goo blog サービス終了のお知らせ 

空も大地もうごめき、ウゴメク。

この世に生まれたからには、精一杯生きてみよう

福良監督の話

2007年01月14日 | プロ野球
   一月ぶりの少年野球の親子に合ってきた。レクリエーション(ボーリング)後の会食(新年会)で居酒屋に集まった。子どもたちもこの一月で少しふっくらしている子もいれば、背が伸びている子、髪が伸びてお兄ちゃんになっている子と様々だ。練習中は素直に「ハイ」と返事し、監督、コーチの言うことを聞いてきた彼らだったが、そこから離れるともう指導者の言うことも上の空。最後のコーチの締めの挨拶では、「早く締めて」と顔からその様子がはっきり表れていた。まぁその前にその言葉が長かったのもあるが。結構、モノも言えるようになってきていた。これも卒団したからであろう。

   先日日本ハムの二軍監督に就任した福良淳一さんのことを書いたが、正月などの帰省中に福良監督を世話する母校のOBで某金融関係の役員さんから面白い話を聞いた。「福良は本当に真面目な性格だ。おそらくその辺り球団も評価してきてたんだろう」という。オリックスの後輩達からの信望も厚く、正月はよく焼酎がなくなってしまうという。彼はそう飲める口ではないそうだが、なにしろ後輩達が自宅に集まっては面倒をみているという。そう、焼酎を酌み交わしながら。ジョギング中の後輩らはプロレスの覆面をしては福良の家に集まっていたとか。面を明かさないようにと。それでその焼酎はその役員さんがいつもまとめて送っていたという。

  過去にはセントルイスカージナルスの田口壮選手もオリックス現役時代に福良宅に集まっては、酒を軽く1本開けていたという。今でこそ海の向こうのチャンピオンリングをはめるワールドシリーズ覇者の一人であるが、福良にとってはかつての球団の後輩である。先輩が面倒を見ないわけにはいかない、兄貴的な存在だったらしい。イチローにいたっては、オリックス時代の51は、もともと福良が付けていた背番号だった。途中福良は51から1に代わり、その番号をイチローに譲った。

 知る人ぞ知る51にまつわる話。彼は地元の高校を卒業すると社会人チームに進んだ。大分鉄道管理局という今のJR九州の前身。JRは以前地域ごとに鉄道管理局を置き、そこで社会人野球を組織していた。九州では門司鉄道管理局も置かれ、J国鉄は民営化後これらの局を統合した。福良の退社2年後に民営化にされ清算された。その時の国鉄職員という縁もあってD51(デゴイチ)の愛称から、51番を付けたというユニークな話もある。さらにその番号はイチローへと譲り継がれたわけであるが。デゴイチとイチローとは関係はないが、ただ譲り継がれただけの話。

 金融関係のその方は福良監督に頼んでイチローが渡米する何年か前に10枚くらい色紙を書いてもらっていたとか。しかし、ここまでイチローが活躍できる選手とは思わずに知人に全部あげていた。「そういうことなら残しておくべきだった」とは奥様の弁。また、選手同士の付き合いから松井や長嶋監督の色紙ももらっていたというが、松井のも他人にやって奥さんから叱られたとか、さすがに長嶋監督のは大事に奥さんが隠しているという。あぁ、松井の色紙欲しかったなぁ。

 最近ではジョニーことロッテの黒木知宏投手の28.5㎝のスパイクも手に入ったいう。早速会社の後輩の息子にとプレゼント。高校1年生らしいがまだまだその足には達してないらしい。大きい声では言えないが。「届かなかったら返してほしい」とまた奥さんが言ってきそうな気配。後輩は息子に早く足でかくなれと願う一方、でかくならなければ家宝にと。大事にしまっておく考え。奥さんには使い古して擦れてしまいました、とでも言って逃れそうだが。

 後輩の面倒の良い福良監督。結果がモノを言う商売だけに今季の日ハム二軍の成績に目が離せない。きっと母校のOBは皆そうだろう。

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (だれやみ)
2007-01-15 00:15:09
今日の話は面白いですなぁ。
そのジョニーのスパイクもらった方は絶対手放さないでしょうね。でも欲しいですね・・
今日のうごめくさんのだれやみは何を飲まれましたかな?
返信する
今日の (ウゴメク)
2007-01-15 00:53:13
  だれやみは、(地元の)地酒千徳「蔵の真心」

  これが口当たりが良く、風味も味も最高。

  妻が実家からいただいてきた代物です。

  大晦日に義母と一緒に飲んだ酒でした。
   
  もう置いてても飲まないからと、今日もらってきました。

  久しぶりの酒、時にはいいっすよ。

  
返信する