たらったら♪生活

10年前の子宮頸がん2b放射線単独療法経験日記

舌炎

2007-12-22 | 母は乳がん?

舌炎や口内炎を繰り返すと医師に話すと
それは「口内炎になりやすい体質」で
そういう人は繰り返すそうだ。
内臓の病気や栄養素の不足はないと言われた。

舌痛症や口腔心身症という
炎症や潰瘍などが無いにも関わらず
痛みを強く感じてしまうものもある。
その場合は抗うつ剤がなぜか効くそうで
(脳と痛みが関係しているとか)
それではないかと聞くが
それとは全く違うとも言われた。

母が粘り気のある唾液が多くて困ると訴えると
唾液はストレスで出なくなることはあるが
多いのは問題が無いとのこと。
ただ母としては口の中に唾液が溢れて
気持ち悪くてティッシュに吐き出すのだが
唾液には口腔内を清潔に保つ殺菌力が
あるので出さずに飲み込むように言われて
少し困っていた。

マスクの使用も良くないと指摘。
新鮮な空気をどんどん吸った方が良く
マスクによって空気が遮断されてしまうのは
口内炎などには逆効果だそうだ。

サルコートというカプセルを口腔内に噴霧する
ステロイドと、フロリードゲルというチューブに
入った塗り薬が処方される。

ゲルで舌先をくるむように塗り込み
5分間そのままにして吐き出す。
(ネットで調べると飲み込むようにと記載された
ものが幾つかあったのだが、どうなんだろう)

これらを1日服用したが翌日、新たに舌に白い
潰瘍のようなものが出来ている。副作用を調べると
口内炎や舌炎の薬でありながら、新たに口内炎や
舌炎の発症や吐き気、腹痛、かゆみなどが起こると
あった。使用を休むことにした。

母は痛みが強いのでこれに効く痛み止めが
欲しいと言ったのだが効く痛み止めは
無いと言われる。

舌炎や口内炎は効果のある薬、治療が無いようだ。
結局、自然と消えてくれるまで我慢して待つ。
市販の飲み薬も効かない。患部に貼るタイプや
塗り薬も口の中では留まっていない。
レーザーはどうなんだろうか。

食事が思うようにいかない。
消えてはまた出ての繰り返しで
何とも辛いものである。
体質と言われてしまうとどうしようもない。

公立の歯科・口腔外科

2007-12-21 | 母は乳がん?

母が先週から舌の痛みを訴えている。
彼女は年に1、2度、口内炎、舌炎を
繰り返す。

舌の痛みが酷くなって食事がままならない。
舌は厚ぼったく赤みが増し少し荒れた感じだ。

舌や口腔内の不調を訴えられると
真っ先に口腔がん・舌がんが頭に浮かぶ。
母と同じ年齢で総入れ歯で舌がんの治療を受けた
人を2人知っている。1人は再発・転移した。

しかし見た目は、がんのそれとは違うようだと
思うのだが。1週間経っても良くならないので
お得意様である、いわくつき公立病院の
歯科・口腔外科へ行った。

この科は新患だ。2時間待ちを覚悟したが
30分ほどで呼ばれる。弱気な母は私も
診察室へ誘った。

舌を一通り診て舌炎と診断。
詳しくて丁寧な説明とアドバイス。
こちらの話を聞いて答えてくれる。
この病院で初めていい医師!

不愉快極まりない医師との応対を
覚悟し期待せずに行ったら満点である。
私達がずっと求めていた医師の応対は
これである。

こちらの素人ゆえの多い質問にも
きちんと真っ直ぐ答える。面倒だと
感じているだろうが彼はそれを表情や
態度・雰囲気で表す事無く、始終同じ
トーンで話す。しっかり患者を見て。
患者が多くの質問を続けると途中で
面倒になって終わろうとするのだが
そんなことはなかった。だから私が
「ハイ、良くわかりました」と十分
納得したことを示して、診察が終わった。

ここや私の町の他の病院の医師らに
今までこんな満足感を得られたことはない。
説明無し、質問にも満足に答えない、怒る、
怒鳴りつける、不機嫌、診察拒否―
こんなことばかりだった。
この病院で初めて常識的な医師。
まともに話が出来、意思疎通が出来た
最初の医師。

診立ても、説得力があった。
患者を納得させられるだけの十分な
説明とアドバイスをしてくれたからだ。

欲を言えば出来れば笑顔が欲しかった。
彼に優しい温かい笑顔が加われば
応対としてはパーフェクトである。
が、地元の医師らの応対の質と比較すれば
合格である。真面目さは伝わった。

この医師は特別なことはしていない。
これが普通の医師の応対なのだが
普通の応対をしてくれない地元の医師が
ものすごーく多いものだから、この医師が
とても立派に見える。

この病院にはもう何度も来ているが
不愉快な思いをせず満足して
この病院を出たのは
これが初めてだ。




乳がん体験談と医師の話

2007-11-05 | 母は乳がん?

女優の音無美紀子さんが自身の乳がん体験談と
地域の検査専門の開業医による検診についての説明
というピンクリボンの乳がん講演会に
乳がん手術を受けてから、この手の催しに
少し興味を持った母と行って来た。

音無さんは今から18年前に自身でしこりを
発見し検査で乳がんとリンパ節の転移が見つかる。
乳房全摘出とリンパ節郭清。手術後、抗がん剤治療も
受けるがイヤになりすぐ中止。

退院後、腕が上がらない、乳房喪失感などから
自分は本当にがんで大きい手術をしてしまったんだと
自覚するにつれ、鬱になったそうだ。

芸能人のがんのカミングアウトは
当時、週刊誌やワイドショーで騒がれてしまうと
いうこで公表せず隠されていたという。
今ほどのがんの情報も無く、治療の選択も
出来ないまま手術を受けるしかなかったし
誰とも情報を交換したりする手立ても
なかったと話す。

音無さんのいとこ、姉、妹が乳がんを経験しているという。
音無さんは18年前の治療で一応、完治ということで
早期治療で克服といういいケースらしく、いろんな
がん関係でがん体験を話す機会が増えているようだ。

彼女の講演の他に、県内で乳がん検査を専門的に
行なっている(治療は行なっていない)医師による
乳がん事情、検査についての講話。しかし音無さんを
始め来場した観客の多くは乳がん経験者と思われるので
早期発見、乳がん検診を促す話をしても...主催である市の
目的は早期発見のための検診を広めることで
家族や知人に教えてあげようということらしいが。

私達としては治療を行なっている医師から
転移・再発についての勉強がしたところだが
このピンクリボンの目的はとにかく検診で早期発見する
ことが第1なのだから仕方がない。

もっとがん経験者でない人が興味を示す参加する会を
企画するべきだ。といっても、がんや他の病気にしても
家族が発症すれば勉強しようという気にもなるし
自分が発症する可能性について心配もするが
そうでない場合は多くの人は何かの拍子で見つかって
そんなバカなと慌てる。それでもピンクリボンの
広まり方はメディアを使って浸透して来ている方だろうが。

渡された乳がん治療についての冊子、これは内容が
とても充実していて役立ちそうであった。

しかし有名人や一般人もがんをカミングアウトして
自身の体験を話す、それを聞くということは
とても大事で良いことだと思う。自分だけじゃない、
みんな同じように感じて、気持ちは同じだと
知るだけで、心強くなれる。これは病気とつきあっていく
ことにおいて大事なことだ。

ただ、体験談はあくまで、その本人自身のことであって
治療の選択や経過など、参考程度という姿勢で聞くことが
大事。治療法や経過は個人個人違ってくる。
影響力のある著名人だが、真似すればいいということ
ではないので、やはり最後のすべての決断と
責任は自分にある。


出来れば、どこかの会や団体、市、医師などが
がん経験組のための勉強や交流を目的とした会を
主催してくれると嬉しいなと思った。

検査結果

2007-07-12 | 母は乳がん?
母の経過観察受診日。
数週間前の採血、先週は頚部~胸部、腹部、
骨盤のCT検査。

画像検査によって何か問題が起きた場合に備え
ここの病院は必ず、検査による危険等は十分
説明を受け納得したという署名を書かせる。
最近はどこもこうなんだろうか。

以前もそうだったが、診察室では
画像検査について十分な説明はしない。
署名用紙を差し出し、ここにサインしてと
指示されるだけだ。

誰もいちいち検査の危険性について
時間をかけて聞こうとはしないと
医師らも考えているし患者は聞き出せる
空気じゃないことも承知で、
危険性の説明を受けたところで
検査拒否も出来ないことをわかっている。

万が一、何か起きても病院が損しないための
サイン。このやり方に納得出来ないままに
誰もが署名し検査が行なわれている。
母も署名し受けた。

その結果が出た。
腫瘍マーカーは正常値。
CTは異常が見られない。

CEAの数値が正常範囲内ということは
肺や腸のがん発生の心配は低いと
思っていい。画像に異常もないし。
血液検査で肝・腎機能の数値も異常なし

それで今後の観察だが
3カ月後に採血、6カ月後にCT。
これを2年間。間隔が早過ぎる。
母の早期のがんなら1年に1度でも大丈夫だと
思うのだが。CTを半年ごとに受けてれば
被爆で、どこかにがん発症が起きないともいえない。
見つけるためのCT検査か、がん発症のためか、
わからない。困ったものである。

2回目の経過観察

2007-06-21 | 母は乳がん?
母は本当は春先に2回目の経過観察受診を
しなくてはいけなかったのだが
不調で別の科の受診で外科には行けず
先日、緊張して外科受診。

母が受け付けした時点で既に70番目で
いつにも増して外科の外来は受診者が
溢れかえっていたという。

県内の病院が幾つか閉院したせいだろうか。
紹介状無しは完全に受け付けないという体制に
なってしまったようだ。

4時間以上待たされ、去年の秋の術後の
胸の視診もなく採血だけで終わったという。
CTの検査予約もしてあるのだが
CT検査に空きが全く無く1カ月半先じゃないと
ムリということで予約を入れて帰って来た。

やはり受診者数が増え診断に画像検査なしでは
何も始まらないので放射線画像診断科は
フル稼働でも追いつかないようだ。
どこの放射線画像診断科もこんなだろう。
困ったものである。

まる1日かけて採血だけ。ずっと先のCT検査。
初期もいいところの母の状態。私は多分、
転移も再発も起こらないと考えている。
外科医も心配していないから検査予約も
後回ししていると思う。

進行期の進んでる患者は先延ばしは
出来ないだろう。画像診断科の混雑は
改善する必要があるが装置が安いものじゃないから
大変である。空いてる他の病院で画像検査を受けて
来るということも今後起こりそうだ。





治療を受けると、もれなくこれがついてくる

2007-03-07 | 母は乳がん?
母が買い物から帰って来て開口一番に
「重いもの持つと痛い。(胸が)
 なんか胸、赤いし」
「ええーーー」やっぱそうなんだ。
胸、覚悟して(当然だけど)見たんだ。
「重いものは持っちゃダメだって。
手術してずっと赤いって、病院行かなきゃ
ダメなんじゃないの?病院行ったところで
何か出来るってわけはないから
どうにもならないだろうけど」と私。

出来るだけ買い物は私がする。
重いものは私や父が車で買うようにしている。
それでも母1人で出かけた帰りに
食べたいものや必要なものを買って来る。
食品の買い物って少しでもかさばる。
重いものは買わないで少しだけ買うと思っても
意外と重くなったり荷物が大きくなる。
母も注意はしているが仕方が無いこともあって
このくらい大丈夫と買って来るが
持っていてすぐに不都合が起こるようだ。

胸の全摘出手術後、重いものが持てないという現実。
痛むという現実。これは主治医に言ったところで
どうしようもない治療の代償なのだ。
「自分で気をつけていくしかない」と言われるだけなのだ。

私は私で治療後はどうも腸の働きが不安定に
なった。がんとわかる前にも若い頃に比べて
腸の働きが鈍くなったような気配はあったが
放射線治療開始後から、排便の定期的なリズムが
狂ってしまった。

以前は朝食後にきちんとお通じがあった。
1日1回。だが治療中から、突然の強い腹痛が来て
トイレに駆け込む。朝食後はもちろん、午前中に
腹痛はしてもトイレに行くと何も起こらず戻るを
数回繰り返す。昼食後にも腹痛トイレ駆け込みは起こる。
出きらない感じも多く1度に出来れないから何度か
トイレへ走る。それでいて便秘で3日ほどお通じが
無いこともたまにある。こういうことが本当に
多くなった。

過敏性大腸症候郡の症状にも似ている。
原因が本当に放射線治療によるものかどうかは
わからないけど、全く無関係なわけも無いと思う。

野菜が好きなので食物繊維は摂っている。
ただ野菜の食物繊維より海草の水溶性食物繊維の方が
私はお腹が楽だ。りんごもお腹が張ってしまう。
(今になって食物繊維は大腸がんとは無関係という
結果が出てきたが)

私の腹部の不調は食べ物や運動、冷えに
気をつけてみるということが出来るが
母の手術後5カ月にしてもまだ胸に痛みがあるという
のは自分でどうすることも出来ないから大変である。

早いもので来月は母の退院後6カ月目の初めての
経過観察の診察があるので今の状態を
しっかり告げて来るよう言っておこう。


























手術後4ヵ月経過のQOL

2007-01-06 | 母は乳がん?
昨年の秋に胸の手術を受けた母は
一応今のところは普通に生活を送っている。

実は手術後の診察から母は自分から
胸のことに関する話題は一切しないので
私もそれがいいのかわからないが
あえて触れていない。
聞きたいことはたくさんある。
胸の気持ち悪い違和感はないのか。
痛みはないのか、手先や腕、胸に
つながっている筋肉の動きに問題はないのか。

台所で料理する母の固いものを包丁で
切る際の少し力の入れ具合が辛そうな感じが
時々見受けられるが、それも聞けずにいる。

何も話さないというのは我慢していることが
あるか、全くないかのどちらかだと思う。
きっと何もないわけではないだろう。
言ったところで、今さらどうにならない、
後の祭りだと母自身の「がっかり」が
何も言わないでいようと思わせている。
きっと私が「だから簡単に手術受けても
ダメなんだよ」と言い返してくるに違いないと
思っているからだ。もうそんなことは
私も言うつもりもない。だって本当に
今さら言ってもどうにもならないのだから。

母の生活の質は落ちていない。
逆に母も私同様、やりたいこと、行きたい所、
食べたいもの、着飾ることなどに積極的になった。
以前より辛抱や我慢も少なくなった。
今、私は、とりあえず今までと変わりなく普通に
接っしていくしかない。

病理組織検査~病理医からの報告

2006-10-10 | 母は乳がん?
手術後の切除部位から組織診、補助療法の
有効性があるかどうかの病理検査を行った
病理医の結果報告をプリントで主治医から
渡された。

ほとんど英語であるにも関わらず
医師からそれについての詳細説明は
なかったので自分でネットなどで調べてみた。


―病理組織検査結果―

採取日  受付日
患者NO  氏名   年齢
性別
科名 外科

臓器/材料 乳房

診断:乳がん

摘出した腫瘍から4つのプレパラートを作り
そのうちの1と2のプレパラートは
浸潤性乳管がん            ←一般的なありふれたタイプのがん
組織型 乳頭線管がん 
細胞変化 リンパ管(-)血管(-)  ←どちらも腫瘍細胞なし

3のプレパラートは 
浸潤性乳管がん 
組織型 乳頭線管がん
細胞変化 リンパ管(-)血管(+)  ←血管の中に腫瘍細胞があり

4のプレパラートは
浸潤性乳管がん 
組織型 乳頭線管がん
石灰化あり
細胞変化 リンパ管(-)血管(-)

1~4のどれの腫瘍細胞はがん細胞としては
細胞の異型は強くなく悪い顔つきはしておらず
悪性度は低いと思われる

―追加報告―

免疫染色結果

HER-2 score:0      ←陽性反応があると悪性度が高く
                進行が早いので早期の処置が必要
                
E R:陰性(陽性率:0%)   ←エストロゲン受容体   陰性
                プロゲストロン受容体  陰性
PgR:陰性(陽性率:0%)    ホルモン療法の有用性は低い。


----------------

報告内容全部を訳して記述するのは
大変で専門家でなければわからない部分も
あるので省略もある。
「大体、こんな感じらしい」ものだ。
(病理医本人でないから正確ではない)

医師も詳しく説明しなかったのも
本当に14ミリのしこりのうちがん細胞変化は
わずかで(異型は強くない)悪性度も低く
抗がん剤の必要性、効果についても
陰性でホルモン受容体なしということから
補助療法もせず6ヶ月後の経過観察と
なったようだ。

(どうせ渡してくれるなら患者にわかりやすくして
くれればいいのに)

血管に見つかっているのと石灰化があるのは
気になるが..まあ、深刻ではないので。

病理組織検査は興味深い。
微妙な細胞の違いから誤診も多いが
切り取ったしこりから直接診ていくので
説得力もある。
素人には難しくてわからないことも多いけど
知ることが出来れば自分のがん、今後や
治療の必要などを決める重要な情報。
自分のがん、自分のことだから
ぜひとも患者に渡すべきだ。

今回、すべての検査結果はプリントで
渡してくれたので(CT、マンモグラフィー、
骨シンチは、それぞれ放射線画像診断科医に
よる診断報告だったし)それだけは患者自身が
納得出来るし検査履歴として管理し
セカンドオピ二オンにも使えて良い。
3年前の私の時にはこんなサービスは
無かった。最近の傾向だろうか。


 

退院後初の診察 (2)

2006-10-09 | 母は乳がん?
私は抗がん剤の治療が無いことに安堵する。
ホルモン剤も不要に違いないとふんでいたので
その通りでホッとする。手術で乳房全摘したのだ。
この上また副作用のある薬など、イヤだ。

14ミリのしこりのうち、がん病変してた部分は
きっと少しだったのではないか。私はまだ病理検査の
診断や医師の診断には疑いを持っている。
しばらくそのまま無治療で様子見していくので
十分だったのではないか、少なくとも乳房温存
(くりぬき法)適応で、全摘する必要はなかったと
強く信じている。

医師からの説明が無ければ聞こうと
思っていたら、医師も私なら聞いてくる
だろうとやっとわかったのか、きちんと
今までの腫瘍マーカーの検査結果をプリント
してくれた。
腫瘍マーカーはCEAとCA-15
入院前の採血でCEA 1.1 →入院時の採血 1.0 (正常値 4.9以下)
     CA-15 4.8            5.7 (正常値 27 以下)
どちらも手術前で初めから数値が低い。
私の場合は治療前は正常値を越えていて
治療後、正常値の範囲内に落ち着いている。
子宮頸がんであった時は数値が高く治療後は下がった。
初めから低いのであればマーカーとして観察
していく有用性がないように思うのだが。
(早期の場合は数値が低いことがあるらしい。
「母は本当に乳がんなのか」は転移・再発でも
しなきゃ一生わからない。
マーカーの数値はあてにならない。一応の
目安になるが数値の上がり下がりが確実にがん
と関係するかは微妙だったりするらしいが)
他に見ていくべき重要なマーカーもないということ
だろう。

痛みは人によっては数年続くことも
あるらしいから、なんとか上手く誤魔化して
つき合っていくしかない。

経過観察は母1人でも来れるだろう。
面倒で深刻なこういう付き添いも一応
今日まで。

もう2時だ。美味しい豪華な昼食を考えて
いたが2人とも空腹で仕方なく病院内の
レストランへ。安心も手伝って母も
パクパク食が進む。食べ終わる頃は
さすがに人も少ない。

7月後半から始まり10月頭で
母と私のこの大試練は第1段階なんとか
終了した。

この間の過重なストレスはお互いに相当
体全身にダメージを与えたはず。
病気発見から病気の治療終了までが
こんなにしんどいってどうなんだろう。
病気治療中にストレスがあっては軽い病状も
治らず悪化しそうだし、別の悪いものが
育ちそうだ。体に悪い不安な治療中って
間違っている。

病気発見から治療終了は、あまり心配もせず
信頼出来る医師で安心していられると
いうのでなければマズイはずだ。

ものすごいストレスからは解放された。
ちょっとは喜んで「忘れる」ことも
疲れた体にいいだろう。


退院後初の診察 (1)

2006-10-08 | 母は乳がん?
退院して3週間程して、ついに憂うつな
診察日が来た。受付時間は8時30分~
11時30分まで。どうせ早くから行っても
2時間以上待たされるので11時30分に
ギリギリのところで受付する。
案の定、この日も外来はものすごい人で
やはり2時間待たされ順番が来る。

診察室に入ってすぐ傷を見るというので
診察室内の横のカーテンを引き上半身を脱ぐ。
着替えの間に私へ医師がプリントを渡した。
「レセプターは無かった」えー。ホルモン療法の
有効性があるかどうかのホルモンレセプターの
病理検査の結果は陰性。ホルモン剤は効かない。
ということは場合によっては抗がん剤?
ヤバイ方向へ話が行くのか..。

カーテン越しに医師は母に痛みはないかと聞く。
母は痛みと胸の硬さや不快感を訴える。

イスに戻って切り取った図を書き
「どうしてもこの傷の中がくっついてしまう
までは痛みやひきつれ感は出るんだよね」
リハビリに効果はあるかと聞くと
リンパ節を取った人には必要で効果があるが
母にはリハビリも意味は無いとのこと。
「リンパ節取ってたらもっと大変だよ。
脇はいじらなかったから、この程度で済んでる
んだよ」リンパ節郭清なんて受けようとは
初めから思っていない。まるで医師自身が
切らなかったことを感謝しろという風に
少し感じるような言い方だと母も私も思った。
(だったら温存ならもう少し楽なんでしょうに
なぜ先生は出来ないの?と言いたくなる)

「皮膚の塗り薬出そうか?」と医師。
私「どんな効果のある薬なんですか?」
「傷の炎症を治していく」ものだというので
気休めだとは思うが処方してもらう。

「やっぱり乳がんなんだけどホルモン剤は
効かないから..(この人、もったいつけて
言う。結論から言えばいい。医師の中には
こういう人が多い。意地悪?)

この時の話しの内容を前々から考えてどれだけ
ドキドキして緊張していたことか。
メモ用紙に「腫瘍マーカー」と書いた。
母が私を不安気に見て「何?」と小さい声で
聞いたのでとりあえず「採血するの」と教えると
すかさず医師は「採血」と書き加える。
(母はここで私に聞くんじゃなくて
目の前の医師に「それは何ですか?」と質問すべきだし
医師も患者に「がんに関係する血液の検査で
採血です」くらいの簡単な説明をすべきだ。
もちろん、もっと詳しく教えるのが本当だろう。

患者はその時その時「ん?何だろう?」と思ったら
すぐに質問しなくてはいけない。聞きにくい、時間を
取らせてしまうと気を使うのが患者。
そこは医師がきちんと、わかるように話すべきだ。
私もここでミスをした。私が母に簡単に採血と
言わず「先生に聞いてみよう」と言って
医師の口から詳しく話させるべきだったが
良く解釈するなら、医師も私が普通の患者家族
よりも詳しいことをわかっているので省いたと
いうことかも)

「それと画像検査」マンモグラフィーが2度と
イヤな母はここはすかさず「何ですか?」
CTと骨シンチで母はホッとしている。
次回の診察は来年の4月。6ヶ月先。
やはりこれは結構、安心していいという意味だろう。
             (続く..)