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梅の家

キャンピンカーの旅日記、山登、テニス、認知行動ワークショップ、グリーフケアなどの活動の記録、お知らせ。

「死に勝利する!」、恩師、寺園喜基先生(西南学院大学)

2024-06-01 14:03:26 | 日記

 

(さざえさん通りから、奥の建物は図書館)

 

(図書館の前にサザエさんと〇〇さんが立っている)

 

 

 寺園喜基先生は私にとって先生である。

そもそも寺園先生がどうして私の先生であるかはまずは、

神学部の修了論文の指導教授であったからである。

 

 実は私は栗田工業を55歳で早期退職し、

2004年、西南学院大学神学部に再度入学している。

牧師になるためであった。

 

 学部を2年で卒業し、3年次は専攻科に進んだ。

3年次はもっぱら、集大成として「修了論文」を書くことになっている。

「何について書くか」「何をテーマにするか」、それは西南神学部では学生に任されていた。

 

 

私は最初の妻の死がキリスト教に出会うきっかけとなったので、「

死」を神学的に掘り下げたかった。

確か、それを当時の神学部長に話したと思う。

 

 すると神学部長から、それなら「寺園先生が良いだろう」と言われ、

寺園先生に師事することになった。これが経緯である。

ただ、当時の寺園先生は西南学院の院長の職にあり、

 

 そういうトップの方にMan To Manで指導していただくことは正直、

プレッシャーであった。

また「それなりの論文が書けるか」、という重圧もかかっていた。

 

(神学部の恩師 寺園先生)

 

 

(渾身を込めて書いた終了論文 2007年)

 

  実は私は1971年3月にも西南学院大学経済学部を卒業している。

だから卒業論文を一度は書いている。

しかしその時の卒業論文は酷いものである。

 

 誠に恥ずかしい話だが、ゼミ教授の勧める3冊の本を、

繋ぎの3~4行だけ書いて、後はそれぞれの本を丸写ししていた。

そしてやったことは、「〇〇××」。いゃ、これは書かない方がいいだろう(笑)、

 

 ともあれ、それで何とか卒業はできた。

そもそも、学生時代、やってきたことはテニスで、

「テニス学部卒業です」、と周りにそう公言していたくらいである。

 

(車椅子テニスの「産みの親」、前田会長と)

 

 

 日本車いすテニス協会の会長はテニス部の後輩の前田恵理さんであるが、

彼女が新設なったSEINAN Woman of the Year(2017年) の初代受賞者になってスピーチする時、

当時の学長から「テニスばかりでなく、勉強も大事だと是非話してください」と

 

 半分以上本気で懇願されていたことを思い出す。

ともあれ、テニスしかしていなく、

結果、その時はそういう論文しか書けなかった。

 

 

 話を戻そう。確かに神学部長から寺園先生を勧められたのは事実であり、

それ故、寺園先生に出会っている。

しかし、私は寺園先生に出会う前に、「寺園先生の書かれた言葉」に出会っている。

 

(寺園先生が書かれた神学論集 この箇所を何度も何度も読んだ)

 

 

 それは2002年3月、西南学院大学学術研究所が発行した

『西南学院大学神学論集』に書かれた寺園先生の論文「秘儀としての死」に書かれた一文である。

「(中略)では、わたしたちは、安心して死ぬことが出来るであろうか。

確かに死ぬときは安心して死ねばいいのである。

 

 

 しかし、いわゆる安心かどうかは、決定的なことではない。

叫びつつ、慄きつつ死ぬこともあるであろう。

決定的なことは、いかなる死に方であれ、死に行く人はみな、神の将来の中に行くのだということである

 

 時間の中での命の終わりを、復活信仰は新しい命の始まりとみなす。

これが希望であり、永遠の命である。」

 

 

 端的に言えば、「終わりは、始まり」だという事である。

キリスト教信仰に於いて、この逆転が起こるのである。

「決定的なことは」、に始まるこの44文字が、

私の心を動かし、「寺園先生に就こう」、と決めさせた本当の経緯である。

 

 

(20世紀最大の神学者と言われたカール・バルト、寺園先生も師事された)

 

 そして20世紀最大の神学者と言われたカール・バルト著作の

『教会教義学 創造論 Ⅱ/3 造られたもの 下』の

「終わる時間」を読むように勧められたのである。

 

 もう、3冊の本を継ぎ合わせたような論文は絶対に書けない。

私は58歳にして初めて50から60ページ位の資料を真剣に何度も何度も読んだ。

カール・バルトの神学書は難解と言われており、確かに何度も読まないとわからない。

 

(旧チャペル、、ここからクリスチャンとして巣立っていった人は少なくない。赤いレンガ造りが特徴)

 

 

 そこから一般に言われる死が、「時間の中の死」という概念であることを知った。

そして「神の前に罪を犯した人間は、裁きとしての死を受ける存在になった。

しかし、イエス・キリストが人間の代わりに十字架に架かり死んで下さったことで、

 

 人間は神に赦された者に変わった」、、これがキリスト教の中心的な概念である「救い」であることも知った。

また、それ故、「時間の中の死」が決して悪いものではなく、

人間の本性として受け入れるべきものであることも教えられた。

 

  

  私は今、脳神経に起因するであろう、病名が特定しえない難病を抱えて日々を送っている。

この難病故、「時間の中の死」の「旗」が時には近くでひらめき、時には遠くに霞むこともある。

しかし、「決定的なことは、いかなる死に方であれ、死に行く人はみな、神の将来の中に行くのだということである。」

 

 

 というこの一文は、信じること(信仰)に於いて、

死と死にいく恐怖を打ち砕いてくれる。

だから不思議なことに私の日常は平穏である。

それ故、恩師である。

 

 

 私の修了論文のタイトル、これも寺園先生のアドバイスだが、

死よ、お前の勝利はどこにある!」(聖書の言葉)の通りである。

ここに導いて頂いたことは今の私にはとても大きい。それ故、

かって先生であり、今も先生であり、これからも先生である。


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