天川貴之 理念哲学講義録 哲学的エセー

無常から絶対無にいたる哲学の実相を平易なことばで綴り、人生に即した叡智のあり方を解きあかす。

理念哲学講義録 あとがき 天川貴之

2018年09月06日 | あとがき
理念哲学講義録 あとがき 天川貴之


叡智は、人間を無限なるものへと飛翔させるのである。
叡智は、人間が一片の小さな肉塊でないことを
教えて下さるものである。
何故なら、人間は、叡智によって、
自らの存在を超えた大宇宙のことや、
大自然のことや、
運命のことを思索することができ、
真理を導き出すことができるからである。
叡智に目覚めることによって、
人間は、人間から真に自由になり、
人間を超えられるようになる。
そして、絶対者へと近づき、
絶対者と一体となることが可能となるのである。
叡智の結晶を小さくしてゆく程に動物に近づいてゆく。
まさしく、叡智こそは、人間を高等生命体となし、
さらに、絶対者に近づかせてゆく源である。
よって、叡智の学である哲学は、
人間を動物と区別し、より高等生命体へと、
より絶対者に近い存在へと、
本当の進化をさせてゆくために不可欠の学問といえるであろう。
叡智の中でも、中核にあるものが理念哲学である。
この理念という実在を知った所から、
そもそも哲学が生まれ、
諸学が生まれたように、
新時代もまた、理念哲学を基にした、
諸学の統合がなされなくてはならないのである。
また、理念哲学は、本書に書かれているような様々な人生哲学、
実践哲学にも応用可能なものである。
この理念こそが叡智の中核であり、
理念からすべてが生まれるという真理は、
これから全人類が、その叡智的遺産を再統合し、
新構築してゆく上で、重要な要である。
本書の志の一つとは、
理念哲学という観点から、すべての哲学を止揚統合し、
また、宗教も科学も芸術も止揚統合し、
叡智の殿堂をつくることであった。
この試みはライフワークであるが、
その一端は、本書に示すことができたのではないかと思う。
今後、ますます精進させていただきたい。
本書の作成にご協力いただいたすべての方に、
心より感謝の念を捧げる。


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理念哲学講義録 まえがき

2018年09月06日 | まえがき
理念哲学講義録 まえがき 天川貴之

哲学とは、叡智を探究してゆくことである。
そして同時に、
自らの心の内に叡智の結晶を育んでゆくことでもある。
一人一人の心の奥底には、
無限の叡智が内在されているのである。
しかし、それは、開拓してゆかないと、
本来の叡智として湧出してこないものである。
多くの人々は、自己が本来、
偉大なる叡智的実在であるという認識をもたれていない。
そして、自らの心の奥底にある至宝に気づかれない。
しかし、人生というものは、内なる叡智の灯を掲げた時に、
無限無数の真善美聖の光り輝く世界と変わってゆくものである。
さすれば、どうか叡智の眼を輝かして、
自分自身を再発見していただきたい。
そして、世界を再発見していただきたい。
観方が崇高になればすべてのものが崇高に観え、
観方が雄大になればすべてのものが雄大に観え、
観方が深くなればすべてのものが奥深く観えてゆくはずである。
その意味において、「観る」ということには、
無限の実力の差があり、
この人生観、世界観を磨くことこそが、哲学の本分なのである。
そして、内なる叡智によって観れば、
理念こそが実在であって、真善美聖等、
あらゆる実在がありありと実感されるようになってくるのである。
理念を実在感をもって至福の境地で観ずることができるようになったら、
その方は、本当に哲学の世界に参入しておられる方であると思う。
哲学の世界とは、
極めれば最高の幸福を人間にもたらすものなのである。
本書は、真善美聖等の理念の実在という立脚点に立って、
理念哲学の諸相を、
様々な哲学的テーマに基づいてまとめたものである。
また、その中核にある精神は、「心境」と「哲学的悟り」である。
人生の諸問題について、比較的わかりやすく講述したものであるので、
諸真理を実人生に生かしていただければ幸いである。
本書を機縁にして、皆様方の叡智の結晶がさらに育まれますことを、
深く祈念する。


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10-9「新時代の叡智的リーダーシップについて」天川貴之

2018年09月06日 | 哲学(本文)
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あの稲盛和夫をして
こう言わしめた書籍
『精神的ジャパニーズドリーム』
「京都賞受賞の可能性がある」
そして
『理念哲学講義録』
「更によくなっている」
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第十章 時空と絶対無について


第八節 新時代の叡智的リーダーシップについて
真理を悟ったならば、偽りを捨て真理につき、
善いものを悟ったならば、悪いものを捨てて善いものにつき、
美なるものを悟ったならば、醜いものを捨てて美につき、
そして、神聖なるものを悟ったならば、
俗悪なるものを捨てて神聖なるものにつくこと。
そのように、光一元の方向性、本来闇無し光のみ実在という、
「かくあるべし」の方向性というものが大切である。
その方向性は秩序の思想の具体化である。
すべてを平等に愛しながら、価値を認めながら、
同時に、秩序という光一元の方向性を打ち出してゆくこと。
これが、新時代の地球という場を考える時に、
大切な観点であり、哲学であろうかと思う。
三次元世界というものは、大切な世界である。
三次元世界がなければ、三次元経験、
三次元時間、空間はない。
三次元でしか起こり得ない現象はあり得ない。
その意味において、三次元即浄土であり、
三次元即光明荘厳であり、神の国そのものである。
それがまた、四次元、五次元、六次元、七次元、
八次元、九次元、十次元、それ以降の世界すべてに言えることである。
本当の叡智に立って観ずるならば、
すべてのすべては、これ理念である。
絶対理念である。
そして、すべてのすべてが、
真、善、美、聖の価値に輝いて観えてくる。
そのような無の場所というものを、
地球というところに創るという観点から、
私達は、新時代の民族問題も考えてゆかなければならないし、
様々な個と全体という問題、
統合と個性の開花という問題を考えてゆかなければならない。
それを示唆する中心の立場は、無である。
絶対無であり、アルクトゥールスである。
本源的無の叡智をもって、
これより後のあらゆる時間、空間を、
光明荘厳化してゆくこと、
それが、新時代の叡智的リーダーシップである。
新時代の叡智的リーダーシップは、
すべてのすべてを包括する平等愛の意識に立ちながら、
同時に、秩序愛の立場に立つこと。
平等知の立場に立ちながら、
同時に差別知ともいうが、秩序知の立場に立つこと。
これ絶対愛、絶対知の境地である。
そして、そのすべてが、一大光明芸術として達観されること。
それが絶対光明である。
絶対知、絶対愛、絶対光明。
そして、そのすべてを包括するところの無の立場に、
深く、深く、深く、身を置き、
本当の愛というものを、
太陽の如き心で、月の如き心で、
そしてまた、地球の如き心で、
輝かせてゆきたいと念願する。







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10-8「絶対光明の芸術意識としての『無』」天川貴之

2018年09月02日 | 哲学(本文)
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第十章 時空と絶対無について


第七節 絶対光明の芸術意識としての「無」


本当の愛というものは、
絶対秩序と絶対平等を止揚しているところの、
絶対愛である。
その絶対愛を体現しようと思ったならば、
理法を見抜く叡智が必要であるから、
絶対叡智即絶対愛であると言える。
そして、それが光明荘厳の世界を築くわけだから、
絶対光明であると言える。
絶対愛即絶対叡智即絶対光明である。
絶対光明と申したけれども、
光明荘厳の世界に行き着くまでにおいては、
迷いの世界があり、
また悲劇があり、喜劇があり、
一大光明劇をベースにしながら、
様々な劇が、
人生の無という宇宙のなかで展開されているように見える。
悲劇がなければ、一切の悲しみも、苦しみも、
悩みも、挫折も、失敗もないであろう。
また、サービス精神もないであろう。
光明劇のみであるならば、
それもまた、一つの限定が入っている。
あらゆる悲劇、喜劇、光明劇を、
その根底で司っているところの意識は、
一大光明荘厳の芸術意識であり、
すべては大調和に向かってゆくしかない。
しかし、同時に、
自由意志を与えられた人間存在を中心とする三次元宇宙の劇は、
様々な喜劇を生じ、様々な悲劇を生じ、
様々な悲しみ、苦しみ、悩み、挫折、
そのようなものも存在し、
そのようなものを素材としながら、
三次元にしか放つことのできない芸術というものを、
創造してゆくことができる。
闇がなければ、光はない。
闇が解からなければ、
光は解からないというのも真理である。
光が光として光を認識するというのも真理である。
そして、その両方を、
様々な時間空間の中で必要としている存在があるということも事実である。
であるから、すべての存在に対して、
あらゆる教材を劇として、
カルマの法則の観点から提供しているのが、
本源なる地球的無の意識である。
そのような立場に立つならば、
私達は、あらゆる万象万物に対して、
深い愛の眼差しを持ち、
そして、すべてに感謝し、和解し、そして尊重し、
そのような博愛の精神を持ちながら、
同時に、理法を応用したところの秩序を、
実現してゆくという使命を担わなければならない。





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10-7「絶対秩序の意識としての『無』」天川貴之

2018年09月01日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第七節 絶対秩序の意識としての「無」


と同時に、宇宙の本源意識というものは、
秩序の意識である。
何故に、九次元と八次元が分かれているのか。
何故に、八次元と七次元が分かれているのか。
何故に、七次元と六次元が分かれているのか。
何故に、六次元と五次元が分かれているのか。
何故に、五次元と四次元が分かれているのか。
何故に、四次元と三次元が分かれているのか。
そして、何故に、相似形で価値の要素を次元ごとに変えながら、
それぞれの空間があるのか。
それぞれに時間が流れているのか。
違った空間が流れているのか。
何故に、表の正統と、裏の異端というものが存在するのか。
それは、宇宙の本源意識の中に秩序というものがあるからである。
そして、秩序は法である。
意志である。本源なる絶対無の創造主は、
すべての個性を生かし育みながら、
それに公平なる秩序を与えることをもって、
宇宙の進化と調和を司っており、
それによって、大調和の世界を示顕せしめんと計画しておられるし、
意図されておられる。
時間の流れがあるのは、
神の心の流れがあるからである。
すべてのすべてで、神は無であったわけであるから、
時間はない。空間もない。
けれども、その中から念いが生まれた。
そして、その言葉が、時間、空間をつくり、
すべての現象を在らしめた。
そして、すべての現象に、
進化と調和、即ち、大調和の方向性を、
時間の流れとして本源意識は方向性として持たれた。
その方向性を実現するために、
宇宙的秩序というものがあり、
その宇宙的秩序を地球という場所において、
個性をもって分光し、
その秩序を顕わしている意識が、
喩えていうならば太陽の実在であり、
月の実在であり、また地球の実在であり、
地球に幸えているすべてのものは、
存在として価値を有しておりながら、
秩序として、真理か偽か、善か悪か、
また美か醜か、聖か俗か、正統か異端か、
健康か不健康か、繁栄か衰退か、
そのように分かれているのである。
それは、宇宙秩序の意識が、
宇宙平等の意識と共に働いているからである。
秩序即平等であり、平等即秩序であり、
そのコアは、宇宙の本源なる無の意識にあるのである。
その双方を忖度しなければ、本当の宇宙、
さらにいえば、地球というものを理解することはできない。
地球になぜ、元々無かったところの九次元世界が創られたのか。
地球になぜ、元々無かったところの、
八次元、七次元、六次元世界が創られたのか。
そして、なぜ元々無かったところの五次元世界が創られたのか。
また、なぜ元々無かったところの四次元世界を創られたのか。
そして、元々三次元世界があったのか。
これを深く洞察してゆかなければ、
健全な判断というものはできない。
限りなく無の立場に立ちながら、
すべての存在価値を認めるところから、
新時代の哲学は出発し、
尚且つ同時に、
すべてを秩序づけている理法意識を見抜くところから、
新時代の哲学は始まってゆくのである。





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10-6「絶対肯定の意識としての『無』」天川貴之

2018年08月31日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第六節 絶対肯定の意識としての「無」


統合叡智というものは、
広義の哲学というものは、
その現象の奥に理念を見出すこと、
真理を見出すこと、価値を見出すことである。
何故、現象が現象としてあるのかという、
本源的なる問いに答えること、それが真理である。
であるから、現象は、
どこの次元にあるものでも素材である。
宇宙の理法という真如は、三次元世界にすでにある。
三次元世界にある物質、物体の中で、
法則の下にないものは一つたりともない。
すべては法則の下にあり、
すべては法則を体現し、応化し、
顕われているものであり、
その意味において、すべてがロゴスである。
三次元存在を三次元現象として観るだけでは、
それは、ただ単なる現象であり、物体、物質であるが、
叡智の観点から法則として観たときに、
そこに、三次元にしかない法則があるのである。
三次元にしかない真理があるのである。
三次元にしかない叡智があるのである。
三次元にしかない、真、善、美、聖、
あらゆる価値があるのである。
我々は、多次元宇宙のすべてを否定してはならず、
単純肯定してもならず、
絶対肯定しなければならない。
三次元を絶対肯定する立場を光明荘厳と言う。
四次元存在を、四次元世界を絶対肯定する立場を光明荘厳と言う。
五次元世界を絶対肯定する立場を光明荘厳と言う。
六次元的世界を絶対肯定する立場を光明荘厳と言う。
七次元、八次元、九次元、十次元、十一次元、
十二次元、十三次元、十四次元、十五次元、すべてである。
すべてを絶対肯定するところの意識こそ、無である。
すべてを肯定する意識が、無である。
一つでも否定すると、無にはならない。
なぜなら、限定が入るからである。
しかし、単純肯定するだけでは、無にはやはりならない。
それは、法則を知らないからである。
絶対肯定する立場は、
法則を真に知る「トゥルース(絶対真理)」の立場に立つものである。
多次元宇宙には、空間として、
様々な個性的空間が存在する。
そのすべての個性的なる空間を絶対肯定する立場が、
無の立場である。
何事も、正統と異端、表と裏というものもあるが、
表を絶対肯定し、裏を絶対肯定しなければ、
宇宙は存立しない。
であるから、空間として存在するわけである。
無という立場に立って幸えぬ意識は、
存在するものの中ではない。
その意味において、すべてのものに平等に、
存在の愛が降り注がれていると言えるであろう。
その意味において、すべてのすべてに価値がある。
その価値を尊重するということが、
万象万物を尊重し、真に愛するということである。





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10-5「絶対創造としての『無』」天川貴之

2018年08月30日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第五節 絶対創造としての「無」


光が様々な現象を創っているということは真実である。
そして、光は無から生まれたということも、また真実である。
あらゆる光の源にあるものは、無である。
この無から光が生まれた。
この光が様々な次元に分かれ、
無数無限なる個性に分かれているのが、
ありとしあらゆる現象である。
それを喩えるならば、十次元、九次元、八次元、七次元、
六次元、五次元、四次元、三次元というふうに表すこともできる。
そのような空間として表すこともできる。
また、過去、現在、未来という時間で現すこともできる。
それを、オールド・エイジ、ニュー・エイジという言葉で表すこともできる。
しかし、あらゆる次元を超えて、あらゆる時間の流れを超えて、
永遠普遍なる源というものは存在する。
あらゆる光の源であるところの無は、
あらゆる限定を超越する。
そして、あらゆるものをその奥に包み、包含する。
であるから、見えない。無である。
見えるものは限定がかかっているものであり、
感じ取れるものは限定がかかっているものであり、
限りなく純粋光というものは、見えなくなってゆく。
色彩がなくなるのである。
でありながら、すべての色彩をその内に宿している。
すべての色彩をその内に宿しているから、
純粋であり、無になるのである。
その無から、あらゆる次元のものが生まれてゆくのである。
十一次元、十二次元、十三次元、十四次元、
あらゆるものも、その本源は無である。
次元という立場に執われている限りは、
無という本源に立ち還ることはことはできない。
銀河であるとか、また違った銀河であるとか、
星であるとか、また違った星であるとか、
このような個性的なる立場に執われている限りは、
宇宙の中心であるアルクトゥールスに無に到達することはできない。
その無からすべてが始まり、
無から場所としてすべてを支え、
すべてのすべてを含みながら、すべてに命を与え、
あらゆる時間と空間を生じせしめているところの本源創造の意識、
そして、本源維持破壊の意識、
維持破壊もまた創造であるという観点から観れば、
絶対創造の意識、それが、本源なる無である。
宇宙は生まれたものである。
それは、無が自己実現したものである。
宇宙が宇宙として存在するのは、
無があるからである。
中心があるからである。
無が無として機能しているからこそ、現象は消えずに残る。
無がなければ、現象の存立基盤がなくなる。
この現象というものにも次元構造がある。
私達が三次元存在として五感で認識し得る、
縦、横、高さのある物体のみを現象というのではない。
ヘーゲルの精神現象学という言葉があるが、
精神における現象というものもある。
即ち、三次元現象、四次元現象、五次元現象、六次元現象、
七次元現象、八次元現象、九次元現象、十次元現象、
そのような形で現象が展開するのが多次元宇宙である。
あらゆる次元に、それぞれの時間と空間がある。
そして、現象として展開しているものである。





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10-4「『無』の本質について」天川貴之

2018年08月28日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第四節 「無」の本質について


ところで、このゼロというものは、
如何なる本質を持っているのかということを考えた時に、
これは、時間もまた無であり、
空間もまた無であるところの場所である。
そして、時間の本質と、空間の本質を真に洞察し、
その両者を統合する唯一の立場が、
この無という立場であるということである。
ゼロという中心を持たずして、
あらゆる時間の営みもなく、空間の営みもない。
無というものだけであるならば、
ありとしあらゆるものは存在しない。
無である。
それは、永遠普遍にあるところの絶対者の意識である。
無からすべては始まり、無にすべては還り、
その無の中にはすべてがあり、すべてを包括し、
すべてを可能態として持っているものである。
未だ現象として、また理念として現れていないものも、
無の中にはすべてある。
無は、何もないものではない。
それは、有無の無である。
有無を超えて、無というものは、
すべてを含んでいるものである。
それが、時間空間の形式を伴って現れていないだけなのである。
すべてのすべてである、無。
無であるということは、
有としてのあらゆる限定をはずしたということである。
あらゆる個性的限定をはずすと、
あらゆる個性を超えた無になる。
Aという立場も、Aという立場がある限りは、無ではない。
Bという立場も、Bという立場がある限りは、無ではない。
光という立場も、光がある限りは、無ではなく、
闇という立場も、闇という立場がある限りは、無ではなく、
影という立場も、影という立場がある限りは、無ではない。
喩えるならば、光の中にある七色の光であっても、
その七色の、
たとえば白という立場がある限りは、
その源である無である立場にはなりえない。
赤である、という立場をとる限りは、
その本源なる無にはなることはできない。
青であるという立場をとる限りにおいては、
その本源である無に立ち還ることはできない。





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10-3「宗教の立場から『無』を探究する」天川貴之

2018年08月27日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第三節 宗教の立場から「無」を探究する


更に、宗教で言われているところの無もまた同じであり、
時間論、空間論もまた、宗教の本質であり、
特に、それが仏教において、
思想的に深く広く出ているように思う。
仏教でいうところの諸行無常という真理は、
すべての現象は移り変わってゆく、
即ち、哲学でいうところのヘラクレイトスの、
万物は流転するという真理と同じである。
これは、現象そのものではない。
現象の奥に理法を発見して、
初めて出てくるところの言葉である。
諸行無常というものは、
三次元現象界の本質であり、真理であり、実相である。
そしてまた、三次元の空間の本質もまた、諸法無我である。
ギリシャ哲学において、
実在とは何かという議論があり、
万物の源が水であるとか、火であるとか、
様々なものに喩えられて表現されるが、
空間というもの、存在というものの本質は、無我である。
このような見地は、
万物は流転するというヘラクレイトス流の哲学の、
派生したる考え方であり、
ソクラテス、プラトンが、
客観的永遠普遍の真理に到達する源となったテーゼである。
ソクラテス、プラトンも、
諸法無我、諸行無常の空間論、時間論を、
存在の本質として認識するところから哲学を始めている。
と同時に、同時代のエレア学派やピタゴラス学派にあったところの、
永遠普遍の実在という概念、
これを限りなくアンチ・テーゼとしながら、
イデア論を打ち建てたというのが、
プラトンの哲学の真相である。





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10-2「科学の立場から『無』を探究する」天川貴之

2018年08月26日 | 哲学(本文)
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第十章 時空と絶対無について


第二節 科学の立場から「無」を探究する


無というものは、科学的な立場から説明すると、
ゼロという概念に相当する。
ゼロというものが無であり、
無を数学的なる悟りをもって表現したのが、
ゼロというものである。
数字というものは理念であり、
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、とあるように、
このような数字は、現象としては何処にも存在しない。
1と見えしものも、分割すれば1ではなく、
厳密な1は、この地上の現象の中には存在しない。
現象を認識した上で、
その背後にある理法を認識して初めて、
数字というものが顕われるのである。
即ち、数学は、
理念界の表現であり、
法則界の表現である。
即ち、現象を理念によって説明し、
理念が展開して多となって現れた現象を統括する立場が理念である。
それが、数学となって顕われたものが、
現在の数字として表象化されているのである。
であるから、我々は、理念を知るということが、
数学を知るということと同じであり、
哲学をするということが、
数学をする、科学をする、
ということと同じであるということに目覚めなければならない。
科学の世界で問題にされるところの時間論、空間論もまた、
哲学で問題にされるところの時間論、空間論と同じである。
一般に、科学は現象を対象とするものであり、
哲学は実在に始まる理念を対象とするものであるから、
その対象が違うという観点から、
職分の領域を分ける方もいるが、
それはトータルな考え方ではない。
哲学もまた、現象を対象とし、
その現象の中に理念を見抜き、法則を見抜き、
真理を見抜くところに本質がある。
ヘーゲルもそのような立場であるが、
現象というものを対象として把握し、
そして、その中に、一条の法則を見つける、発見する、認識する、
それが哲学の営みであり、学問の営みである。
科学も、その対象は現実世界であるが、
その理論の源となるものは、真理である。
理念である。法則である。
したがって、科学そのものを認識するということは、
理法を認識することに本質があり、
その理法を認識したものを理論科学として確立し、
そして、それを応用科学として様々に応用してゆくところから、
科学による人類の進化発展ということが生じるのである。
その源にある精神態度と方法論は同じである。
そのような観点から、ゼロという概念、無という概念を考え、
更に、時間という概念、空間という概念を考えてみたいと思う。




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10-1「時空と絶対無について」天川貴之

2018年08月24日 | 哲学(本文)
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第十章 時空と絶対無について


第一節 宇宙の本源としての「無」


時空と絶対無について論じてゆきたい。
無というものを深く探究することは、
宇宙の本源を探究するということと同じである。
宇宙というものは、外にあるばかりではなく、
人間の心の内に、一人一人が宿しているものである。
一人一人が、自分自身の心の内に、
宇宙というものを持っており、
その宇宙の本源を探究してゆく上で、
無という一字は、限りなくその奥を探究してもその奥があり、
更にその奥があるところの深遠なる真理そのものである。
この無にも、様々な切り口があり、
様々な個性もあり、様々な高さの違いもある。
無とは、本来すべてであり、すべての真理の源であり、
すべてのすべての本源でありながら、
展開したる事象、現象のすべてを包括し、包むものである。
かつて、西田幾多郎の哲学において、
絶対無というものが説かれ、
無の場所というものが、
いわば宇宙の中心的位置を与えられていたが、
西田幾多郎の到達した境地の絶対無は、
また、違った切り口から到達することもできるし、
また、違った表現で現わすこともできるし、
また、その奥に秘められたる内奥の真理を探究することもできる。




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9-9②「統合哲学の時代」天川貴之

2018年08月23日 | 哲学(本文)
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あの稲盛和夫をして
こう言わしめた書籍
『精神的ジャパニーズドリーム』
「京都賞受賞の可能性がある」
そして
『理念哲学講義録』
「更によくなっている」
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第九章 経験と叡智的直観について


第九節 統合哲学の時代②


それは、何故に必要であるかというと、
理念への尊敬の念の故に必要なのである。
理念を尊重しようと思えば、
叡智的直観を尊重しなければならない。
そうしなければ、
理念というものを真に生かすことはできないのである。
叡智的直観を尊重し、
その上で、論理性を尊重し、
その上で、知識を尊重し、経験を尊重し、
あらゆる認識の基盤を尊重すること、
そこから、本当のトータルな包括的哲学体系が生まれるのである。
単なる経験論でもなく、単なる合理論でもなく、
単なる感性論でもなく、単なる直観論でもないところの、
包括的哲学の立場というものが、
そこから生まれるのである。
人間は、人生は、世界は、
すべてこのような態度で臨まなければならない。
人間の源には哲学があり、
哲学は、本来万人が持つべき素養である。
これがなければ、人生を知ることも、
世界を知ることも、
そして、新時代を知ることもできない。
このような総合哲学、統合哲学を、
新時代の立場として明らかに表明し、
そして、新時代に至る源となったところの、
様々な哲学体系をすべて尊重し、
その中の良いところを汲み出し、
教訓と功罪両面を汲み出し、整理統合し、
更に、あらゆる仏教や、キリスト教や、日本神道や、
様々な宗教を統合し、
更に、芸術も統合し、
様々なありとしあらゆる人間の営みを統合し、
科学をも統合し、
新しき統合叡智の時代を迎えてゆかなければならない。
新時代の精神は、全き叡智の時代である。
全き理性の時代である。
それは、取りも直さず、
全き絶対精神を有する人間の時代である。
人間は、その本質において叡智的存在であり、
叡智的実在であり、
そして、叡智的実在が、
内なる真理を叡智の結晶として育んでゆくところに、
人生の使命がある。
それを、人間の使命とし、哲学者の使命とし、
永遠普遍なるテーマとして尊敬し、
我々は、限りなく柔軟に、
ありとしあらゆる叡智を学び、究め、
そして、自らの内なる叡智の結晶を、
限りなく大きくしてゆくことである。
その叡智の結晶こそが、その人の人生の宝物であろう。




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9-9①「統合哲学の時代」天川貴之

2018年08月22日 | 哲学(本文)
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あの稲盛和夫をして
こう言わしめた書籍
『精神的ジャパニーズドリーム』
「京都賞受賞の可能性がある」
そして
『理念哲学講義録』
「更によくなっている」
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第九章 経験と叡智的直観について


第九節 統合哲学の時代①


近代の哲学は人間から出発した。
中世は神から出発した。
新時代は、絶対者たる神と、
自由意志を与えられた絶対者の一部であるところの人間が、
共同作業によって、叡智の全貌を解明してゆくことが、
その中核となる時代となる。
かかる新時代の要請に基づいて、
我々は、哲学を、本当に統合理性の哲学として、
イノベーションしてゆかなければならない。
そこの中心的鍵を握る認識論が、
叡智的直観である。
カントは、叡智的直観という立場をしりぞけた。
しかし、叡智的直観というものが持っていた価値の鉱脈は、
深く大きなものである。
新時代においては、この叡智的直観という言葉が、
悟りという言葉と共に復活するのである。
であるから、身近な例を挙げれば、経験も大切である。
そして、知識も大切である。
しかし、経験や知識だけですべてを推し量ってはならない。
経験というものは有限であり、個別的であり、
また、知識というものも過去そうあっただけであり、
また、それがすべてではなく、
知識と経験の両者を合い持っている方も、
叡智的直観という観点から、
無限の人間理性の開拓の余地があるのであり、
その意味において、心を白紙にして、
叡智的直観を磨くという姿勢を取らなければならないのであり、
また逆に、若くして経験もあまりなく、
また知識もあまりない方であっても、
叡智的直観というものは、
老若男女にかかわらず、
人間に備わっているところの生得知であるから、
このような生得知であるところの般若が真に開発され、目覚め、
そして、年若く、知識経験を超越して、
真理そのものの全貌を掴み、
新時代の精神、世界精神を理念として掴み得たものを尊重し、
敬ってゆく態度を取らなければならない。




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9-8②「叡智的直観について」天川貴之

2018年08月19日 | 哲学(本文)
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第九章 経験と叡智的直観について


第八節 叡智的直観について②


解からないから出発し、
本当だとも言わず、嘘だとも言わず、
そのような謙虚な立場から出発し、
無知の知から出発しながらも、
心を白紙にした状態から出発しながらも、
知を、理念を、如何に深く、高く、広く直観し、
それを、今度は論理的に説明し、
更に敬虔に応用して、
実証してゆくことができるかということを考えなければならない。
まず、直観ありきである。
叡智的直観からすべては始まる。
あらゆる経験や知識を越えて最も尊いものは、
仏教では般若の智慧と呼ばれているが、
哲学もまた、般若の理性というもの、
純粋理性というものが最も尊いものである。
叡智を直観すること、
叡智を叡智的直観によって直視し、悟ること、
そこから、その人の人生は真に開けることになる。
解からないから出発して、
叡智的直観によって如実に解かるという境地に到達し、
もしくは、間接的に解るという境地に到達し、
それを、論理によって体系的に説明し、
古今東西の知識に基づけてそれを説明し、
更には、経験の中にそれを応用し、
経験を通して、真理が真理であること、
理念が理念であることを実証し、
そして、万人に証明してゆくこと。
これが、新時代の哲学者のあるべき姿であり、
学者のあるべき姿であり、思想家のあるべき姿であり、
言論人のあるべき姿であり、人間のあるべき姿である。




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9-8①「叡智的直観について」天川貴之

2018年08月18日 | 哲学(本文)
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こう言わしめた書籍
『精神的ジャパニーズドリーム』
「京都賞受賞の可能性がある」
そして
『理念哲学講義録』
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理念哲学講義録~哲学的エセー~天川貴之
第九章 経験と叡智的直観について


第八節 叡智的直観について①


解からないということが解かっただけで、
人生というものは開けない。
解からないという謙虚な立場から出発しながらも、
無知の知から出発しながらも、
本当の叡智を求めて、本当のイデア、理念を求めて、
限りなく飛翔してゆくのが、
哲学者の使命であり、学問の使命であり、学者の使命であり、
また、言論人、思想家の使命であろう。
即ち、理念への飛翔、叡智への飛翔というものを、
私達は、これからの時代において、
更に深く探究してゆかなければならないのであり、
そのような方法論を、
むしろプラトンの哲学を引き継いだプロティノス的立場から、
新しい切り口を見出せるのではないかと思うし、
その切り口を見出すことによって、
仏教の般若の考え方、
また、東洋の伝統的な思考方式を融合する潮流を、
創り出すことができるであろう。
これからは、解からないことは解からないと言うという、
知的廉直の立場を取りながらも、
自分自身に正直であると共に、
真理に正直であらなければならない。
真理に正直であるということは、
真理を直観的に悟る精進努力をしてゆくことであろう。
真理が観える、理念が観えるということは、
悟りがあるということである。
統合的理性は、内なる叡智は、外なる叡智を見抜く。
内なる真理は、外なる真理を認識する。
相互作用という科学の言葉があるが、
真理は真理と相互作用するのである。
同通という科学の言葉があるが、
真理は真理に同通するのである。
これを、本当の知るということと言える。
即ち、解からないというのは、
これは逆に考えれば、
真理に同通していないということでもある。




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