抑制したり躊躇と選択を義務付けられた思考方法で大道詰将棋を競技させ、錯覚を利用して教授料をせしめる、またはサクラと暴力により気の毒なディープな考えることが得意な世間知らずの青年を閉鎖し監禁し傷害を負わせて金品を強奪するという犯罪が、戦後の大道詰将棋の本質なのであり、また同様の類似の性質の人間社会の事象にも当てはまるであろう、慣習的伝統的な作法であることが、この大道詰将棋見たり聞いたり七十年には述べられているのです。家元制の世襲名人から実力性名人に将棋界が改革された頃、大道詰将棋は組織的に全国に普及しました。将棋という江戸時代には幕府組織と関係が深かった遊戯が規制が撤廃され、実力性という競技人口参加者が増えると同時に、一般に前述の人間社会の慣習と作法も伝播し利用されていったとの事でした。これは、もしかしたら、大道詰将棋だけの現象ではないのではないかと思えてしまうのでした。例えば会社持株がほとんどだった日本証券市場とかインターネット情報接続産業だとか、そしてもしかしたら市場経済という資本主義の、一般人の生活の本質までも、同類の慣習と作法に則って運営されているのではないのかと思えてしまう本の内容なのでした。解放された人間が得ようとする寄る術を、これは吸血鬼に咬まれたものが吸血鬼になるがに等しい連鎖的反応で拡散していく人間の抗えない性なのではないのかと、この阿部重治郎さんの私家本の端書を見ると考えてしまうのでした。たぶん、この答えはサクラと暴力が発生しない一定の品質を保持した空間であるのなら、ちゃんと詰んでいる正解だと思うのでした。最後に、この本の中にある気になる単語で「お兄さん」ということについての個人的な体験からある連想をしました。私がまだ10代だった頃のバブル景気と後に呼ばれた街の雰囲気が幾分は残っていたころ、通っていた予備校からの帰り道、池袋の街角で「お兄さん、どうですか」と声をかけられたことを思い出しました。その掛け声の主は一見するとちゃんとした、働く女性のような外見をしていましたがその前に立つ店の、大人のおもちゃの看板から風俗の女性だと見て取ることができました。学校で誰々が池袋でカモられたというような話を聞いていたのですぐに逃げることができました。その「お兄さん」と言った風俗の人はどこかの放送局のアナウンサーのような外見と印象でしたが何となく日本語がたどたどしく寂しそうな顔をしていたのを憶えています。いつしか私も開放された街角の往来を解放的に徘徊することもない、「お兄さん」とはもう呼ばれない年齢と人種になりました。大道詰将棋という、昭和という時代の激変期に誕生し消えていった庶民の遊戯について、すでに亡くなった阿部重治郎さんの2冊の私家本から懐かしさと感傷が失われた時代とともに思い出されるのでした。
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