空も大地もうごめき、ウゴメク。

この世に生まれたからには、精一杯生きてみよう

振り返り9

2006年12月28日 | 少年野球
    人生の転機は何度かあると思う。彼の場合も一人の人物の影響で彼の“進路”を変えたのは言うまでもない。その前に彼を語るにはある時期に周囲に迷惑を掛けてきたことから始まる。それは彼が幼稚園の年中時代の頃だ。同じアパートに住む一つ上の友Y君と夕方旅に出た。二人はジャスコに行きたいがばかりにトコトコ歩き始めた。それはY君が親とともにショッピングに行った記憶を頼りにしての自信のない旅だった。
  
   アパートからスタートした彼らは目指すはジャスコだった。ところがどこで間違ったか、東に行く所を西に行ってしまい、2.5キロ先の金堂ヶ池に到着した。その池は水底が堆積され、ドロドロの底なし沼化していた。子どもなどは一度落ち込むとそのドロドロした水底に足を取られ、なかなか上がれない危険な池なのだ。周囲を散策した後、それから気を取り戻した彼らは目指すジャスコに向かった。が、たどり着けたどうかはいまだに不明、途中再び方向変換した彼らは以外にもスーパーダイエーのそばの交番で保護された。
 
  その間、二人がいないことがアパート内で広がり始め、住民を巻き込んでの捜索劇が始まった。もちろん、警察にも捜索願いの届けを出し、パトカーも協力。何件か協力する住民たはすでに携帯を持っていて、お互いに見つけたらすぐに連絡を入れようと番号を控えるなどの先進技術を交わしていた。そうしているうちに彼の母は目に涙を溜めながら二人を気遣っていた。アパートの下は大瀬川が流れる。間違って川に落ちたのでは。一人が助けようとしてもう一人も落ち込んだのでは、悲観的になればなるほど事態の悪化を予想してしまうのが人間の弱さだ。

  しばらくしてアパートの住民から「ダイエーそばの交番で発見」の通報が入った。その人は自転車で捜索に加わってくれていた。母親同士一緒に迎えに行った。二人は交番でうずくまっていたという。靴は脱げていて裸足で歩いていた。手には脱げたビショビショの靴を持って。足に擦り傷をいっぱいこしらえて。その場でヘナヘナへたり込んだ母親達。二人の疲れた顔を見て涙があふれたという。元気でいたら決して怒ってはダメだぞと父は妻に釘をさしていた。もちろん怒る気持ちはすでにどこかに吹き飛んでいたようだった。

  そのY君はアパートの友達とともにサッカー大好き人間だった。彼も空き地で一緒に加わり、近所ではサッカーのグループができていた。「俺は絶対野球はしない」と周囲にもらしていた。父が口うるさく「野球」「野球」と言っていた反発だったのだろう。そのY君がどうしたものか、小学5年生の時に野球部に入った。それまで毎日サッカーボールを相手にリフティングしていたY君だったのに。そして、一緒に遊んでいた彼もY君のいないアパートは寂しいと思い、野球部に入部。ここが彼のターニングポイントだったと思う。

  もしY君がそのままサッカーの道を歩んでいたら、彼もその後についてきたであろう。それほど二人は大の仲良しだったから。

  彼は運動はさておき、自然特に昆虫大好き人間だった。夏休みの児童クラブも屋外に出てセンダンの木に留まるセミを素手で捕まえては、その満足感と達成感を味わっていた。その証拠に野球の練習でも周りにトンボが飛び始めると、野球そっちのけでトンボを追い始めるヤツだったから。

  その彼も監督曰くポーカーフェースなところがあって、聞いているのかいないの分からないマイペース人間だった。しかし、大事な時にポカをやることもあり、ベンチでも冷や冷やだった。四球や安打で走者になった時などがいい例。反撃のチャンスの時に下を見てリードする癖があり、投手から目を離した隙にけん制タッチアウト。ベンチから厳しい注意が飛ぶ。飛んで当たり前。そのけん制で何回アウトになったことか。

  彼は二塁手、遊撃手、捕手、最後は左翼を守り、ここぞというプレーは残念かなそうなかった。半面、打撃面は長打力があった。監督も彼の一発には期待していた。私が印象に残っているのは、北浦のグラウンドであった練習試合の左中間サヨナラ安打。真っ二つに抜けた鋭い当たり、走者が還ればサヨナラだったから記録は単打。しかし当たりはランニングホームラン。その当たりは鮮明に覚えている。

  今Y君は中学1年生。部活動はサッカー部に所属。ということはY君を慕って彼も中学に上がればサッカー部に入るかもしれない。まぁそれはないかな。



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