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戦後70年。風船爆弾とロズウェル事件

2015-07-21 08:47:16 | 日記

 1947年の7月に”米国、ニューメキシコ州のロズウェルにUFOが落ちた”と言われる「ロズウェル事件」だが、その正体をめぐりたくさんの仮説や証人が登場し、話題となってきたということはこれまでも折に触れ書いてきた。自分の感覚で言うと荒唐無稽のようだが、やはり”宇宙船”と言う仮説が1番しっくりする。ところで意外と知られていない仮説の1つにロズウェルに落ちたのは太平洋戦争中、旧日本軍が米国本土を直接、攻撃するため開発された”風船爆弾”であるというものだ。米国の有力研究家であるJ・キール氏によって提唱された。ということで当時の日本(軍)の無謀さと風船爆弾について調べるため、神奈川県の川崎市にある登戸研究所(旧第9陸軍研究所)にでかけた。ここは今回の主役である風船爆弾を初め、戦争には必ず付いて回る(防諜、謀略、諜報)などの秘密作戦を研究していたという所だ。
 
 風船爆弾は日本の敗戦が垣間見えてきた太平洋戦争末期に米国本土を直接、攻撃するため開発された。1944年11月から1945年3月にかけて約1万発が放球された。そのうち1000発近くが北米大陸に着弾したと見られ、361箇所で確認されている。日本独自の和紙をこんにゃくのりで張り合わせた気球に水素ガスを注入し、太平洋上空を流れる偏西風に乗せて爆弾を米国に運ぶと言うものである。放たれた基地は千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来の3箇所に置かれ、太平洋を偏西風に乗り時速200キロ程度の速さで、ほぼ2昼夜かけて9000キロ離れた米国本土に到達したようだ。

 気球は地上から放球する際、満杯の60%程度で放球され、上昇するにつれて気圧が薄くなるためパンパンになっていく。そして高度4500メートル程度の高さで、ほぼ100%に達し10000メートルあたりの偏西風が吹くあたりで水素ガスの放出が収まり、後は風に乗って米国本土まで到達したらしい。気球の直径は写真から判断すると、大きいもので10メートルぐらいだろうか?

 ロズウェルに墜落したと思われるUFOの破片を目撃した証人の中に、破片の一部に「漢字か象形文字のようなものが書かれていた」と言う証言が多くある。この点だけを考えれば、この”風船爆弾説”はある程度、この証言を裏付けることが出来るかもしれない。と言うのはJ・キール氏によると当時の日本では戦争に勝利するため国民総動員がかかっており、風船爆弾の製作に関しても小さな子供までが動員され、その際に書き込まれたいたずら書きの可能性があると言うのである。

 私が今回、調べた感じでは気球の生産には和紙産地の生産家の人たちが、またその貼り合わせには日本各地の女学生をはじめとした人たちが、動員されていたのは確かな事実である。分別のある女学生だって絶対にイタズラ書きをしないとは言えないし、国民総動員がかかっていたとはいえ、小さな子供たちまでが軍事物資の生産に借り出されていたとは考えられないが、ただしこれも絶対になかったといえるだけの証拠はない。(もしかすると、たまたまその近辺にいた大人に連れてこられた子供が、大人の目を盗んで書き込むチャンスがあったかもしれない)しかし客観的に考えればJ・キール説のようにロズウェルで見つかった破片の一部に、漢字だか象形文字のようなものが書かれていたのは、女学生か小さな子供がいたずら書きで書いた破片の一部であり、従ってロズウェルに墜落したのは日本で生産された”風船爆弾”だったと言う説には少々、疑問がわくのである。

 おまけにロズウェルで目撃された破片の中には、スレッジハンマーでたたいても傷ひとつ付かない物や、銀紙のように薄いのにもかかわらず人間の力では絶対に折り曲げられない物などもあったという。スレッジハンマーでたたいても傷ひとつ付かない和紙など、この世に存在するだろうか?キール説はこの点も考慮していないように思われる。

 またロズウェルに墜落したのが風船爆弾だったと仮定しても、太平洋戦争終戦間じかに放球されたはずの風船爆弾が、なぜ2年近くも経過した1947年7月まで発見されなかったのかという点だが、これは当時のロズウェル周辺が地理的、交通的に非常に便の悪かった場所だったと言うこともあるし、何より当時の米国は自国の防空体制は完璧であると国民に思わせていたらしいので、日本の風船爆弾如きにらくらく本土まで到達されたとあっては米国の沽券にかかわるのだ。それで完璧に報道管制を強いていた。それによって誰も風船爆弾を認識できなかったのではないか?これはUFOについても言えることだ。いろいろな点から考えてロズウェルに墜落したUFOが日本からの風船爆弾だったと言う可能性は低いといわざるを得ないのではないか?

 しかし唯一、風船爆弾によるとみられる悲劇が起きている。1945年の5月5日にオレゴン州のギアハート山で米国本土において、交戦中の敵国からの攻撃で民間人に死者が出た20世紀で唯一の事件が起きており「オレゴンの悲劇」と呼ばれている。ピクニックをしていた家族が6人も亡くなった。これなども風船爆弾に対してきちんとした認識があれば防げたかもしれないのだ。
 それにしても夢のある風船に爆弾を仕掛けるとはなんとも言いようがない。このような悲劇を繰り返さないためにも地球平和を考える時代だ。