ワイルドストロベリー、その後

2006年05月27日 11時31分04秒 | Weblog
きたー、とうとう赤い実がなった。
一週間くらい前から。しかも1個でなくどんどん色づき始めて。
キャハハ、これってなんか起きちゃうかもってこと?
どーしよどーしよ

って、大喜びもつかの間…。
今朝、お水をあげようと見たら、無い無い無い。へたの先から綺麗に無い。
やだ、どこ、どうして?
食べられちゃったみたい。カラスかな、もうちょっとかわいい小鳥かな。
ショックショック大ショック

でもね、育て方のHP見たら、「できた実は収穫してください。そのままにしておくと、病気が発生したりして大変です。」って書いてある。
だからヨシとしようかな。自然の摂理とでも思って。
鳥さんが食べてくれたことで、また新しい実のつきも良くなるかもしれないし。
くれぐれもこれがまた変な象徴になりませんように
いやいや、悪い事は考えないぞーーー。





人と比べない

2006年05月25日 23時16分22秒 | Weblog
この歳になると、同い年でも人それぞれ。
中学生の子供がいるコ、仕事をバリバリこなしてるコ、趣味に生きるコ。
結婚に憧れるコ、恋愛よりも夢の実現に頑張ってるコ、結婚してても恋をしていたいと語るコ。

私の周りには、バイタリティー溢れる女性が沢山いる。
特に同じ病気の仲間に・・・。
病気をバネに、力強く突き進んでる。
先日も、自分のお店を始めようと頑張っている2人と飲みに行った。
ものすごいパワーに圧倒された。「へぇ~、すごい!」を連呼した。
元気をいっぱいもらう。と同時に少し落ち込む。
人と比べないって難しい。これでいいのか、私・・・って思ってしまう。
私は私。彼女達に無いものもきっと持ってる。頭ではわかる。でも心は複雑。
これでもだいぶ人と比べなくなってきた。でもまだ、事あるごとに揺らぐ心。

この曲が頭の中をグルグル廻る。
RIP SLYME の One 
   この世界にひとつだけ 君は世界にひとりだけ
     それぞれひとつのLife それぞれが選んだStyle 
     それぞれひとつのLife ひとつの愛を・・・






一つ勉強

2006年05月23日 23時16分50秒 | Weblog
今朝、suikaを拾った。
suika=お金チャージとかして、個人情報とか詰まってて、大事なもの・・・
きっと落とした人は相当困ってるだろうと思い、職場の方に向かってたのに、戻ってJRの窓口に届けた。
で、ちょっぴり遅刻
同僚に報告。
そして言われた。  「suikaってただのsuika?」
そう、私が拾ったのは定期になってるのとかじゃなくて、ただのsuika。
聞くところによると、定期になってなければ個人情報もなんも登録されてない。
kioskとかでも買える、パスネットとかと同じようなものなんだって。
ただ、チャージしてる金額が大きかったら大損害なのと、買う時に保証金500円払ってるから、その分損しちゃうことになるらしい。
だから、届けたところで持ち主に返るかどうかは???
そーいや駅員さん、ちょっぴり怪訝そうな顔した。
ふえぇぇん。なんだかすっごいいい事した気分でいたのに・・・。
まぁ、一つ勉強。新しい事覚えたって思えば、まあいっか



日本代表

2006年05月18日 17時18分48秒 | Weblog
ワールドカップ日本代表の23人が決まった。(http://inews.sports.msn.co.jp/football/japan_national/member/index.html)
フォワード、間違いなく選ばれると思っていた久保が外された。
最近の試合で果敢にシュートを放つ姿が印象的だった佐藤も選ばれなかった。
巻が大抜擢。高さでみせてほしいな。4年前の鈴木みたいに、シンデレラボーイ?になってくれるといいな。

人生何が起きるかわからないってまたまた思った。
どんなに努力してコツコツやってきたって認められない時もある。
久保はW杯に照準を合わせて体の事を考え、国内最後の試合の欠場を直訴していたと何かで読んだ。
メンバー発表の日も治療のために山形に行っていたって言うし、彼は彼なりの今できる事を精一杯やっていたんだろうな。
でもその想いは伝わらなかった。勝負の世界は厳しい

それにしても、またあの熱い日々がやってくると思うとワクワク
血が騒ぐぅぅぅぅぅ





家族旅行

2006年05月16日 03時22分56秒 | Weblog
日・月曜と日光へ家族(父・母・弟夫婦・甥っ子)で旅行に行ってきた。
一日目は東照宮の辺りを散策。二日目はレンタカーを借りて、奥日光をドライブ。
お天気も良くて、新緑が鮮やか。気持ち良かったぁ。(写真は竜頭の滝)
いろは坂をあがった上のほうはちょうど桜が見頃で、思わぬサプライズに感激
旅館もなかなか、お料理も温泉もよかったよ。

ただ、ただね、まぁこれは仕方のないことなんだけど・・・。覚悟の上での旅行なんだけど・・・。
ウイッグを外さずに、お風呂&寝るので疲れたぁ。
やっぱ見せられないんだよね、ありのままの姿。
で、つくづく思ったね。一人暮しの気楽さを。いやぁもう同居は厳しいなって。
そしてちょっぴり不安になった。この先、この頭を気兼ねなく見せられる相手に出会えるのだろうかって。
受け入れてもらうには、まず自分が覚悟しなきゃなんだよな。
そこの壁、自分が突破しなきゃなんだよな。引け目を感じない、動じない心。
もっともっと強くならなくちゃなぁ・・・



通勤トラブル

2006年05月11日 23時48分54秒 | Weblog
今朝もまた電車が遅れた。
トラブルが起きたのはJRだというのに、私の乗ってく私鉄もとばっちり。
振替輸送の影響でダイヤが乱れた。
横浜駅はホームへの入場規制をしていて長蛇の列。
行きたい方向に進めず、ぐる~っと遠回りさせられる
ついこの間も同じような事があったばっかり。
もーーたのみますよ、JRさん。
うちら派遣社員は遅刻したらその分時給引かれちゃうんだからぁ。


恥ずかしぃぃぃ

2006年05月10日 23時07分42秒 | Weblog
去年12月の健康診断の視力検査で、右目だけが急激に悪くなってて。
覗きこむ型の検眼だったんだけど、右目の時はかなり大きいCがぼやけて見えない。
えーーー、このコンタクト今年作りなおしたばっかなのに、右0.4、左1.2。すんごいガチャ目。
元々そうとう悪いのにそれがさらに進行するって、もしかして変な病気?、私の視力なくなっちゃうんじゃないのぉぉぉ??って、そん時はショックだった。
でもまだ1年もたってないし、両目で見れば見えるし、もうちょと頑張ってみよう・・・ってあれから半年たってしまった。
でもなんだか最近左も悪くなってきてるような気もしてきて、しょうがない作りかえるか~と思い、今日コンタクト屋さんに行った。

コンタクトは医師の処方箋がないと作れないので、まず眼科へ。
視力を測るのに看護師みたいな人がコンタクトを外してくれた。
で、一言。「これ、右左逆に入ってますね。」
あちゃぁぁぁまぢでぇ???
カルテを覗きこんでみると、右の方が度の強いレンズになってる。
って事は、それが逆だったって事は・・・・。見えなくなって当たり前よ。
あーよかった、と同時に恥ずかしいぃぃぃ。いやいやいや・・・。
正しくレンズを入れ直して、念のため検眼してみたら、両方1.2弱見える。
優しい看護師さんに「しばらくは違和感あるかもしれませんが、そのうち視力も安定してくると思うので、様子みてください。」と言われ、お金も取られず帰ってきた。

もぉ、なんてこった。いつ入れ替わったんだ。
半年間も気付かず。気づいた事は、私の目左右けっこう違うんだって事。
まぁ無駄な出費にもならず、よかったよかった。





GW終了

2006年05月07日 22時05分24秒 | Weblog
あー、今日で連休も終わっちゃう
5日間の~んびり、だら~りだった。
出かけたのはシーパラだけ。うぅっ
こんなまとまった休み、次は多分お正月まで無いだろうに。
もったいなかったかなぁ。でも今更、何を言っても・・・。
明日からまた、気合入れなきゃな。
これから暑い夏もやってくる。
休養、OK。チャージ、完了。ファイト、一発

悲しい目覚め

2006年05月06日 02時42分22秒 | Weblog
最近泣きながら目覚める事がある。
しかも号泣
今朝もそうだった。なんだかすごい悲しい夢を見ていたみたいなんだけど、
それがどんな夢だったのか思い出せない。
涙が流れるほど悲しいことって何だったんだろ。

以前泣きながら眠る事はよくあった。
脱毛がどんどん進んでいって、もう隠せないくらいひどくなって。
毎日毎日布団に入ると涙が溢れてきた。
今はそんな事も無くなり、ずいぶん穏やかな毎日を送っているのに。
潜在意識の中で、何か辛い事でもあるのかなぁ。
今日はいい夢みたいな


私の脱毛歴<発症~学生時代>

2006年05月05日 15時05分34秒 | 私の脱毛歴
私がはじめてこの病気にかかったのは、物心つくかつかないかの2歳ごろ。
自分の記憶には無い。頭の横っちょに10円ハゲを作りながらも無邪気にスイカにかぶりつく写真が残ってるから2歳くらいってわかるだけで・・・。
その時は一過性のものだったらしく、すぐに治ったらしい。

次に発症したのは、小学校2年の時。その時は覚えている。
GWに弟が腕を骨折した。すぐに手術で治す事もできたんだろうけど、牽引して自然に骨がくっつくのを待つとかいって、2ヶ月近く入院していた。
その間母がずっとつきっきりで看病する事になった。私は父と二人きりの生活。小学生とは言え、お母さんがいないという生活はとっても辛かった。
夏になってやっと母も弟も帰ってきて、普通の生活に戻った。
久しぶりに母と一緒にお風呂に入り、髪を洗ってくれた。その時だ。襟足の毛が抜けているのに母が気付いた。
母のいない寂しさがストレスになり、抜けてしまったのか・・・。
すぐに近所の皮膚科に行った。患部に紫色の電気(多分紫外線)をあててくれた。
しばらく通院したが、たいした効果もなかったからか、通院はやめてしまった。

そこから円脱のスイッチが入ってしまった。
それから治ってはでき治ってはできを、ずーーーーーーーーーっと繰り返す。

学生時代はいつもどこかに丸いのが数カ所あった。
水泳や体育のマット運動ではドキドキ。特に部活の柔軟体操は冷や冷やした。
二人一組になって背中を押す時に、背後から間近に頭を見られる。ばれるんじゃないかと気が気ではなかった。
もしかしたら気がついている友達も、中にはいたのかもしれない。
でも誰も指摘するような事は無かった。
内心はびくびく怯えながらも、平静を装っていた。
治療は特にしなかった。親戚が薬局をやっていたので、得体の知れない漢方薬を飲まされていた時期もあったが、気休めでなんの変化もなかった。
美容院は、伯母が美容師をしていたので、いつもその伯母の家で切ってもらっていた。

病気の事は誰にも話さなかった。親にも自分からはなにも言わなかった。
美容師の伯母に時々こぼすくらい。家族もまったく普通に接してくれた。
心配かけたくなかったからか。話そうとすると涙が出そうになるから、心の中にしまいこんだ。
脱毛症は私を少し消極的にしたけれど、それでもまあ普通の学生生活を送ってこれた。
特に恋愛には臆病になった。学生時代、彼氏がいた事なんかなかった。
恋をしてもいつも片想い。チョコレートを渡すのが精一杯。
付き合ってくださいとは言えなかった。自信が無かった。
その時代時代で親友と呼べる友達もいたけれど、話そうとは思わなかった。
話したら私から離れていくのではないかと不安だった。
なにも言われないんだから、なにも言わないでおこうと思った。

今思えば、この頃自分を押し殺していた事が、今の私の素直に自分の気持ちを言えなかったりする性格や、少し人の顔色をうかがってしまう性格に繋がっているのかなって思ったりもする。
でも、周りみんながそっとしておいてくれた事に、とても感謝している。