別冊・鱗から目

作った物(のうち、電子的な方法で陳列できるもの)の置き場でもあります

夢日記をつけるとよくないらしいが本当にそうだろうか

2021年03月05日 | 雑記

 部屋を片付けていたところ数年前の日記が出てきたので読みふけっていたら,夜に見た夢を記録したものがあってなかなか面白かった。

古本屋で珍しく布張りの表紙の本を見つけた。山吹色の表紙で「デザイナーのための図案集」と書いてあり,発行当時の定価は140円だった。中には線画のイラストとその簡単な説明が組になってたくさん載っていた。面白そうだと思い,よく見ると,出てくる人物や動物の顔がすべて「太陽の塔」みたいに非対称に崩れていて何となく不気味だった。いったん閉じて,目をつぶって適当にパッと開き,そのページにどんな絵があるか見てみたら,「ランプ屋」というタイトルが付いた絵だった。太陽の塔の顔をしたおっさんと女の人が気をつけの姿勢で駄菓子屋みたいな店の前に立っている。絵の下に小さい字で
 この夢を二度みてはいけない.ランプ屋は子どもとランプを交換するところ.

と書いてあった。そこで目が覚めた。久しぶりに少し怖かった。

 中学生ぐらいの頃から,面白い夢を見た時や気が向いた時に夢を記録しているが,これを一般に夢日記というそうだ。夢日記という言葉は今のところ辞書にない。ネットで「夢日記」と検索すると,夢日記をつけ続けていると発狂するとか,精神状態が不安定になるとかいった警告めいた記事がたくさん出てきた。何それ怖い。いくつか記事を読んでみたが,だいたい共通して述べられている理屈は次のようなものであった。

夢は睡眠中に記憶すべきことと覚えるべきことを整理する過程で生じる副産物なので,起きたら忘れてしまうのが健康的です。本来忘れるべき夢の内容をわざわざ思い出して記録することにより,脳に負担がかかるだけでなく,やがて夢の内容が現実と同じように鮮明になって,現実と夢との区別がつかなくなってしまうおそれがあります。

 果たして本当にそうだろうか。一読するとそれらしいことを言っているようだが,科学的根拠に乏しいと言わざるを得ない。睡眠中に記憶が整理されるのは事実だが,夢がその過程で生じる副産物であるかどうかは,少なくともまだ分かっていないことである。また,放っておいたら忘れてしまう内容を紙に書いて記憶にとどめる行為は「脳に負担がかかる」として,さもやってはいけないことのように書いてあるが,学校の勉強もやっていることは全く同じであるから何の心配もないはずだ。そもそも私たちは普通に生きているだけで常に脳に負担をかけているのであって,むしろこのような行為は脳の本来の使い方である。そして夢日記で気が狂うとする記事は,いずれも個人の体験談にすぎない。たいていが自分(または知人)がやってみたらヤバそうだったよという都市伝説的な語り口で,まともな根拠を示している記事はついに見当たらなかった。いちおう医中誌Webで,夢を記録することがどんな効果をもたらすのかについて調べた論文があるかどうか探してみたが,全然ない(PTSDに伴う悪夢を,別な夢を想像することで緩和しようみたいな内容の研究はあったが,たぶん違う話である)。論文がないということは,夢を記録することによる効果は(良い効果・悪い効果にかかわらず)特にないということだと考えていいだろうと思う。「夢」という魅力的な研究対象に対して,それを記録していると精神に悪影響を及ぼすなんて大発見をしたら報告しないわけがないし,保健の教科書のコラムなんかに載っていてもよさそうな話だ。

 そんなわけで,夢日記発狂説はオカルトとして楽しむ程度の話であると思うことにした。うまく語れば小説になる程度だろう(そういうの既にあると思うが)。面白い夢は起きているときには思いつかないようなアイデアの宝庫である。それをただ忘れてしまうままに任せるのはもったいないと思う。これからも安心して夢を記録しよう。

 ところで,フロイトの説をもとにした(と謳ってある)夢判断の本が家にあったので,ついでに少し読んでみたら,冒頭にこんなことが書いてあったので,読むのをやめた。

猫の睡眠時の脳波を測定し,夢を見始めたら起こすという実験をおこなったら,その猫はとうとう死んでしまったそうです。夢というものは,生き物が生きていく上でなくてはならないものなのです。(大意)

いや,その猫は夢を見られなくて死んだのではなく,単に睡眠不足で死んだのでは?

 世の中にはこんな感じの,科学的っぽい装いをしたいい加減な文章が掃いて捨てるほど出回っていると思われる。皆さんも気をつけてください。


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