月刊PLAYBOY日本版3月号。29歳コンピュータ王驚異の洞察トークとして、スティーブ・ジョブズ、アップル会長の話が出ている。この記事が書かれた直後にジョブズはアップルを解雇された。人生の危機だったのか、この記事に掲載してある当人の写真は、すこぶる写りが悪い。品のない蝶ネクタイが不誠実な印象を与える。知らない人が見れば誰だろう、という感じ。実際、マッキントッシュに触れたのは1997年が最後の年だった。今の人はこの手の人には関心がない。せいぜいモーレツ経営者といったところか。パソコンの生い立ちにも興味はない。せいぜいセキュリティーに気を付けるぐらいか。
〝たいていの人にとっては、コンピュータ言語もモールス信号と同じです。マッキントッシュの存在価値はここにあるんです。コンピュータ業界に現れた最初の“電話”なんです。それだけじゃありません。ぼくにいわせれば、マッキントッシュの素晴らしい点は、電話を同じように、利用者が“歌える”ということです。〟
なんか、ここのところで昔の映画、ダーティーハリーのクライマックスを思い出してしまった。犯人が最後に子どもに歌を強制する、というやつ。自由が義務に転嫁するのはたやすい。義務が権利に転嫁されるのは、そう簡単ではないということですか。
GMが倒産した話で、技術は買えばいい、ということがあった。必要な時に必要なだけ調達できれば都合がいい。そうではなくて、技術は買えればいい、と受け止められたときGMは破綻したのだ。コンピュータを備える理由がコミュニケーションの全国的なネットワークに参加するため、ということになるのなら、使用説明書も読むことはないし、物理を知らないドライバーでもよいのだし、なにより困ったときに自分のできないタスクを人にやらせれば課題を解決することができるのだ。市場としてのコミュニケーションネットワークを開拓するためには、コミュニケーションを使いつつも知らない人間になっていてもらいたいのだ。欲求を満たすための一見さんと、維持管理するための専門要員がいるはずだが、選択権のある消費者がいてはまずいのだ。むかしの政治家で、アメリカはクロがいっぱいいてシロを追い出し、クロはカード破産してもアッケラカンのカーだ、と言った人がいた。今あるものをどかし、バンザイすることが初めからの目的だったのなら、何も他人から一切非難されることは全くないのだ。そんなことを思った。もう、むかしのお話になる。
1985年の、つくば科学万博の記事がある。ハイテク映像のオリンピックだ!、と銘打っている。つくばのEXPO85はパビリオンを解体するときにダイナマイトを使用して、建物の再利用率は2%ぐらいだったそうだ。後からずいぶんと非難された。しばらく万博が日本で開かれなかった理由のひとつらしい。日立グループ館、東芝館、東京ガスパビリオン、NEC館、集英社館とソニーのジャンボトロンは見たことがあった。デジタル技術の時代では、この万博の映像技術は使えるものは何もないのだろう。日立館でロボットが刀剣の刃先にコマを回していたが、自動制御の教授に聞くところ、見た目は派手でもそれほど難しいものではないとのこと。でもおもしろかった。何の役にも立たないものなのだろうが。
今月のプレイメイトはシェリー・ウィッター。米国版ではmiss February。名前のない匿名の外人さんは、残念ながら裸になってもあまりエロくない。一時期、インスタントコーヒーのコマーシャルが外人ばかりだったのはなぜだったのだろうか。誰も教えてはくれないし、たぶん誰も知らないのだろうね。
〝たいていの人にとっては、コンピュータ言語もモールス信号と同じです。マッキントッシュの存在価値はここにあるんです。コンピュータ業界に現れた最初の“電話”なんです。それだけじゃありません。ぼくにいわせれば、マッキントッシュの素晴らしい点は、電話を同じように、利用者が“歌える”ということです。〟
なんか、ここのところで昔の映画、ダーティーハリーのクライマックスを思い出してしまった。犯人が最後に子どもに歌を強制する、というやつ。自由が義務に転嫁するのはたやすい。義務が権利に転嫁されるのは、そう簡単ではないということですか。
GMが倒産した話で、技術は買えばいい、ということがあった。必要な時に必要なだけ調達できれば都合がいい。そうではなくて、技術は買えればいい、と受け止められたときGMは破綻したのだ。コンピュータを備える理由がコミュニケーションの全国的なネットワークに参加するため、ということになるのなら、使用説明書も読むことはないし、物理を知らないドライバーでもよいのだし、なにより困ったときに自分のできないタスクを人にやらせれば課題を解決することができるのだ。市場としてのコミュニケーションネットワークを開拓するためには、コミュニケーションを使いつつも知らない人間になっていてもらいたいのだ。欲求を満たすための一見さんと、維持管理するための専門要員がいるはずだが、選択権のある消費者がいてはまずいのだ。むかしの政治家で、アメリカはクロがいっぱいいてシロを追い出し、クロはカード破産してもアッケラカンのカーだ、と言った人がいた。今あるものをどかし、バンザイすることが初めからの目的だったのなら、何も他人から一切非難されることは全くないのだ。そんなことを思った。もう、むかしのお話になる。
1985年の、つくば科学万博の記事がある。ハイテク映像のオリンピックだ!、と銘打っている。つくばのEXPO85はパビリオンを解体するときにダイナマイトを使用して、建物の再利用率は2%ぐらいだったそうだ。後からずいぶんと非難された。しばらく万博が日本で開かれなかった理由のひとつらしい。日立グループ館、東芝館、東京ガスパビリオン、NEC館、集英社館とソニーのジャンボトロンは見たことがあった。デジタル技術の時代では、この万博の映像技術は使えるものは何もないのだろう。日立館でロボットが刀剣の刃先にコマを回していたが、自動制御の教授に聞くところ、見た目は派手でもそれほど難しいものではないとのこと。でもおもしろかった。何の役にも立たないものなのだろうが。
今月のプレイメイトはシェリー・ウィッター。米国版ではmiss February。名前のない匿名の外人さんは、残念ながら裸になってもあまりエロくない。一時期、インスタントコーヒーのコマーシャルが外人ばかりだったのはなぜだったのだろうか。誰も教えてはくれないし、たぶん誰も知らないのだろうね。