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八戸の、うへえなブログ

八戸の写真をメインにアップしていきます。

フィルムじゃない方のOM-3

2025年04月11日 | 趣味

OMDSのOM-3を買いました。
今まで使っていた、E-M5Mk3とPEN-Fを下取りに出して。
結構いい下取り価格でした。
特にPEN-Fは人気があるようです。
そのおかげで懐への打撃は最低限で済みました。

新しいカメラには、取りあえず否定的な私。
「これでもかっ!!」というフィルム時代のデザインを再現した外観。
OM-1の外見を模したのにOM-3というネーミング。
充電器が付いてこないなど、色々とすっきりしない部分があったOM-3。
だけど、いざ手に取ってみたらこれはいい買い物をしたと思いました。

感触は、プラスチックボディーのE-M5Mark3とは明らかに違いました。
E-M5Mark2からMark3に買い換えた時は世間でいうほど悪くないぞと思ったけど、E-M5Mark3に慣れてしまった手にはさすがに金属製ボディーは新鮮に感じました。

各種ダイヤルはしっかりとした感じで、ちょっと触れただけで勝手に動くなんてことはありません。
フロントダイヤルもリアダイヤルもいい感じです。

電源スイッチについて「片手で入れることができない」という人がいるけど、こういうデザインのカメラに片手でスイッチオンオフを求めるのは酷でしょう。

クリエィティブダイヤルですが、PEN-Fの時はあまり使わなかったけどなかなか便利かもしれません。
このダイヤルですが、フロント部の指がかりとしてもなかなかいい感じだと思いました。
PEN-Fのダイヤルは、ちょっとしたことで勝手に動くことがあったけどOM-3のダイヤルはしっかりとした重さがあるのでその心配はありません。

メニューはE-M5Mark2やMark3から大幅に変わりました。
古い機種の、オリンパス伝統のメニュー形式に慣れていたので最初はかなり戸惑ったけど、OM-3の方が使いやすいです。

AFも早いしEVFの自動切り替えもかなり早くなりました(PEN-FやE-M5Mark3といった、数世代前のカメラと比べればの話ですが)。

写りは、今まで私が使ってきたものと比べればかなり良くなった気がします。
また、露出基準値の調整機能は便利だと思いました。
バッテリーの減りも今までと比べれば改善されたと思います。
モニターやEVFの見え具合も特に問題はありません。

ちょっと困ったな、と思ったのは初期状態での言語設定が英語になっていたことです。
国内販売品なら、最初から日本語でもいいのでは?
英語が苦手な私なので、言語設定メニューを探すのに手間がかかって冷や汗をかきました。
国際化なんですね、うん。
そして、今流行りの充電器が付いてこないという仕様。
これは最低です。

いずれにせよ、比較的新しいモデルを使っていた方やフィルム時代のMF一眼レフを触ったことがない方がOM-3を手にすると色々不満が出てくるのかな?とも思いますが、こういうカメラもあるんだな、と割り切って使うのもいいかと思います。
とはいえ、安くても23万円代のカメラなので失敗したくないし、一か八かの博打感覚で買えるカメラでもない。
OM-1シリーズに取って代わるポジションでないのだから、せめて20万円を切る価格設定にして欲しかったというのが個人的な意見でした。

結論。
いいカメラです。
買って後悔しておりません。

どこから見てもOM-1かOM-2というデザインのOM-3。

OLYMPUSではないのが少し寂しいかも。

OM-3の刻印とダイヤル類。

後上方から。

クリエイティブダイヤルは結構固めです。

片手でON/OFFできないのがマイナスだという人もいますが、私の使ってきたフィルムカメラはこういうパターンが多かったので違和感はありません。

右背面のボタン類は、今までの機種と大きくは変わっておらず、違和感なく使えます。

ダイヤルも結構凝ってます。


コンデジだけで旅行に行ってみたい、かな?

2024年09月25日 | 趣味

三連休。

暇でした。

暇になると、いろいろと妄想が浮かびます。

今回の議題は、心配性の私が「コンデジだけで旅行に行けるのか」です。

普段の撮影ではコンデジだけということもあるけど、「旅行」となるとそうはいかない。

一期一会の景色を確実に撮りたい、あれもこれも撮りたい。

シンプルイズベストを信条にしているつもりなのに、矛盾しています。

以前、コンデジメインで1泊2日の旅に出たことがありました。

結果、惨敗でした。

用が足りませんでした。

やっぱり広角から望遠まであると心強いです。

今年の日帰り旅行ではペンタックスK-1改に28-105mmズームと43mm/1.9、予備でオリンパスTG-5を持っていきました。

これぐらいあればまず問題なしだけど、ちょっと大きくて重かった。

そこで頭に浮かんだのが、「コンデジだけでの旅行」です。

過去にそれで失敗しているというのに・・・。

普段よく使う単焦点付と標準ズーム付の2台態勢。

これならなんとかなるんじゃないのか?

でも、問題があります。

それは「バッテリーの保ち」です。

小型軽量さと引き替えになっているのがバッテリーの保ち。

カタログデータを見ていると不安になります。

一眼レフやミラーレスならバッテリーの限界まで使うことはあるけどだ、コンデジで限界まで使うことはほぼありません。

あくまで予備機材として使っているからです。

でも、やってみなければ分からない。

まずはコンデジだけで徹底的に限界まで撮り、検証してみようと思います。

何はともあれ、旅に出たいです。

ミラーレスのE-M5Mk3とコンデジのGR3x。

小型軽量のミラーレスよりもコンデジはさらに小型です。

K-1改とGR3xは超がつくほど大きさが違います。

約40mm相当のGR3x。

普段よく使う焦点距離です。

ただ、カタログデータで200枚しか撮れず、実際ちょこちょこ使っていてもあっという間にバッテリーが無くなってしまいます。

バッテリーは純正4個と互換1個です。

検証の結果次第ではバッテリーを増やさなくてはなりません。

TG-5は25-100mm相当。

これだけあれば結構便利なんですが、このカメラ、写りがあまり良くありません。

カタログデータで340枚、GR3xよりはいいけど実際どれだけ撮れるのか?

TG-5もGR3xも普段使いではせいぜい30枚も撮ればいい方なので、限界まで使ったことがないのです。

キヤノンパワーショットS110。

小さいけど写りはなかなかのもの。

これも撮影可能枚数は200枚。

でも、極楽浄土へ旅立ちました。

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改めて、オリンパスOM10

2024年08月23日 | 趣味

以前、オリンパスOM10について書いたけれど改めて書いてみたいと思います。

私が写真を始めた理由は、別に写真が撮りたかったとか興味があるというものではありませんでした。

高校受験の時、兄弟の友人のまた友人が私が受験する高校の写真部の部長をしていて、「うちの学校に入るなら写真部に入らないか?」と誘ってくれたのがきっかっけでした。

方程式やら関数やらちんぷんかんぷんでよく高校に入れたものです。

何はともあれ志望校に入ったので、何が何だか良く分からないまま写真部に入部しました。

確か、部員は3年生が3~4人、2年生が2人、新入生が3人くらいだったか?

そこで私は生まれて初めて一眼レフなるものを触りました。

それはキヤノンのT-50でした。

2年生の先輩のカメラで、レンズは当時主流の35-70mmの2倍ズームが付いてました。

「すごい望遠だ!!」(どこが?)

「フィルムが自動で巻き上げられる、プロみたいだ!!」(どこが?)

その時、家にあったヤシカエレクトロ35を仕方なく使っていた私は猛烈に一眼レフが欲しくなり、家に帰って「一眼レフ欲しい運動」を展開しました。

最初は知らんぷりを決め込んでいた家族も、私の熱意に負けたのか、ためになる趣味だと思ったからなのか、家族会議を開いてくれました。

その結果、私と親と祖母がそれぞれ出資して買うことになったのです。

欲しいカメラは、良く分からないけどオート。

ちょうどその頃TVではAF一眼レフのCMが盛んに流れていました。

オート、とにかくオートだ。

そして4月下旬の土曜日の午後、日差しが柔らかく薄曇りのような晴れのような、うららかな春の日でした。

父に連れられて「カメラの大平」さんに行った私。

どのカメラが欲しいかと聞かれ、まず父が予算を言いました。

私は「オートのカメラが欲しいです」と希望を述べました。

店員さんは「リコーXR500オートかヤシカFX3、キヤノンT-50、ペンタックスP30、オリンパスOM10かな」といくつか候補を教えてくれました。

その中で予算、性能等のふるいにかけられた結果、候補はP30とOM10になりました。

良く分からないくせに、いっちょ前に「オートって大丈夫なんですか?手動も出来た方がいいんですが」とのたまう私。

店員さんは「OM10にしますか?」と勧めてくれました。

たまたま在庫があり、その場で買えたような気がします(それとも取り寄せだったか?)。

触らせてもらうと、ピントが自動で合わない。

「えっ、オートじゃないじゃん」

この時私はピントのオート(AF)と露出のオート(AE)を勘違いしていた事に何となく気づいたのです。

当時は未だに露出はオートかマニュアルかと議論している人もいた時代。

ピント合わせもAFかMFかという議論は当然ありました。

予算の関係もあり、ミノルタαを買うなんて夢のまた夢。

40パーセントほどがっかりしたけど60パーセントは「ついに自分のカメラを買ったぞ!!」という喜びで一杯でした。

家に帰り、箱を開けました。

今でいう開封の儀です。

自分のカメラだから真っ先に自分が触るべき、触れるはずだったのに父が「どれ!!」と私の手を払いのけ、勝手に電池を入れ、スイッチを入れてしまいました。

我が家は父による専制君主制でした・・・。

LEDが赤く光り、ピーという電子音が鳴り響く。

当時我が家ではVHSのビデオデッキと並ぶハイテク機器でした。

その後、2倍ズームに感動しながら露出の意味も分からずにとにかく撮りまくりました。

写真部は白黒フィルムがメインということもあったし、値段も安かったと(確か24枚撮り380円?)いうこともあり、白黒でばかり撮ってました。

そのうち2倍程度のズームでは物足りなくなってお年玉やお盆の花火代(お盆に親戚からもらうお小遣いを花火代と呼んでました。今でいうお盆玉ですね)を貯めてトキナーのSZX820という80-200mmの望遠ズームを買い、サンパックのフラッシュを買い、最後に格好つけでワインダー2を購入しました。

望遠ズーム以外は中古です。

これで取りあえずは一揃い揃いました。

学生時代、そして就職してからも数年はこの組み合わせで撮ってました。

しかし中古・クラシックカメラに手を出してからは徐々に出番が無くなっていきました。

それでも初めてのカメラは忘れられない。

何度かの修理を経て今でもちゃんと動く状態で手元に残しています。

2~3年前に撮った時は絶好調で綺麗に写ってくれました。

あと何年もつか分かりませんが大事に使いたいものです。

オリンパスOM10。

35-70mm/3.5-4.5とマニュアルアダプター付で6万3千5百円でした。

上面から。

普及機とはいえ、つるんとした今のカメラと比べて貫禄があります。

背面はすっきりしたものです。

LEDが赤く光るのが格好良かった。

モードダイヤル部。

上からバルブ、絞り優先AE、マニュアルです。

ちなみにマニュアルはマニュアルアダプターがないと使えません。

そして、感度目盛りと露出補正目盛りが一緒になってます。

しばらくは頭が混乱したものです。

電源スイッチ部。

シンプルなものです。

巻き戻しクランクは私が黒のプラカラーで塗装したものです。

これがマニュアルアダプターです。

あまり使いませんでした。

ペンタ部の傷。

アクセサリーシューも自分で黒く塗りました。

大分塗装がはげています。

軍艦部のカバーが綺麗なのは、1度修理で交換したからです。

底面も塗装のはげが多数。

フィルム室やシャッター周りは綺麗です。

付属のストラップ。

「ハンターストラップ」と呼ばれていたけど、何がハンターだったんだろうか?

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写真少年から写真中年になるまで

2024年08月18日 | 趣味

かみさんが写真に夢中になってます。

身内びいきながらいいセンスで、めきめき上達中です。

かみさんには「うまい下手関係ないから何でも撮りなさい」と言っていた私がうまく撮れずに悩んでいると、逆にかみさんから「何でもいいから撮りなさい」と言われる始末。

かろうじて技術面や知識面では私が上ですが、そう遠くない将来追い越されることでしょう。

そんなかみさんを見ていたら、写真少年だった頃の気持ちや感覚が懐かしく思い出されるようになったので当時のカメラ雑誌を何冊か手に入れてみました。

私が初めて買ったカメラ雑誌は月刊カメラマンでした。

あの当時の月カメは、今では考えられない程内容が充実していて、主な読者層も青少年という構成でした。

撮影技術の解説は細かく、フォトコンテストの審査員は毒舌というか、口が悪い。

スナップ撮影というジャンルは存在しない。

アイドルの投稿写真も盛んで、ちまたではカメラ小僧という言葉も。

写真が趣味だというだけでカメラ小僧扱いされたこともありました(30代になってからも飲み屋の板前氏に趣味は盗撮かと馬鹿にされたことがありました)。

読者同士の交流や叩き合い?も盛んだったような気がします。

約40年の写真歴の中で一番下手だったけど、それでも一番楽しかったのは写真少年デビューの頃でした。


当時、うへえ少年は何が撮りたいか定まっていませんでした。

ただ、「写真イコール風景」、写真を始めたら風景を綺麗に撮らなくてはならないという先入観というか固定観念を持っていました。

しかし、風景写真の名所に行く手段も金もない。

少ない小遣いでは足りず、役に立つ趣味だということでフィルム代は特別に支援してもらったりしてた状態でした。

仕方ないので夜明けの近所の川に野鳥を撮りに行ってはみたけれど露出の意味が分からない、ピント合わせも苦手、三脚は割り箸みたいと表現されるような頼りないもの。

レンズは標準ズーム以外は1万5千円位で買ったトキナーの80ー200mmの暗い望遠ズームがあるだけ。

川の真ん中にいる鴨は豆粒のように、しかも盛大にブレていました。

後は家族で出かけた時に観光地で絵はがきのような写真を目指して頑張ったりするのみでした。

ちなみに、よく「絵はがきのような写真はだめだ」と批判する人がいるけど、私は1度でいいからああいう綺麗な写真を撮ってみたいと思っています。

年が経つごとに綺麗な風景写真を追い求めていた私は、だんだんと主流から外れて周囲から理解してもらえない写真を撮るようになっていきました。

そしてさらに道を踏み外し、中古カメラ(クラシックカメラ)道に迷い込んだ結果、レンジファインダー機はスナップだ、クラカメではスナップがいい、と考えるようになりました。

ちょうどその頃は就職して数年が経ち、「ふるさとの山はありがたきかな」ではありませんが、「ふるさとの海はありがたきかな」と八戸の景色を思い浮かべたり思いを募らせたりしていました。

よく頭に浮かんだのは、生まれ育った大字湊町、そして新井田や小中野、白銀、鮫という地域の景色でした。

頭の中のその景色は、夕日のようなオレンジ色の光りに照らし出されていて、私は帰省する度にその景色を追い求めて市内を歩き回ったものでした。

しかし頭の中のイメージの八戸の景色を再現したいと思ってもそう簡単にはいかないもの。

なので冬の午後から夕方を選んで撮影に出かけ、リバーサルフィルムとCCフィルターを使ってそれらしく仕上げて悦に入ったりしてました。

そして、そういう時はなぜかクラシックカメラが似合うというか、そういうカメラを使うと撮影がはかどるし気分も乗るような気がしました。

クラシックカメラの道に迷い込んだことも無駄ではなかったようです。

そして私は八戸で働くようになりました。

望郷・憧れの景色が当たり前になると、だんだん飽きてくるものです。

初心を忘れ、汚れちまったうへえ青年でした。

ある時写真部時代の後輩と糠塚の辺りをカメラ片手に歩いたことがありました。

その後輩に「先輩の(写真の)ポリシーはなんなんですか?」と聞かれたことがありました。

何を生意気な、と思ったけど確かにポリシーらしいものを持って写真を撮っているわ訳ではありませんでした。

なんとなく忘れられない青年時代の一コマです。

そんな私に刺激を与えたのはブログでした。

どこで何がどうなったのか、何がきっかけだったのかは今ではよく分かりませんが、気がつけば他のブログの方々との交流が始まり、ブロガー写真展に参加したりオフ会に出たりするようになっていきました。

たまに自分の写真を褒められたりするとその気になり、またまた八戸の写真を撮るようになっていきました。

しかし、今風にいえば「いいね」をもらうために写真を頑張るようになっていた私。

すっかり初心を忘れてます。

現在では交流のあったブログも消えていき、仲間との交流も途絶えてしまいました。

私も最初のブログをやめ、次のブログもその次のブログもやめ、今のブログにたどり着きました。

今の私は初心も忘れ、ブログ仲間からの刺激も無くなり、ただ惰性で撮っているだけ。

そんな時に身近な人が写真に夢中になっている・・・うへえ中年からうへえ少年やうへえ青年に戻るためのいい刺激、いいチャンスかもしれないと思い始めています。

毎回横丁を撮るのもいいけど、また昔のように懐かしい八戸の景色を撮っていきたいものです。

しかし、記憶の中の景色・被写体はどんどん姿を消しているし、カメラを手に住宅地を歩き回っていると不審な目で見られる。

難しい世の中になってきました。

しかしいつかは和井田登さんのような八戸の写真を撮れるようになりたい、それを目標に撮っていこうと思っています。

いろいろ言葉を並べてみたけれど、結局は写真が好きなのです。

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ゼロ戦を撮る2

2024年07月19日 | 趣味

三沢航空科学館で展示されていたゼロ戦・零式艦上戦闘機21型。

今はどこにあるんでしょうか?

子供の頃から飛行機や軍艦が好きでした。

プラモデルも買いました。

定番はやっぱりゼロ戦です。

11、21、32、22、52・・・と様々なタイプがあるけどやっぱり好きなのは52型でした。

写真は21型です。