名を上げたかったよ、浮かれ街で

かつて昭和のナイトクラブで働いていた男が当時流行っていた曲などについて書いていきます。主に歌謡曲。

手さぐりの旅路―「生きていてよかった」愛と苦難の半世記 盲目の演歌師竜鉄也 (1980年)

2017-07-30 20:20:20 | 
去年図書館で借りて読みました。
奥飛騨慕情がヒットし始めた頃に出版された自叙伝。

岐阜盲学校時代のことを書いた部分から引用します。
「陸上競技もやりました。高等部2年の時に100メートル10秒6の記録を出した私は、全国大会の優勝候補にあげられ、自分でもいささかの自信はあったのですが、大会の直前、教室の机の上で体操のマネをやって失敗し、足首を骨折。泣く泣く出場を断念したのです。」

昭和27~28年当時、毎月7~8万円も仕送りしてもらっていたというのはなかなか信じがたいですが、実家が裕福だったようです。
竜鉄也はモテまくり。