善願寺今は釈王寺の今昔ばなし
(園部町小山谷ノ下)
(園部町小山谷ノ下)
園部町小山谷ノ下に善願寺がありました。典薬頭丹波頼廉の祈願所として建立したと云われている。天正4年(1576)、織田信長の命により明智光秀は丹波攻めに入り、八木城攻略・落城すると…次々と近辺の山城主たちは明智方に走っています。唯一明智光秀軍と徹底交戦を展開したのが善願寺山城であった。この山城の裾野に『善願寺(天台宗派寺院)』があります。その寺の僧兵と共に一進一退の戦いを展開、常に園部城主荒木長綱との密約に従って明智光秀軍を苦しめたが、ついに本堂・伽藍等を焼失する。焼け落ちた跡地大石の上に薬師如来の尊像を安置、風雨にさらされても慈悲悠久の姿に変わりはなかったと云いう。土地の人たちにより堂宇が建てられ、薬師如来をお堂の中へ移され安置され今に至るが…今は町内の某大学敷地内となり堂宇は…ないと聞く。
善願寺は当時、七堂伽藍を有する勢威隆々たる寺院で三軒屋の大蛇退治のお告げを出した…今昔の昔ばなしにも登場する寺であった。(参考資料/園部の歴史を訪ねて⑨)



