天川貴之 理念哲学講義録 哲学的エセー

無常から絶対無にいたる哲学の実相を平易なことばで綴り、人生に即した叡智のあり方を解きあかす。

10-8「絶対光明の芸術意識としての『無』」天川貴之

2018年09月02日 | 哲学(本文)
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あの稲盛和夫をして
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そして
『理念哲学講義録』
「更によくなっている」
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第十章 時空と絶対無について


第八節 絶対光明の芸術意識としての「無」


本当の愛というものは、
絶対秩序と絶対平等を止揚しているところの、
絶対愛である。
その絶対愛を体現しようと思ったならば、
理法を見抜く叡智が必要であるから、
絶対叡智即絶対愛であると言える。
そして、それが光明荘厳の世界を築くわけだから、
絶対光明であると言える。
絶対愛即絶対叡智即絶対光明である。
絶対光明と申したけれども、
光明荘厳の世界に行き着くまでにおいては、
迷いの世界があり、
また悲劇があり、喜劇があり、
一大光明劇をベースにしながら、
様々な劇が、
人生の無という宇宙のなかで展開されているように見える。
悲劇がなければ、一切の悲しみも、苦しみも、
悩みも、挫折も、失敗もないであろう。
また、サービス精神もないであろう。
光明劇のみであるならば、
それもまた、一つの限定が入っている。
あらゆる悲劇、喜劇、光明劇を、
その根底で司っているところの意識は、
一大光明荘厳の芸術意識であり、
すべては大調和に向かってゆくしかない。
しかし、同時に、
自由意志を与えられた人間存在を中心とする三次元宇宙の劇は、
様々な喜劇を生じ、様々な悲劇を生じ、
様々な悲しみ、苦しみ、悩み、挫折、
そのようなものも存在し、
そのようなものを素材としながら、
三次元にしか放つことのできない芸術というものを、
創造してゆくことができる。
闇がなければ、光はない。
闇が解からなければ、
光は解からないというのも真理である。
光が光として光を認識するというのも真理である。
そして、その両方を、
様々な時間空間の中で必要としている存在があるということも事実である。
であるから、すべての存在に対して、
あらゆる教材を劇として、
カルマの法則の観点から提供しているのが、
本源なる地球的無の意識である。
そのような立場に立つならば、
私達は、あらゆる万象万物に対して、
深い愛の眼差しを持ち、
そして、すべてに感謝し、和解し、そして尊重し、
そのような博愛の精神を持ちながら、
同時に、理法を応用したところの秩序を、
実現してゆくという使命を担わなければならない。





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