整体セラピストの独り言  ウエダ心理整体塾のブログ

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打撲は温める

2018-09-17 12:32:26 | 生活の知恵
ある整体師は、なかなか良くならない疾患の原因として、過去の外傷(骨折、捻挫、打撲など)の後遺症があることを、独学の臨床経験から発見した。

その後遺症とは、打撲の衝撃が身体の至るところに波及し、患部以外の処にも損傷が起きている。しかしそれに気づかず放置されると、そこの修復が不十分となり、瘢痕組織が形成される。

これを「癒着」と呼び、その癒着を「剥がす」ことによって、身体機能を回復させる。そんな治療を専門にしている人がいる。


打撲の問題は、野口整体を学ぶ者からすれば常識的で、とてもその後を警戒する。


これは例えれば、地震と同じで、地震は震源地に一瞬起こることであってもその波及は計り知れない。北海道の地震も全土に波及した。


だから打撲や捻挫のときも、その患部だけでなく全身の衝撃具合を調べ調整する必要がある。


ところで打撲は、整形外科では冷やすのが常識と考えているが、整体では温める処置をする。

そして受傷後4日間は風呂に入らないこと。矛盾するようだが、全身を温めるのではなく局所を温めることを意味する。

そして出来るだけ安静にして、4日過ぎてから身体全体の調整を行うことを勧める。



しかし打撲など滅多にするものではないし、痛みや腫れも軽いものなら1日~2日で引いてしまうので、その後は気にせずに過ごしてしまう。

確かに、気にしすぎると神経質になりすぎて、心身が固まってしまう。それは良くないが、無自覚なところで損傷が起こっている。


気にしたほうが良いのか、気にしないほうが良いのか?

これは一概に言えないが、気にしないようにしても気になってしまうなら、気にしたほうが良いと言える。

しかし過去記事にも書いたが、身体のことは身体に任せることを判断基準とする。


そのあたりが難しくて解らなければ、ともかく、打撲や捻挫は温めてみよう。


身体のことは身体に任せる

2018-08-30 10:24:48 | 生活の知恵
こう暑い日が長く続くと、誰でも気が滅入る。

夏バテの原因は、暑さに身体が適応出来ないのもあるが、それ以前に意識が暑さを拒否していることもある。

同じ暑さでも、温度は同じでも湿度や風向きによってビミョウに暑さの感覚は異なる。

そうかと思えば急に冷え込んだりする。

そうなると、こういうときはどうしたら良いかと知識に頼っているのは間に合わない。



野口整体で語る「整体」とは、気候の変動に対して臨機応変に、意識する以前に身体が自然と対応されている状態を云う。食べることも睡眠時間も、入浴も行う運動も、感覚的にしていると丁度良い時に丁度良いことがなされている。



しかし私たちは、そんな自然に対する適応よりも社会適応に関心があり、周囲もそれを求める。ところがその社会生活において身体は、機械や道具の如く扱われる。

そうすると、身体の自然な本能は低下して、スイッチを入れないと作動しない機械のようになる。そうなると身体は、意識の管理下に置かれる。

それで良いのだろうか?

暑さ寒さの不安定な繰り返しに意識はついてゆけないし、いつどこで地震が起きるか解らない状況下、不安でたまらない。

そんな、気候の変動や社会状況で動揺する意識に身体を任せて良いのだろうか?



だから、身体のことは身体に任せるのが一番良い。

そこでまずは、身体の自然な働きを取り戻すことをする必要がある。

そのためには、調子が悪いときだけ整体にかかるのでは足りない。月に一度、最低5年は通う必要がある。

しかしそこまで通い続けることを考えるだけで、気分が重たくなるなら効果はない。

それならば、自分で自分の身体を整える方法を習得するのが一番良い。



社会生活に支障のない程度に自己判断で、冷暖房に頼らず、化学調味料と白砂糖入りの料理は避け、酒、タバコ、コーヒーなどの嗜好品も制限し、石鹸やシャンプー、化粧品を含む薬剤の利用も控えめに。そして電磁波も避け、朝と晩に15分程度の体操を行う。

そういうことを5年もしていると、自然な身体が蘇る。


さらに身体が、良い意味で意識に逆らうようになったらベター。

意識が落ち込んで、家に閉じこもっていたいのに、気がついたら外へ出て散歩しているとか。

やけ酒を飲みたい気分なのに、飲んだら吐いてしまうとか。

パソコンの前に1時間もいたら目眩がしてくるとか。









いきなり夏

2016-05-05 16:56:31 | 生活の知恵
いきなり夏がやってきた。

もっともそう感じているのは私の意識のほうであって、身体は以前から夏のモードになっていたかもしれない。

胸に感覚が集まっているのが夏の身体。それに気づく少し前に皮膚に変動があった。急な暑さ、発汗に呼吸器の対応が遅れると汗疹のようになる。


しかし夏の風は、春の風と風情が違う。

私には、何か爽やかに感じる。夜の灯りも、季節によって感じが変わる。

夏の夜の灯りには、何か冬よりも明るさを感じる。


運動する快さもまた、季節によって違う。


こうして季節による風情を愉しめるのに、暑いから寒いからと、「不快」なことばかり空想して着たり脱いだり、暖房冷房の調節をするのは、既に病んでいると言える。

だから今の空気感、風の感触を感じ、何もしないでいよう。すると季節に身体が同化する。

その季節に合った身体となる。


うまく身体が同化出来ない時は、背中で呼吸する、坐骨を押上げ太ももの裏スジを伸ばすことをしておこう。

水分はさほど要らない。

水分を必要とするのは冬の、冷えこみと乾きが強い時である。




ところでどうも私は、ちょっとしたことで喜怒哀楽し、ちょっとしたことで気分が変わるくらいに、気分の変動が激しい。

だがそれは大人気ないと気分を抑圧すると、身体症状になることを知っているので抑圧しない。

そんな自分を可愛らしく思うのは、ナルシストか?



打撲と冷え

2015-11-14 10:34:13 | 生活の知恵
整体では、打撲と冷えに注意を呼びかける。

それは予防というより、その後の過ごし方である。


打撲は、表面の感覚では痛むのは数日で、その後消えてしまう。それにその衝撃が身体に及ぼしたものなど普通は感知出来ない。

だから誰でも軽く見てしまう。

だがその、身体に及ぼしたものが、後になっていろいろな身体の異常を引き起こす。

その説はどこから来るのかというと、整体指導者達の多くの患者さんの身体観察の結果の集積である。具体的には衝撃による骨盤などのズレで、それがそのままにされた場合。

打撲の身体に及ぼす影響を小さくするには、受傷後四日間は風呂に入らないこと。患部は初日から温めること。痛みが強く辛い時は冷やすのも仕方ないが、冷やすのは感覚を麻痺させてその場を凌ぐためであり、しかし感覚の麻痺は身体機能を鈍くするので回復を遅らせる。


それから心理的な打撲も同様。心理的打撲とは、何気ない誰かの一言がグサっと胸に突き刺さったような時。あるいは大きな事件、事故に会った時の精神的なショック。

それが感覚的な記憶として身体に残る。それが後に尾を引く原因になる。

それがフォーカシングなどの身体的心理療法の技法論の根拠でもあるが、その、残った感覚の処理が要る。




冷えは直接には腎機能を狂わし、水分代謝、水分の吸収を悪くする。そして血管運動の機能も悪くする。そこに精神的な緊張が強く長く続くのが重なると脳血管に影響して、脳溢血、脳梗塞などを誘因する。

ただ警戒するのは、冷え始めた、まだ多少暑い日もあるとき、である。

つまりは身体が十分、冷えることに馴染んでないときに、暑い日があると、汗をかきそれが内攻してしまう。それが冷えの害の原因である。

身体が十分、冷えに馴染んでしまうと、身体は逆に中から温まってくるのである。


冷えの処置は、足湯または半身浴がよく、そして「常温の水、その日その時の温度の水」を飲むこと。温めた水でもなければ冷やした水でもない。その日その時の温度が一番、身体に吸収される。








初夏の養生

2015-04-24 21:04:03 | 生活の知恵
何かいきなり、夏になったような陽気です。

何かしら、汗ばむ時もあるでしょう。

でも日によっては、肌寒い日も訪れます。


こういう時に気をつけることは、汗の内攻です。出た汗が引っ込むと、体液成分に老廃物が残り、腎機能に負担をかけます。

それは秋になって、本当に寒くなってきた頃に、その冷え込みに耐えられない体になります。


かいた汗は、タオルでよく拭き取りましよう。

自然な風は良いですが、冷房など人工的な冷風は避けましょう。

最もまだ、冷房を入れる季節ではないので大丈夫でしょう。



それよりも、汗をかけない体。

誰もが汗をかく季節に汗をかけないのは、汗をかくという快感を忘れた生活をしているのかもしれません。

汗をかくという快感を忘れているということは、寒さの快感も忘れているかもしれません。



それについては、また追々語るとして、今行う養生は

シャワーを背骨にかけ、熱さを感じない処を見つけ、そこに熱さが感じられるまでかけ続ける。

大体、汗であれば胸椎5番(肩甲骨の間で、肩甲骨下端のラインより少し上)ですが。

それをして、今の季節をお過ごしください。

適度に不潔でありましょう

2015-02-21 19:40:45 | 生活の知恵
世間では、インフルエンザウイルス感染予防のため、手洗いを促しますが、整体ではそんなことをしたら、皮膚そのものにある殺菌作用が衰えるので、してはならないと言います。

加えて、日々の入浴に際して、石鹸で体を洗いシャンプーするのも週1度で十分です。これも同じ理由です。

それよりも、湯船に浸かることはしたほうがいい。シャワーだけで済ますのは良くないです。

やはり湯船に浸かることは、それで皮膚が弛み、そこから毒素が抜け出てゆきます。筋肉も弛み神経も弛みますから、リラクゼーションとなります。わざわざ金を払って他人からマッサージを受ける必要もなくなります。


マスクをすることも細菌に対する抵抗力は弱まります。

花粉症は、くしゃみや鼻水を軽減するためにマスクをすることは良いですが、適度なくしゃみと鼻水、涙が、免疫機能を高める作用をします。

ところで細菌に対する抵抗力とは、細菌との親和力でもあるのです。つまり異物と共存して生きていく感覚です。腸内細菌の働きが良い例です。

腸内細菌の働きが花粉症を防ぐというデータもあるようです。



もちろん、外見上不潔に見えるとか悪臭がするのは論外です。やはりマナーとしての清潔感は大切です。マナーとしての清潔感を意識するとは、他人に対する配慮です。

でもそこを意識するのなら、体の汚れよりも心の汚れを意識すべきでしょう。

社会的出世や保身のために、他人を犠牲にすることに平気でいられる人のほうが、ウイルスよりもずっと怖い存在でしょう。

人に親切にしておいて、相手を自分の思い通りにコントロールするような悪知恵の働く人も、病原菌よりも怖い存在です。

そちらのほうに、注意しましょう。



忙しく働きしまょう

2015-02-14 13:26:13 | 生活の知恵
今までいろいろな人の体を観察してきた限りの話ですが、忙しい人ほど体は整っています。

確かに疲労感は残りますが、そういう時ほど体が壊れることは少ないのです。

ただこのままでは壊れるのではないか、という不安感があるだけです。

もちろん、それが生理的限界を超えてしまえば壊れることは確かです。



でも暇な人のほうが体を壊しやすく、治りにくいものなのです。

それは暇な時ほど、食べ過ぎるし寝すぎるし遊びすぎるし、ともかく体がたるむことばかりするからです。

それに、病の大半の原因は、余剰エネルギー、つまり使われずに溜まって濁ったエネルギーと言われます。


こういう人は、働くことが嫌いなもので、働くことが嫌いということは、身が引き締まる雰囲気が嫌いなのです。

身が引き締まる雰囲気が嫌いな人は、無理をしませんから過労による病気はしませんが、心身の抵抗力は弱まります。

すると少しの無理にも耐えられない体になってゆき、季節の変化にもついてゆけない体になります。

するとストレスにも弱くなり、いゃなことには少しも耐えられない心身になります。


ではお金に困ってないから働かずに、体の訓練をしたり体に良いものを食べる生活をしているならどうかと言うと、確かに健康的なようですが、身が引き締まるような社会的責任が降りかかれば耐えられず壊れてしまう人が多いです。

どうも適度のストレスがあつたほうが、心も体も丈夫になるようです。だから多少は、体に悪いものを食べたほうが良いのです。



ただし借金の返済のために、辛くてたまらない仕事で忙しく働き、酒タバコ外食が増えれば、やはり体は壊れてしまいます。


やはり、気持ちと時間にゆとりのある暮らしは大切ですね。

お掃除しましょう

2015-01-07 17:46:51 | 生活の知恵
日常の中で、特別なテクニックも集注力も要らず、誰でも出来て効果がある運動は、やはり「掃除」ですね。

掃除には、運動効果だけでなく、部屋が清潔になり、気分もすっきりします。

目に見えない次元においても、場(環境)や身体の浄化になります。



イエローハットの創業社長である、鍵山秀三郎氏は、黙々と10年一人で社内の清掃をしたと言います。

社員には、彼らが自発的に掃除をするのを待ったと言います。

確かに、命令されてやるのは、ただ「そう言われたからやったまで」であるし、そうだと特別手当を要求するかもしれない。そのような意識で掃除をしても意味がないからです。

しかし10年を過ぎた頃から、自発的に掃除をする社員が少しずつ出てきたという話です。

そのことが自然と接客態度に影響し、売上も増えたそうです。

そして20年を過ぎた頃から、その噂が外部に広がり、社員研修として掃除を取り入れる会社や自治体が出てきたということです。

そして現在は「日本を美しくする会」が作られ、日本中で掃除のボランティア活動が行われているそうです。



でも外でみんなと掃除をする前に、自分の部屋をやりましょう。

週1でも月2でも良いから、やってみましょう。

掃除されていゃな人はいませんが、するのは面倒という人はいます。

でも、されていゃでないなら、掃除することには身体は集注します。

おそらく誰でも、身体は掃除をしたいのです。

ただ意識が面倒がっているだけです。

3ヶ月も続けていると、そのことが実感として解ってきます。

身体が集注している時

2014-12-22 10:52:56 | 生活の知恵
身体が集注しているときの状態は、波に乗っている、流れに乗っている、という感じです。

自分がしている、という感じがなく、させられている、という感じです。

これを「身が入る」とも表現します。仕事に身が入る、勉強に身が入る、などと。

でもそこに不安がなく、それが快く、行為そのものが楽しいのです。

その時は、行為の結果はあまり気になりません。なるようになるで、どんな結果でも受け容れられる心境です。



だから苦行という感じはないのです。傍から見たら大変そうでも本人にとってはさほどの苦しさも感じません。

周囲の誰もが理解を示さず無関心であっても、淡々と続けられます。そのうちに自然と仲間と出会います。

なのでいつまでも孤独ということはなく、孤独感があるとしたら身体集注になってないと言えます。




ただどんなことでも慣れないうちは迷います。

考え方に、そして新たな人間関係に。

だから大体3ヶ月は頑張ってみることも必要です。


仕事は楽しい楽しくないでなく、ましてや3ヶ月の結果でもなく、生活のために淡々と続けるものと考えますが、それでもそこに身体が集注するなら行為そのものが楽しくなり多少の苦しさは耐えられるものです。

それがいつまでも辛く苦しければ、それを自分の心の問題として見つめ乗り越えようとするよりも、向いてない、判断が間違っていたとして、方向、方針の転換を図ったほうが良いと思います。

あるいは今までは楽しく波に乗っていたのが、段々と飽きてきてほかのことに興味が移ることもあります。

いわゆる流れが変わった、という感じを受けます。

その時は迷い葛藤するものですが、それも同じ期間で見極めをつけましょう。




食べること

2014-12-20 12:59:36 | 生活の知恵
病気を治すために何を食べたら良いか?

これを「食養生」とか「食餌療法」と呼んでいます。

ただこれらにもいろいろ考え方があって、様々な流派、派閥もあります。


私も若い頃、持病のアトピーを治したいために1週間あるいは2週間の断食を何回かしたことがあります。

断食の最中は、体が食べないことに慣れれば、食べないことへの心理的ストレスがなければ後は体力の限界まで可能です。

私は食べないことへのストレスを感じたことはありませんでした。

しかし断食が終わってから後の食養生には、かなりのストレスがありました。

なので、私の断食療法は失敗に終わりました。何度試してもダメでした。

それくらい私には、「食べることへの制限や条件」がストレスになるのです。

なぜなのか、理由は解りません。ただその時に、ある鍼の先生から「君は意志が弱い」と言われたことがショックで、それから「なぜ意志が弱いのか」を知りたくなり、心理学、瞑想へ興味が移りました。



こうした経験から、人が食べる行為には三つの側面があることが解りました。

一つには、動物本能的な要求として食べること。

二つには、心理的要求として食べること。

三つには、コミュニケーションの媒体として食べること。


食養は、食の間違いを病気の原因としますが、なぜ「食を間違えるのか」を語りません。語るとすれば「習慣性」ですが、それではその習慣がどこから来たのかを語りません。

また玄米菜食を良いとし、肉食や三白の害として「白米、白砂糖、化学調味料」を挙げています。

確かにそれらを摂りすぎることは、体に害をもたらすことは確かです。


しかし皮肉な事実として、私の家庭でも、他の方の家庭でも、食養に熱心な人ほど常に体調不良を抱えており、食に無頓着、無関心な人のほうがどこも具合の悪いところがない、ということがありました。

それに多少、体に悪いものを食べたとしても肝臓機能と腎臓機能、免疫系がしっかりとしていれば、害のある成分は汗と尿と便で排泄されます。


だから健康上は、この肝腎、免疫を鍛えておけば大丈夫なのです。


しかしその機能を狂わすものは、過度のストレスです。あるいは持続的なストレスです。そのストレス発散のため、食が乱れるのです。

しかし気分が楽しいときは何を食べても美味しく、肝腎免疫もしっかりしていますから、体に悪いものを食べても排泄されます。

それに食に神経質になると人との交流機会が減ります。人と人は、ただ会って話をするにも、そこに「食と酒」があるかないかで、話の弾み方も違ってきます。

もちろん、会いたくない人と興味のない話に付き合うことはストレスになりますから、そういう時の食事は体に良くないことは確かです。



食養をやる人のなかには、世間的な出世にも人間関係にも興味がない人もおります。この人たちは宗教あるいは哲学上の理由から食を制限しています。それを心底信じている人は、その心の作用によって健康がもたらされます。

本人は食養の効果と思っているかもしれませんが、私から言わせると心の作用だと思います。だから食養が信じられない、必要と感じない人は、そもそも続かないし効果もないと思います。

私の場合は、本音を申せば食養を信じてきれなかったし、身体もそれを求めてなかったから続かなかったのです。



ただ、
一般的に気をつけたほうが良いことは、水は浄水器を通したほうが良く、塩は天然のものが良く、化学調味料や白砂糖は良くないように感じます。

また、何を食べようと食べ過ぎは良くないです。一日2食が理想です。

それから出来るだけ、自分で調理をし、後片付けも食べ終えてすぐにしたほうが良いです。

たとえ体に良いものを食べようと、それを人任せにしていると自分に合う食べ物を見分ける感覚が育ちません。また食後すぐに片付けることで消化も促され、緩んだ体は即引き締まりますので、自律神経の働きも良くなります。