たらったら♪生活

10年前の子宮頸がん2b放射線単独療法経験日記

退院後初の診察 (2)

2006-10-09 | 母は乳がん?
私は抗がん剤の治療が無いことに安堵する。
ホルモン剤も不要に違いないとふんでいたので
その通りでホッとする。手術で乳房全摘したのだ。
この上また副作用のある薬など、イヤだ。

14ミリのしこりのうち、がん病変してた部分は
きっと少しだったのではないか。私はまだ病理検査の
診断や医師の診断には疑いを持っている。
しばらくそのまま無治療で様子見していくので
十分だったのではないか、少なくとも乳房温存
(くりぬき法)適応で、全摘する必要はなかったと
強く信じている。

医師からの説明が無ければ聞こうと
思っていたら、医師も私なら聞いてくる
だろうとやっとわかったのか、きちんと
今までの腫瘍マーカーの検査結果をプリント
してくれた。
腫瘍マーカーはCEAとCA-15
入院前の採血でCEA 1.1 →入院時の採血 1.0 (正常値 4.9以下)
     CA-15 4.8            5.7 (正常値 27 以下)
どちらも手術前で初めから数値が低い。
私の場合は治療前は正常値を越えていて
治療後、正常値の範囲内に落ち着いている。
子宮頸がんであった時は数値が高く治療後は下がった。
初めから低いのであればマーカーとして観察
していく有用性がないように思うのだが。
(早期の場合は数値が低いことがあるらしい。
「母は本当に乳がんなのか」は転移・再発でも
しなきゃ一生わからない。
マーカーの数値はあてにならない。一応の
目安になるが数値の上がり下がりが確実にがん
と関係するかは微妙だったりするらしいが)
他に見ていくべき重要なマーカーもないということ
だろう。

痛みは人によっては数年続くことも
あるらしいから、なんとか上手く誤魔化して
つき合っていくしかない。

経過観察は母1人でも来れるだろう。
面倒で深刻なこういう付き添いも一応
今日まで。

もう2時だ。美味しい豪華な昼食を考えて
いたが2人とも空腹で仕方なく病院内の
レストランへ。安心も手伝って母も
パクパク食が進む。食べ終わる頃は
さすがに人も少ない。

7月後半から始まり10月頭で
母と私のこの大試練は第1段階なんとか
終了した。

この間の過重なストレスはお互いに相当
体全身にダメージを与えたはず。
病気発見から病気の治療終了までが
こんなにしんどいってどうなんだろう。
病気治療中にストレスがあっては軽い病状も
治らず悪化しそうだし、別の悪いものが
育ちそうだ。体に悪い不安な治療中って
間違っている。

病気発見から治療終了は、あまり心配もせず
信頼出来る医師で安心していられると
いうのでなければマズイはずだ。

ものすごいストレスからは解放された。
ちょっとは喜んで「忘れる」ことも
疲れた体にいいだろう。



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