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PLAYBOY OCTOBER 1983

2014年06月19日 | book
 日本版の月刊PLAYBOYが創刊100号ということだったが、それといって過去の発行した物への特集はやっていない。プレイボーイ・ピープルとして100人分のインタービューの記録があるだけだ。コンピュータは人を精神異常に駆りたてている!という、場違いな物騒な記事がある。もちろん、コンピューターが機器として人間の精神に病気を起こすのなら、適した産業と製品ではない。ソフトウエア技術者の実態に問題があることがわかる。アセンブラ言語とコンピューター論理思考が人間の適切な応答には不都合だという事である。コンピューターのコマンドが返す反応と、人間の自然なコミュニケーションとでは、要求とは異なった論理的な反応が期待できない、というか、ある種の不都合な人種にはそのような反応が予想し辛いので連続した応答関係が築けないという。ゆえに、シンタックスエラーを意に反さない人間を恐れてコンピューターと話す方が安心だという。このような環境が感覚遮断を起こして、なんら問題のない集団と、変調をきたす集団とに分類されることになるというのだ。また、ソフトウエア技術者の集団内とは、真に優秀なものと、そうでないものの間に階級のような分化が進行している産業体質で、新しい知識や技術に対応できない人間や過重な労働に耐えられる体力を失った人間は、(先天的な人間性や魅力が無いという理由もあるのだろうが、)切り捨てられるということを記事には書いている。そして、変調をきたす集団もそうでない集団もエリート意識、独善的な思考で凝り固まっていて、先端技術に身を置くことで自分の存在価値を見出そうとする人種であることと喝破している。このようなソフトウエア技術者の集団に対して、常識的な思考と倫理を持ち社会と折り合いをつける人間であることを望むと、記事は結ぶ。社会にとって有用なシステムだ、人間にとって便利な道具だというだけで、コンピューターを軸とした技術的潮流をまったく無条件に受け入れてしまうことに強い危惧の念を抱くと、記事は述べている。コンピューターエリートを生かすも殺すもソフトウエアの最終的なユーザーである我々自身の対応いかんにかかっていると、消費者の権利が、いかにも強いようなことを、実際に売り上げから計上する利益よりも、毎月広告主から支払われるスポンサー代で賄っているはずの月刊雑誌が、このようなことを述べていた。30年前の状況で今は随分と変わっているはずだ。まだコンピューターが実用でないころ、情報産業の人間が運転する自動車に同乗したことがあった。その人はハンドルの操作で生きるか死ぬかの選択が、まるで電子情報のやりとりのONとOFFのごとく、ONとOFFとは生きるか死ぬかという意味でいっていたと思うのだが、しゃべりながら運転するのでとても参った経験がある。命を預けることができる、ましてや他人の権利や財産に関われる人種ではないことがすぐに直感できた。このように、自分が希望する世界とかけ離れた性質を持ってしまったソフトウエア技術者も、少なからずいるのであり、どこの職場にも異常な人間はいるはずだが、悪事をことさら暴露し露悪的な態度をとるような集団は、ある定義された集団以外は存在しない。情報という暴力を行使して社会を変革する必要が認められる場合だけに存在していればよいのだが、そう都合がつくはずもなく、コンピューターの世界の電子工学の立場とは違った、かなりの複雑な要因が絡む問題だったようだ。

 今月のプレイメイトはバーバラ・エドワードです。美術学校の生徒です。きれいな絵を見ることは、信号や記号や看板が発するメッセージとは違います。きれいだなと感じることが返報性をもって、きれいだと感じ得る人物の存在価値がより高まる関係であれば理想的です。片思いではあまりにも残念な関係です。もちろん、関係は類似性をはらみ、だからバーバラはきれいなハダカをPLAYBOY読者に見せてくれたのだと思います。30年前のアメリカ合衆国の典型的なきれいな女子のハダカです。