私の宝物

旦那、6歳チビ太。2歳の豆太。との生活。ハンドメイドも初心者ですが頑張ってます。

星になったお父さん

2005-07-31 05:16:54 | Weblog
13日、納棺がありました。
若い女の子が、お手伝いにきたのですが、
さすがプロ。てきぱきと準備していました。
私は、その間、線香を絶やさぬよう見ていたのですが、
お父さんが寝ている部屋に、親族が集まり始めました。
お父さんのお姉さんが言いました。
「あなたは、お腹大きいから、ここにいないほうがいいんじゃないの?」
???私は、意味がよく分からなかったのですが、
何か気持ち悪いことするのかな?
だから気を使ってくれてるのかな?
と、とってしまい、
「だぁいじょーぶですよ」
と、笑顔で応えてしまいました
ところが、お母さんが、お手伝いに来ていた若い子に
「この子、今、お腹5ヶ月なんだけど、
あんまり、ここに居ないほうがいいんでしょ?」
と聞きました。
「あら、そうだったんですか?気がつきませんでした。
そういうことなら、あまり参加しないほうがいいですね。」
意味が分からないまま、私はその場を退散しました。
後からよくよく聞くと、亡くなった人が寂しがって、
お腹の赤ちゃんを連れて行ってしまうことがあるから、
妊婦は普通、参加しないのだそうです。
しかも、5という数字、普段ならご縁がありますように
というような縁起をかついだりする数字なのですが、
こういう場では、
縁があっても困るからと避けられる数字らしいです。
棺の中に入れるお金も、5がつくお金は避ける。
小銭がないからと言って、
人から借りてまで入れるのは、よくない。
という事を知りました。
お父さんが、赤ちゃんを連れていくようなこと
するわけないのですが、ここは、言われというものに従いました。
もし、どうしても参列する場合は、ポケットに
両面の鏡を入れておくといいそうです。
魔除けみたいなものらしいです。
そんな準備あるわけないので、火葬も行かずに
お別れとなりました。
14日に火葬でした。
私は行けないので、少しでもチビ太と一緒に居る為、
おじいちゃんに最後のお別れをさせるため、
保育園を休ませ、見送りに参列させました。
が、お父さんが構ってくれなくて泣き叫び
何をしても泣き止んでくれず、
かなり迷惑な空気だったので、車に閉じ込めてしまいました。
お父さんと、親族を乗せたバスが出て行き
ようやく車から降ろすと、汗びっしょりで泣いていました。
私もイライラしてしまっていたので
「おじいちゃんと最後のお別れなのに、
なんでいい子にできないの?もう行っちゃったよ!」
「いい子にするからぁー」
と言って、泣き止んでくれましたが、可哀想に・・・
我慢させてばっかりです。
チビ太もかなり寂しい想いしているようで、
大好きなお父さんとなかなか会えず、会っても忙しくて
構ってもらえないので、ストレスからか、
シック?っていうのかな?という症状
目をやたらパチパチさせる症状を見せていました。
可哀想ですが、私もいっぱいいっぱいで、
留守番の間も電話に出たり、セレモニーの人との打ち合わせ
和尚さんとの打ち合わせなどがあり、
なかなか構ってやれず、絡んでじゃまするので、
無意識のうちペンッと思い切り頭をたたいてしまい
こんな事なら保育園に行かせれば良かった。と後悔しました。
寂しさで、いつもより聞き分けも悪くなっていました。
(今は、シック症状もなくなり、穏やかになりました)
チビ太は、やはり死ぬということが、まだ分からず、
さっきまで棺の中に入っていた
おじいちゃんが居た場所を見ながら、
「おじいちゃんは?」と聞いてくるので、
「おじいちゃんは、お星様になったんだよ。
いつでもチビ太を見ているからね。」と、教えました。
そんなこんなで、ろくに睡眠もとれずに
17日の葬儀には、たくさんの方が参列してくれました。
私は一番前に座っていたので、よく分からなかったのですが、
一番大きい会場を用意してもらったにも関らず、
立っている人もたくさん居たということです。
人の死で、その人の価値が分かる
という話を聞いたことがあります。そんなお父さんでしたが
消して目立つような人ではなく、口数も少ない人でした。
たくさんの人たちの涙で送られたお父さんを尊敬しました。
私もそんな人生がいいなぁ~
と強く思いました。
大人数の中では、いつのまにか仕切ってしまう
結構でしゃばりな性格だと思うので
お父さんみたいな、穏やかな人間になりたいと思うのでした
チビ太は、最近、星を見ると「おじいちゃん?」
と聞いてきます。(ちゃんと話を覚えているんだな)
この前、ちょっと恐い事を言っていました。
「お母さんのお腹におじいちゃんがいる」
それって生まれ変わり?ってことは、また男の子なの?
ちょっと複雑な心境になってしまいましたが、
本当のとこは誰も分かりません
旦那もそれを聞いて笑っていました。
私たちの生活が、また穏やかなものに戻ってきています。
お父さん、安らかにお眠りください

12日その後

2005-07-27 14:50:13 | Weblog
お母さんと、お姉ちゃん、お父さんのお姉さんが
病室で、看護婦さんと一緒に
お父さんの体をきれいに拭いたり、髭を剃ったりしていた。
私は、廊下の椅子に座り、まだ止まらない涙を拭いていた。
葬儀屋さんが迎えに来た。
旦那とお母さんが一緒に車に乗ってこれから家へと帰るらしい。
荷物を全部運び、私も家へ向かった。
家では、家具を運んだり片付けをしたりと、みんな大忙し。
掃除や食事の支度も親戚の方達がやってくれている。
お腹が大きいのだから座ってろと言われるのだが、
こんなとき落ち着いて座っていられるほどの根性は私にはない。
私は、邪魔にならないよう、トイレとお風呂の掃除をした。
別れを惜しんでいる暇などないといった感じだ。
セレモニー会場の人が来て、進行の説明をしてくれる。
何も分からないが、私がそれを聞くことになった。
取り合えず死亡届を出すように言われ、お姉ちゃんが行ってくれた。
亡くなったのは12日午前6時半。
次の日に火葬というのも難しいらしい。
葬儀の日取りが決められる。
ある意味、早い者勝ちみたいなとこもあるらしく、
早めに予約を入れないと予定がくるってしまうということだ。
火葬も通夜もしてない状況で、次の日は無理。
友引は避けるのが普通で、14日も駄目。
それに加えて、地元では、子、丑の日は避けるらしく、
15日、16日も駄目だという。
一番早い、17日(日)に決まった。
酒田のほうは寅の日も嫌う風習があるらしいが、
こっちでは、そこまでこだわらなくていいと言う。
必然的に、前日の16日が通夜、
火葬は、役場に届け14日に決まった。
それに向けて、何度も何度も、準備や打合せが行われる。
会場の大きさは。。。分からないので大きめにしてもらった。
祭壇も色々あり、ものすごい金額にびっくりした。
が、中の下くらいのものにしてもらった。
とにかく決めなきゃいけない項目がたくさんある。
仕事の関係で、農協の葬儀やさんにお願いしたのだが、
こういうことは葬儀のプロに任せて正解だと思った。
お金はかかるけど、何も分からない状況から
段取り良く話を進めてくれたり、アドバイスをもらったり
頼まずに葬儀をやっていたら、パニック状態の上に
色々な問題が覆いかぶさって、スムーズにはいかなかっただろう。
最終的には、和尚さんの都合になるから、
和尚さんに確認をとって連絡くれとのこと。
宗教もお寺も決まっていなかったので、
近所に住む親戚の勧めもあり、近くのお寺の和尚さんに頼んだ。
早速お経を読んでくれ、和尚さんとの打合せ。OKだった。
色々しなきゃいけないことがあって、ひとつやってるとき
次から次へと問題発生。結局、最初にやっていたことを忘れる。
あと、お客様、親戚への気遣い。お茶だしはもちろんだけど、
普段、気が利かない人間が、気を使おうと頑張ると、
空回りして大変だった。最初から、ひとりでやろうとしないで
頼んだほうがいいようだった。
お葬式するのって大変だなと思った。

7月12日

2005-07-26 16:59:44 | Weblog
なかなか寝付けず、結局寝たのは3時頃になってしまった。
チビ太は、ババと一緒に寝ていた。

朝6時 携帯が鳴った。
ハッと飛び起きて電話を取った。
「危ないから、すぐ来たほうがいい」
旦那が電話をくれた。
急いで行こうとしたが、
保育園の準備をするのを忘れていたことに気がついた。
(あれだけ眠れなかったのに、私何やってたんだろ)
頭がぼーっとして、思うように動かない。
ようやく準備をして、病院に向かう。
帰ってくるとき安定していたので、きっと大丈夫
と思い、涙も出なかった。
病室に向かうと、廊下にお母さんと、お姉ちゃんが抱き合っていた。
(そんなに良くないの?)
と思いながら、何も言わずに病室に入ると、
お父さんは、息を引き取った後だった。。。
力が一気に抜ける。間に合わなかった。。。
自分を責めて、泣き崩れてしまった。
(保育園準備さえ、寝る前にしておけば間に合ったのに・・・)
旦那は、私より辛いはずなのに、私の肩を抱いて、
「俺の連絡が遅かったんだよ。ほとんどの人が間に合わなかった。
お前のせいじゃないから心配するな。お腹の子に障ると悪い」
と言って涙をこらえながら慰めてくれるのだった。
ギリギリまで、脈も血圧も安定していたそうで、
看護婦さんも、危険な状態だということが
分からないくらいだったという。
ずっと苦しそうな顔をしていたお父さんも、
とても穏やかな顔をして眠っていた。
昨日まで、旦那はお父さんに、「頑張れ、頑張れ」
を繰り返していた。やっぱり自分の親。
逝かれてしまうのは辛かったらしい。
が、今日になって、
「もう大丈夫だから。俺が頑張るから安心してくれ」
と、お父さんに伝えたらしい。
その後、お父さんは、その言葉を待っていたかのように
ゆっくりと最後の呼吸を大きくして、
安心した顔で永遠の眠りについたという。
64歳 まだまだ若いという人がほとんどだったが、
初代で小さいながらも会社を立ち上げ、家族を守ってきた。
12年前、命を落としていたかもしれない病気をしたのに
今まで頑張ってきた。仕事に命を賭けていた。
本当に頑張ったと思う。
これからは、私達が頑張って会社を支えていきます。
安心して休んで下さい。お疲れ様でした。

ウルトラマンセブンのお守り

2005-07-25 16:17:19 | Weblog
7月10日
どんどん痩せていくお父さんに不安を感じました。
痛みが強いようでした。
のたうちまわるほどなのでモルヒネの量も増やされました。
この薬は、麻薬です。
痛みは和らいでも、幻覚が見えるだけでなく、
体にものすごい負担がかかるらしいです。
幻覚が見えると、お父さんは常に仕事をしていました。
一度、2日間、退院したときも、寝ていなければいけないのに、
事務所に出て、仕事をしていました。
それをみた私は、
「寝てろって言わなきゃだめでしょ?」
と言ったけど、誰も、注意できなかったようです。
仕事をしているときが、1番幸せに思ってることを、
みんな知っていたから。。。
少し前まで、チビ太が
「おじいちゃん、ちゃんと 食べれの」というと、
「チビ太に言われたなら、食べなきゃな」
って頑張って食べていたのに、ぜんぜん食べられなくなり
骨と皮状態で、お腹には内臓も入ってないような感じでした。
私達の声には、もう反応はなく、
唯一、チビ太の声はよく聞こえているようでした。
ずっと寝たままで反応がないのに不安になった私に、
「日曜日ともあって、親戚や友人が沢山見舞いに来たから、
疲れちゃったんだよ。きっと・・・」
とお母さんが言うので、それならいいけど・・・
と、長居しないように、少しだけ顔を出しました。
チビ太は、「帰るからね。頑張ってね。タ~ッチ」
と言いました。こんなときに、タッチなんかできるわけないじゃん!!
と思いましたが、お父さんは、手をあげて、
タッチしようとしてくれるのでした。
そして、チビ太は、持っていたウルトラマンセブンの人形を
お父さんの手に握らせ、「貸してあげる」
と言って、旦那を残して帰りました。
パパっこなので、騙し騙し大変でした。

7月11日
朝、チビ太を保育園に送った後、旦那からTELがありました。
「危ないかもしれない」
会社にTELを入れて、休みをもらい、病院へと向かいました。
行く途中、涙が止まりませんでした。

12月31日に救急車で運ばれ、入院したお父さん。
医師に前立腺癌と申告されました。
病院に運ばれたときは、もう末期で、手術のしようがないと言われ
お母さんは、本人に告知しないよう、ひたすら隠していました。
「末期でも3年位生きる人もいるから、気を落とさないで」
と言われたらしいです。
12年前、美空ひばりと同じ肺炎をこじらせ、
薬の副作用で足の骨がボロボロになり、
お父さんの両足にはボルトが入ってます。
命はとりとめたものの、身体障害の体になりました。
腰や背中が痛いと言っていたのは、その後遺症だと思って、
湿布を貼ったりして、痛みをごまかしていたようです。
「血尿が出たり、残尿感があったりしていたはずなんですが・・・」
と医師に言われても、
お父さんは、一言も弱音をはかなかったので、誰も気がつきませんでした。
仕事を休んで医者に行くのが大嫌いなお父さん。
こんな状態まで我慢していたなんて、苦しかったでしょう。
人に、ものすごく気を使うお父さん
辛いはずなのに、入院中も、見舞いに来てくれたお客様を
必ず、廊下まで見送っていました。
ベットの上でも仕事ばかりしているお父さん
「いい加減 息子さんに任せたら?」
と、看護婦さんにいわれると、思い切り手を横に振って
無理無理といわんばかりだったそうです。
とにかく仕事のことが心配。息子はいつまでも半人前扱い。
「技術は、絶対 俺のほうが上なのに・・・」
と旦那は言うけど、お父さんは心配でしかたがない様子。
いつまでも 子供は子供なんだな。。。
こんな状態で逝くわけない。あまりにも早すぎる。
そう心の中で叫びながら病室へ着くと、沢山の親戚がいた。
青白い顔で、息も荒く、辛そうで涙が止まらなかった。
せめて痛みがなければいいのに・・・
お父さんは、セブンの人形を握り締めながら頑張っていました。
息をするのがやっとなのだそうです。
時々、痰がからんで、呼吸が難しくなるようで、
時々、吸引で看護婦さんに取ってもらうのですが、
ものすごく苦しいらしく、苦しむ割にとれず、
出てくるのは、血なのでした。
かなり体力が消耗するらしいので、
どうしようもないときだけお願いしました。
昼を過ぎ、顔色もよくなってきました。
熱はあるけど、症状も安定し、少し安心しました。
夜11時頃、私は泊り込みするつもりで、
チビ太は、ババにお願いしていたのに、
「妊婦なんだから、帰って休みなさい」
と、みんなから言われ、旦那からも
「今、落ち着いてるから。大丈夫だから、休め。
なんかのときは連絡するし・・・」
ということで、心配だったけど、
後ろ髪惹かれる思いでとりあえず帰ることになりました。
セブン、お父さんを守って!!







久しぶりの投稿です

2005-07-21 11:51:24 | Weblog
私は、チビ太に、少しでも、おじいちゃんの顔を覚えていてほしくて
風邪気味以外は、毎日のように病院へ通っていました。
お父さんも、チビ太が来ると嬉しいようだったので、少しでも元気になってもらいたかった。

7月8日 チビ太と二人で病院へお見舞い。
七夕飾りの効果があったのか、前日、苦しそうな表情をみせていたけど、
点滴も外れ、友達のお見舞いに手をあげたりと、反応を見せていました。
まだ熱があり、無理はできないけど、回復に向かっていると信じていました。
チビ太が、「おじいちゃん頑張ってね」というと、
目を閉じたまま笑顔を見せ、両手を広げ、抱っこするポーズをするのでした。
7月9日 前日は少し安心して帰ってきたのに、苦しそうな表情で眠っていました。
疲れきってるお母さんを休ませるため、
「お父さん大丈夫だから、眠れないのは分かるけど、少しでも布団に横にならないと、お母さんも倒れるよ。今日は家に帰れ」
と言い聞かせ、旦那が変わって泊まり込み、付き添いしました。
喉が乾くようで、声にならない声で「水」と言われ、うまく飲めず吐いてしまい、逆に体力を消耗してしまうので、水を含ませた脱脂綿で、口の周りを
濡らしてあげることしかできないのでした。
乾燥で口の中や喉の奥が切れて、血だらけになっているらしく、
旦那が水をあげても、「うまくねぇ」と言うのだそうです。
少しでもおいしい水を飲ませたくて、ちょうど看護婦をしてる、お姉ちゃんが来てくれたので、コンビニに走って、全種類の水を買い占めて、あげたけど、
「まずい」と言われるだけだったそうです。
元気な頃は、会話もなかった旦那とお父さん。
入院しても、お見舞いにも行かずにいる旦那を叱った時、
「自分が見舞いに行ったら、逆に不安にさせてしまうから、今、
自分ができるのは、仕事を一生懸命やって、認めてもらうしかないんだ」
と、それまで涙も見せずにいた旦那も、我慢していたものを吐き出すように泣きながら話すのでした。
そして、今になって、一生懸命看病している旦那に泣けてきました。
少し前まで、落ち込んで暗い雰囲気の旦那に、どんな言葉をかけてあげればいいのか分からず、
どんなふうに支えてあげるべきか悩み、安心して仕事に打ち込むようにすることが務めだと、私なりに頑張っていました。
泣いてばかりいるお姉ちゃんやお母さんの前で、男だからと弱音も吐かずに
頑張っていた旦那。
一番つらいのは、お父さんだけど、旦那の頑張りも、私は見ていました。
仕事人間のお父さんだからこそ、会社の事が一番心配だったに違いません。
会話はなくても、親子だなぁって感じていました。

実は・・・

2005-07-12 00:10:03 | Weblog
今朝、旦那から連絡が入り、
お父さんの容態が良くないとのことで、(今日がやまだと言われた)
仕事を休んで一日中 病院に居ました。
最近、旦那も病院に交代で泊まりこんでいたのですが、
いよいよという感じで、親戚全員に連絡し、
たくさん、お見舞いに来てくれました。
病名は。。。前立腺癌
私は、去年からわかっていたのですが、
お母さんが告知しないという答えを出したので、
どこから漏れるかわからないので
親戚にも、周りにも隠して今まで来ました。
今朝は、顔色も悪く、緊迫した空気が流れていたのですが、
なんとか落ち着いて、みんな私の体を気遣って
いったん帰って寝るようにと言われました。
こんな時に、こんな体で、私が一番元気なのに
かえって気を使わせてしまうようで、
心配で眠れないけど帰ってきました。
旦那は、今日も付き添いです。
最近ずっと、旦那も疲れてイライラしたり
落ち込んで、マイナス思考になってて、涙したりと
情緒不安定でした。
でも、なんて声をかけていいのかわからず
ずっと悩んでいました。
でも一番苦しいのはお父さん。
すごく気を使う人なので、夕方、チビ太が保育園から
会いにいくと、ほとんど意識がないのに
「じいちゃん がんばれ」っていうと
手をあげて反応してくれてました。
チビ太が貸してあげると置いて行ったウルトラマンセブンの
人形を握りながら、今、必死に病気と戦っています。
明日、もっとよくなっていますように・・・
しばらくブログお休みすることになりそうです。


パンツ生活

2005-07-10 00:56:49 | Weblog
あれだけ無理だと思っていた おパンツ生活。
チビ太君、意外とやってくれます
保育園でも、おもらし少ないようで、意外と優等生でびっくり。
ちょっとあなどっていたようです
これもぜ~んぶ先生のおかげ
最近、「お○っこでるー」と教えてくれるのが嬉しい
一緒に言って○ン○ンを、私の人差し指と親指で
つかんであげて立ち○ョンするのですが、
終わった後の爽快感が何とも言えない
うん○は、たまに失敗しちゃうけど、
大好きなマジレンジャーパンツを汚したのがショックで、
「洗うー」
と言って、お風呂場に持って行って、洗面器にお湯ためて
自分で洗う姿は、何とも愛らしい
ま、ただの親バカですが、
今日はそれでちょっと大変な想いをしました。
朝、「何かお腹痛い」(うん○の合図)というので
急いで便座に座らせようとしたら、つかまるとこに
思い切りチビ太の玉玉をぶつけてしまい、大泣きされ、
しまいには、うん○も出ないという
タマタマがやぶれてないか心配でしたが、よく確かめて
大丈夫そうだったので、出ないまま2人で○ャス○にでかけました。
3時間ほど居たでしょうか。
その間、「ウン○出る」3回
「お○っこ出る」3回 
そのたびに、チビ太を小脇にかかえ、妊婦ダッシュしましたよ
時と場所を選ばないから、レジに並んで、もう少しって時や、
食事中など、食い逃げ?って思われないよう店員探して断ってダッシュ・・・
大変だとは聞いていたけど、ほんと、オムツのほうがらくですね
でも、立ち○ョンは病み付きです

昨日は七夕

2005-07-08 15:16:57 | Weblog
写真撮れば良かった
昨日は、多分、生まれてはじめて、まともに七夕しました
保育園に迎えに行ったら、体中落書きだらけのチビ太が居ました。
入れ墨のつもり??
保育園から笹の葉をももらい、去年から入院してるじいちゃん(旦那の父)の分ももらって、そのまま病院へ。
チビ太が保育園で作った飾りは、全部おじいちゃんにあげました。
「早く元気になって、退院できますように」と短冊に願い事書いてきました。
具合が悪そうで、意識もなく、眠っていたけど、起きたら喜んで見てくれますように…
そう願いながら帰ってきました。
ご飯食べたら、九時近くなってしまい急いで家での七夕。
ちょうど旦那も帰ってきたので、一緒に書いてもらいました。
チビ太は、よく分からない絵
旦那は「嬉しいこと、楽しいことが、ずっと続きますように」って小学生みたいな短冊。
私はもちろん「元気な赤ちゃんが産まれますように」
飾りを作る時間なくて、ちょうどチビ太がカラフルだったので、
「チビ太が ここにぶら下がってれば?」
と冗談いったのですが、「いやだもんねー」と言って、お風呂に向かうのでした
が。。。。しかし、なかなか取れず、今朝、先生からも「やっぱりとれな
かぁ」って笑われてしまいました。

悲しい出来事

2005-07-06 11:44:15 | Weblog
このブログ、チビ太の日記とか言いながら、
チビ太の最近の様子とか載せるべきなんだろうけど、
全然 書いてない気がする。
題名を変えようかなとも思ったけど、目的はそれだったわけだし
でも そればっかりだと、私がつまらなくて続かないから
こだわらずに 更新していこうと思いました

ということで、今朝、出勤時にショックなことがありました
なんと、スピード違反で捕まってしまいました
40キロの道を20キロオーバー
こればっかりは自分が悪いから仕方ないのだけど、
皆さんは、素直に切符切られますか
私は、警察が大嫌いなので、見るだけで敵対心を燃やしてしますのですが
とても素直にすみませんなんて言えない
いつも通らない道。たまたま会社の備品がたりなくて、
買い物に寄って通った道で、この出来事だったので、残念でならなかった
しかも、あと1キロ少なければ12000円の罰金のとこを、15000円の罰金だという
メーター計測で、ぴったり60キロでていたというから、
「ぴったり60てとこがあやしいもしかしたら59かもしれないじゃん
と、駄目だと分かっているのに悪あがき
結局、切符は切られるのに、無駄な時間をついやしてしまう
ああ 朝からついてない
旦那にメールしたけど、この前、お金落としたばっかりで、あきれてるのか、
シカトだった
今日は部長が来るのですが、やる気ゼロでーす



産後の悲劇 ①

2005-07-06 03:50:49 | Weblog
チビ太は10月8日午前2時53分に3150グラムで生まれました。
毛深いあたりは私にそっくり
背中は獣並みに毛が生えていた。
おっぱいの時間以外は休んでて と言われていたが、
かわいくて仕方がない。離れたくない。
お見舞いの人が、たくさん来てくれて、
チビ太のことを見ていったが、
私の友達、正直ものが多いので 
かわいいという言葉は口に出さなかった
自分でも 分かっていたし・・・
うん、チビ太は はっきりいって不細工。
ベビールームに並んでいる他の子達が、可愛く見えた
でも かわいい部類が違う
その不細工さも何ともいえない


生まれてすぐ、「ゴルフに行って来ていい?」と、母が聞くので、
こんなときに言う言葉かよ
と、思ったけど、「いい?」って聞かれて
駄目と答えるわけにいかず、本当は、持ってきてもらいたいものが
あったのだが、少しイラッとしながら「わかった」と答えた。
最初から、頼りにならないから 頼らないように・・・
と思っていたのだが、少しは頼みごととか聞いて欲しい。
ま、私も母に似て 気が利かないので仕方がない。
自分の甘えだな と、気持ちを押し殺した。

一番心配していたのは旦那の食事。
誰も作る人がいなくなるから・・・
実家に帰れば?と言ったけど、実家を出て結構なるので
部屋は物置状態だし、居場所がないし、
家にいたほうがいい。って帰らなかった。
弁当を買ったりして、気楽に暮らしていたらしい。
そして 第2に心配していた出来事
それは洗濯物。。。
私も頼らなくていいよう、
1回くらい着替えを持ってきてもらえればいいよう
準備してきたけれど・・・
旦那に着替えたやつと、産見舞いでもらったもの持っていってね
と持たせても 「車から下ろすの忘れてた。」
で、下ろしても、洗濯しかたがわからない
(私からしてみれば、何がわからないのかわからない)
説明したけどチンプンカンプンらしいので、
「母に頼むよう言ってくれ」って頼んだ
が、なかなか顔を合わせる時間がないようで、
置手紙という手段に出た。
母は、生まれてから1回も見舞いに来ないし・・・
もう着替えがなくて イライラ


そして やっと見舞いに来たのは退院前日。
「着替えもってきたよ~」
と入ってきた親にぶち切れてしまった
「今頃 持って来たって、荷物が増えるだけだろうが!!」
ありがとうって言葉が出てこなかった
少しでも 頼る気持ちを持ってしまった私が悪いんだけど
心のどこかでは そのくらい・・・と思ってしまう自分が居る。
退院してからも 問題は続くのでした。
愚痴っぽくなってしまうのですが、また次回