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星の依る庭

よる【依る/寄る/縁る/夜】
「ほしのよるには」
大切なものを書き留める、SF(すこし・ふしぎ)メル変ブログ。

月夜の海

2025年04月23日 23時11分00秒 | カード占い:今日の私の依り処

2025年2月3日午前3時


この記事の走り書きは、その時に勢いで書いていたが、多少整理をして、投稿する。
が、とてもメル変な話。


見返して、そういえばこの日は節分という、とくに私の様な占いをかじる者にとっても大事な節目の日。余計に、だったのだろうか。
少し不思議な感覚だった。





───私はこんな時間になぜか占いをしていた。


なんとなく流れで呼ばれた気がして。

占いをしていたら訪れる唐突な眠気。

そんななか、色々聞き終わって片付けをしていたとき、
最後に神様カードがなにかをいう。

ふわふわした状態で引き
綿津見さんがいらした。

天を見上げながら、ワタツミの木の歌が私の口から捧げるように出る。




全身の力が抜けて、トランス状態かのような心地になった。いわばゾーンである。



…目を閉じてまた開くと、そこはまるで、海だった。



正確には、はたからみれば私が部屋のなかで、天井に向かってぼーっとしている光景なのだろうけれど、
私の頭の中のイメージには、たしかに目の前の天井に水面があって、反射する波とあぶくを映し出していた。


そしてその上は夜の海で、月が波に反射し
まっくらな空にこうこうと浮かんでいた。


「プクプクプク」と私は音を出し泡を吐いて、どんどん沈んでいった。

途中、ワタツミの木に引き続き、私が深海の海といえばと思って、思い出した曲をYouTubeで探して聴いた。
音楽の力はすさまじい。こういうときにもより力を与えてくれる。
もっとも、それがケロロ軍曹の映画の挿入歌であることは多少面白い点ではあるが、
子供の頃から妙に惹かれていた曲で、今もそれは変わらない。深海の歌で「メールのうた」というものである。

私はこの曲がただの劇中歌に収まらない力のある曲だと思っている。






私はさらに、深海のやすらぎにもはやふわふわとしていてとても心地よく眠れそう。


そして、部屋の中で、本物は見えないけれど、
天井越しの月そのものに、いや
月読さんそのものかもしれないが、想いを伝えた。


いつも、夜の中でずっと支えてくれていたこと。

ただただ、憧れていて、ひとこと「好きです」といった。


その言葉の裏に思い返すのは、

私が高校生あたりのころ、

心を病み、家からも出られず、夜の中に引きこもるようになって、
ふとしたときに、夜中の2、3時頃、
部屋の窓から月の光に誘われて、それを見ていた。

月を見て、ただ泣いていた。

本当に、まるで、映画のシーンのようだと、そのとき自分でも思っていたかもしれない。


が、それはまぎれもなく、残酷なほど現実で、たしかに泣いていて、涙が溢れていた。

この状況が本当にフィクションだったならばよかったと。


でも、現実。


昼が来るのが怖かった私に、

月は本当に、優しくて、

ああそんな光になりたかったから、辛くて、泣いていたんだって

今ははっきりとわかる。

その月を思い返すだけで、今も涙が出てくるのはなぜなのだろう。

そして、「あなたは私の憧れです」と言った。

綿津見のカードさんだけで月と海を感じていた私は、

締めくくりにカードから月読さんを出してお顔を拝見してみようとした。


なぜかこういうときの自分の予感と、カードは本当に当たる。

(まさかいらっしゃる…?そこに…。)

私はおもむろにカードの束ごとひっくり返してしてみると、そこに、月読さんはいた。


びくっっっと、心臓が跳ね返った。

あぁ本当に聞いてくれていたんだなと…。

ああ、ずっとそばにいたのだね。


これは余談だが、
通常、私のカードの引き方は、ジャンピングか、手でかざしたときや、目で見たときに、磁石のように引き寄せられる感覚があって、
それを頼りにカード占いをしている。

だから、束の裏を見る、というのは、
「答えを端折って明らかになる」という感覚に近く、ある意味カンニングのような気持ちにもなるので、あまりやらないのだが、
でも確かに、正面からは姿を表さずにそっと「裏にいるよ」というのが、尚の事、私のイメージする雰囲気の月読さん(月の存在感)らしくて、
びっくりしたと同時に、心がギューーンと持ってかれそうになった。

惚れるともいうのか…?
私はこういう、あからさまではなく、気が付かないところにちゃんと在って、支えてるような、そういうかっこよさにやっぱり憧れる。




私は本気で胸を押さえつけながら、ありがとう。。。。と呟いた。



その後、連想ゲーム的に、私はまた直感で何かを受け取ったのか、

唄の「かなりや」の歌詞を思い出す。


いつぞやに知った、私の大好きな詞。


最初に知ったのは多分、本当にたまたま見かけた回の、「にほんごであそぼ」という番組で、美輪明宏さんが、なぜか“太陽をやっている”のを見たのがきっかけ。

だから、私の口から出る「かなりや」も
そのときに聴いた、
美輪さんの深い深い声と波を感じさせるビブラートからくる表現を真似てしまう。


それをまた口に出して、天上に捧げる。


「うたをわすれたかなりやは、

象牙の船に銀の櫂

月夜の海に浮かべれば

忘れた歌を、思い出す」


アメノコヤネさんのカードに、
「言葉(音)にしたらいい」と先ほど(一件分前のカード引きで)言われていたから、
またそうして伝えられた。

そして気づいた。

私は、ずっと昔から、そのかなりやだったんだね、と。

どうして、歌えなくなってしまったのだうか。

歌いたかったのに。

本当は、声に出したかったのに。

「苦しかったし、寂しかったし、辛かったし、なんで、ぼく、そんなに押し殺しているの」

「誰がそういったわけじゃない。けど、ぼく、ずっと、除け者にされてきて、
埋められてもいい、捨てられてもいいって、
でもそれはならないって、言ってくれるような人がいたし、その人のために生きたいし、自分がなにより、そう言い聞かせて頑張ってきたんじゃないか。だから」


かなりや、

今は生き生きと、月夜の海で

多くの助け舟の力を借りて、

ああ、生きていきたいな。


ボロボロと涙が止まらなかった。

なにかこれまで奥深くに溜まったままだった、心の垢を押し流すための号泣かもしれないと思った。


そうして、その日の夜は、布団に入り、泣いて浮腫んだ目を瞑りながら、眠った。


---

(編集後記)

このときいらっしゃったカードの写真。

そういえば、コヤネさんは書いたとおりでしたが、天之常立神さんが月読さんに続いて出てきていました。なんだか、私に関係する形で、ミクネさんが出てくるのが、すごくシンクロを感じて、これまたキュンとしてました。

なぜかというと、ノナさんのお話の中では、
私が高校生のときから、どうやらミクネさん(天之常立神さん)が守護に入ってくれていたというのを、
一番最初のセッションで聞いていたのを思い出しました。

お恥ずかしながら、そのときを思い出して、泣いてたからですかね。

あのときから、こんにちまで、
ずっとずっと、ありがとうございます。



朱に交わりたい私と蛇の年

2025年01月27日 20時54分11秒 | 日記
2025年蛇年、最初の記事です。
遅ればせながらあけましておめでとうございました。(過去形)
今年はどの程度更新できるかわかりませんがよろしくです。
1月も終わりの本日は令和7年1月27日。
私はなぜか毎年1月になると、新年のはじまりの雰囲気やエネルギーのせいか、
年半ばより少しやる気が出る。動く気になれる。
最も、一番変わると感じるのは、やはり初詣など新年色々な場所に出向くからかなと。
なかでもとくに、今回記事にするところにいったのが今となっては大きかったとも実感している...。

1月に入り。
新年を迎えるために、私はさぼっていたネイルを、あかに染めた。
しばらくやっていなかったのだが、新年パワーに押されて重い腰、ならぬ重い指を動かした。
赤、いやこれは、めでたい赤としての『』。
いつもバロメーターにしているオラクルカードリーディング動画にて、
何となく朱がいいというメッセージが私に引っかかった。
クリスマスの空気にも押されていたかもしれないが、塗ってみたら、なぜだか力が湧いてくる気がする。
ネイルはよく自分のために、自分のなりたい色やエネルギーになるために、かつ視界の隅に入り込んで常に意識を持てるのでそのためのツールだと思っているが、
今の自分に足りない色が朱だったらしい。
だが今回このネイルにして良かったことは、これだけではなかった。

1/11に上記のイベントがあり、実は私はこのイベント出店に向けて、
昨年末に急接近した方と、あれよあれよと流れで本を作ることになった。
(同人誌とか共同でつくって出店したいな~、そういう仲間ほしいな~)なんていう優先度低めの憧れが漠然とあった。
が、まさか普通に歩いていたら、そっちから曲がり角で食パンくわえてぶつかってくると思わなかった。
「あ、じゃあ、一緒に食パン食べる?」「...お、おう。」的な流れ。(?)
10日にはそのために東京へ前乗りを果たし、
結構家計・家庭の事情やら、諸々自ら動き出して改善に向かわすための諸手続きやら、本当にごたごたしていて
はたしてこんな忙しない中行けるのかと思ったが、なんとか超絶貧乏旅で滞在までこなすことができた。
少々振り返りをしたいと思う。
最初は相手方は芯に考えていることやリズムが自分と全然違うタイプと感じていたが、
まさかそのノリのまま、事がヌルっと、しかして着々と進むと思っても見なかった。
また自分と同じような苦労の仕方をしていることが伺えたその人に、
私はほんとにポッと漏れたように「本のデザインを(有償無償を問わず)手伝う」と言ってしまったのだった。
私はまだまだ未熟なので、作業途中、量が増えれば増えるほど、そのような対応にしたことにモヤっとして、
本心では心から奉仕をしたいと思っているはずなのに、
だんだん自分が納得の行く対価を求めている気持ちに気づき、それ自体に罪悪感を感じたりして、だんだん自分を苦しくさせてしまうという癖がまだ多少あり。。。。
自覚があるだけ成長だとは思うが。。。
伊達にシャフ(社会不適合者)やってないなと思う所以のひとつである。(冗談)
また自営業の悩みどころではあるのだが、これはやりたいといった手前、自分の趣味の範囲でやるのか、やはり依頼としてみるか判断が難しく、
やはり無償は途中メンタル的に若干苦しかった。
しかしそれはちゃんと伝えないからこそ生まれる苦しみだと、これまでで学習したので、素直に伝えて、その点はわかってもらえたりと
少しの話し合いを経て落ち着き、それも今はまたひとつ勉強になったと思う。相談大事。
本を作ってる中で、双方の対応に少々課題があるなと感じたものの、
あえて自分が考えている意図を封印して、相手の言われた通りにしてみようという課題を自分の中で働かせていた結果でもあったので、
またひとつ「大人」になれたかなと。
また相手方とは根本の創作においては不思議と気をはらず、また変にシンクロする部分があり、
とりあえずは一緒にいて問題ないといった印象へと変わった。
途中無色透明な、掴みどころのないような関係という感じでこれまでにない新鮮さもあった。
ZINEという出版物のジャンルは「何を書いてもいい自由な雑誌のようなもの」ということで大差なく、
そんなゆるい制作物のノリのようにあえて抗わず、
自らの行動も漂わせていたような形になったがそれで良かったと思う。
出来上がって、自らの手で売るじんわりとした感動は、なにより今後の糧になった。
販売会のワンフロアの様子。
はじめてこのような出店イベントに参加して、どのくらい人が来るのかなど売上含め心配だったが、
やってみたら意外となんとかなるものなんだと思った。
その点、進行はすべて相手方がやってくれていたので、助かった。
そして、話は「」に戻る。
爪に朱を宿して臨んだ私は、これまで重ねてきた接客業のがうずいてしまい、
私は初めてにも関わらず、気がついたらめちゃくちゃ呼び込みしていた。
おかげかしらないが、わりとすぐ私の説明で買ってくれるお客さんたち。
そんな中、私の爪に注目して
「爪めちゃくちゃキレイですね!!」「かわいいですね!!」と男女関係なく言ってくださる方が多かった。
私は、そんなことわざわざお客さんのほうから言ってくれるなんて思っても見なかったので、
とても嬉しかった。
当方は男性である故、珍しさに言ってくれていることもあるのだろうなとは思ったが、
私はこのとき、
「他の色の爪だったならたぶん、何も言われなかったかもしれない。」
「私の今のオーラ、似合う色は、朱なんだ」と、このように複数の方に言われ、妙な確信を得る。
朱になりたい私と、朱である私が合致したような、そういうことなんだろうと。
ネイルのクオリティとしては正直自分はガサツなのでただ塗っただけ程度に思っていたのだが、
今回デザインしたZINEにも通じて、自分の作るものに対する自信や心の在りようを改めさせられたいい機会だった。
なにより心地の良い朱に交わって、人の助けを借りて、やりたいことに紛れるように、流れでいきてもいいんだよ、私。
ZINEフェスを無事完遂した後は、途中本に寄稿してくれていた方と三人となって一緒にびくドンパーティをしたのであった。。。

金華山紀行:後編

2024年11月06日 01時51分21秒 | 日記
金華山紀行 続きです。



坂を登っていくと、社務所前で案内役をしている鹿さんが。

ほんとにいつもここにいて、喋りたいのではというような雰囲気で、だいぶ慣れた顔もちをしてました。



なんとなく手水者の龍さん。
「モチーフはコタローさんなのかな〜」などと連れと話しながら…。



社務所からさらに鳥居をくぐって社殿につくと、そこはそこでお使いをしてる鹿さん。
慣れすぎです。



私はこの写真お気に入りなのですがちょっと「へっ」とした顔をしてます。モデルです。



木も立派でした。



私は各神社に行くと社殿正面の写真を必ず撮るのですが、今回忘れてしまった…。
社殿で参拝を済ませて足の赴くまま、社殿から横のひと気もほとんどない山道ルートへふらっと行ってみる。
ここからほんとは山頂へ行けるらしいが、ほんとんど道なき道で、川岸の岩場を歩く感じ。
どこまで行けるのか不安になってました。



水神社があって、奥の院はこちらというので、鳥居をくぐってまた登ってみる。
「どこまでいくんすか、私達。」と連れとズンズン進む。



ある程度登ったあと、途中案内板があって「この先道が崩れてます」「行けなくはないけど気をつけてね」と言われ、ガチ登山になりそうだったのでここで一区切りつけ、腰を掛けながらしばらく川の音と自然の音、そして日光を浴びました。


私はここでなんとなく、日光からああ恵みもらってるな〜なんて、ゆるく感じて、
しばらく動かずにおりました。
「祝詞」なんてワードがふとよぎり、復習するように心の中で意識してみたり。。。


〜〜(以下本文から脱線。この文を編集中なにか急に指が動いたのでメモそのまま載せます。)〜〜

水は大事なことだよ。
このちにきたからあとはもうなかれけかかかかかななぬよえおくおとえかもゆてかくの
(この地に来たからあとはもう〜〜〜)??


〜〜〜

よくわからないのですが、何か受け取っていたみたいです。文章を書いてる途中、私はこれも占いのときの感覚に近いのですが、自分の意識に反して「これ(この文字)をとらないとしっくりこない」といった感覚で発作のようなものがたまに現れます。なので、たまにぐちゃぐちゃあ〜〜と、アナログでもデジタル(フリック入力やPCのキーボード)でも、
文字を書いててそうなるときがあります。

いわゆる自動書記的な現象なのか、はたまた私の妄想なのか疑ってはおりますが、深くは追求してないです。軽いヒントくらいに思ってます。


現地では得たものがあったのがいまいちピンと来てなかったのですが、やっぱりブログで書き起こして思い返してみると、こういうふうに色々合わさってわかることもあるんだなぁと今感じました。

でもたしかに、水が大事というような一連の流れだったのかなぁなんて、編集している今思ったりしています。



突如意識がスポーンと占いモードにスイッチして脱線しましたが、金華山の話に戻します。




しばらく連れと腰を掛けてぼーっとしていたところから、
降りるか…となって、降りていきました。
実は私達の後ろに男性一人がソロで一緒に登ってきていたのですが、私達同様に看板前で一旦お互いに不安になりながら、
「これ登っていいんですかね?」なんて言葉を交わしてました。
「大丈夫だとは思うんですけどね〜…」と私達は話すと、男性は看板より先の奥の院のほうへさらに登山をはじめ行ってしまったので、
引き返した私達は「あの方大丈夫かな…」などと心配しながら帰ってきました。

私達にはまだ奥の院に行く勇気は足りなかった…。(; ・`д・´)ぐぬぬ・・・

写真は降りるときの水神社。
然るべきときなら水が汲めるのでしょうが、フェンスは閉まってました。


こちらは弁財天堂。降りてくる最中に、私は気になることがあって、ノナさんのブログを見返しながら降りておりました。

先程山中で、祝詞について考えていたのと、コタローさんや龍神さん、金華山の話をもう一度復習していると、かつて弁財天堂に行かれて祝詞を神様に頼まれていたのを発見して、私はそれをやらなくては!となり。。。

いてもたってもいられなくて話したくなった、ノナさんに突如お電話して、ほぼほぼ脈絡ないまま「アノ祝詞って私やれないですか!?弁財天堂で祝詞あげたほうがいいですか?」と、伝家の宝刀に猪突猛進・正面突破的な感じで聞いてしまいました。。。

いざとなったときコミュニケーションめちゃ下手で本当に体育館裏告白する学生並みにあがってから回ってしまうのです。。。
(ノナさん突然あたふた電話してすみません。。。笑)

結局、思ったとおりにやってみれば〜?的な、確かに私もいつもの私の考え方もそうやんけ…という、ノナさんらしい回答を頂いて、
(くっ…私のようなものはまだまだ特別な祝詞を聞く立場にないぞ……精進せねば……)と、
心の中マジ武家屋敷でした。



電話凸をする直前に、珍しい色の虫に気がついて、連れと二人ですごいね〜きれいね〜なんて話してました。
なにか意味があったかもしれない。



弁財天堂で祝詞をあげ、となりの大きな大黒様と恵比須様に圧倒されながら、社務所でいつもどおり御朱印をいただきました。
となりにお守りを見る場所と休憩所があったので、私は一番気になった弁財天さんのお守りを求めました。オーロラのような絶妙な白の勾玉できれい。
社殿前というほどでもないですが、帰りになって一応正面をカメラに収めました。



ギリ天気が持ってよかった。


船に乗って帰ってきたあと、ホエール館(ホエールタウンおしか)という待合い兼お土産どころで冷凍のずんだシェイクを買って飲みました。
この世のご当地スイーツで、私はずんだを一番愛しております。笑

あとになってホエールタウンは昔行ったときはなかったと、東北仲良し組に聞いて、たしかに新しかったなと気づきを得ました。



石巻から車を走らせた帰り道で、そこそこリーズナブルで新鮮と口コミを見て、
「廻鮮寿司 塩釜港」という塩釜の寿司屋で夜ご飯を食べました。

貧乏症の私はやすいマグロでできる限り腹を満たす。。。笑
新鮮でとても美味しかったのですが、正直値段に気を使いすぎて、普段魚べいLOVEでバクバク食べている大食いの私は、普通の量を食べる人を装う形となって完全に萎縮してしいました。。。笑

ただよかったのは、私達の前のお客さんが、3世代に渡って一緒に来たご家族の大団体さんで、きっとお祝いなんだろうなというその雰囲気だけ受け取って、なんだかほっこりしながら帰ってきたのでした。


「金華山に3年連続で参拝すると、お金に困らない」という言葉─。
旅中でその言葉はどちらかというと
「金華山に3年連続で来れるくらい自分が稼ぎをがんばって困らないことが目標だな」と自分なりに解釈と学びを得ることが出来たので、

3年後は寿司も思いっきり食べれている…はず。

そうあってくれよ、3年後の私。

(完)

金華山紀行:前編

2024年10月20日 08時00分00秒 | 日記

10月6日(日)に、ついに金華山へ行って参りました。

当日は高速を使わずに、車で下道を4時間半。。。(片道だけで)

10時半の船を予約していたので、出るのは朝5時半くらい。(=_=)

石巻は半島になっているため、海沿いではあっても奥地も奥地でございました。

そしてなんとかかんとか船の出る鮎川港に到着。




津波のときは大変だったのでしょう。。。
私も福島なので、大変さはわかるつもりだが、山側育ちのため、海側に行くたびに、土地ごとの厳しさに直面する。



ビシャアっと。

船上でマップを開いて進む様子見ていて気づいたのですが、
鮎川港からは大回りをするように島へ向かっていて、よく見たら金華山と陸地は、とても近くて、いっそ橋をかけちゃえばよいのでは……と素人考えで思ったり。



しかしまぁ、鹿が橋を渡ったらしかたないか…(アッ)




港からいきなり急な坂の参道を登っていく。

おそらく神社関係の送迎の車が走っていて、足が悪い方は乗り合いする必要がありそうだった。

全然関係ないが、私は風ではためいた横断幕に空いた切り込みを見て「風をいっぺんに受けないようにしてるのか!」と感動していて、
こういう構造やデザインの仕組みみたいなものの工夫に目が行ってしまうのは、もはや性分なのだろう。




庭には二頭鹿がいる。

天気は本当にギリギリ雨が降らないというか、もはや何かがギリギリ雨を振らせないよう頑張ってるように感じるほど、曇りも曇り。絵に描いた、曇天。



なにかが雨を降らせないようにしていた、なんて表現したが、今回のメインイベント「鹿の角切りまつり」の1回目本番が始まると、
曇りではあったものの、その雲の合間から途中少しだけ暖かい陽の熱線?が天から降り注いでいて、気温が少し上がっているのを感じた。

以前もこの祭りのときに神様たちが集まっていた、とノナさんブログの記事でも見ていた私は、
このじんわりとした暖かさは、きっと天上の皆さんが頑張って天気を保たせてくれて、鹿や人間たちが寒くならないようにしてくれたのかなぁと、一人心の中で感謝を念じていた。



鹿の数を半分にしてはまた半分に…と、会の方々が調整しながら、
捕獲に手こずりながらも、ようやく一頭目の鹿さん、いわば最初の神鹿の角をギゴギコ。



角をギゴギコ切られた鹿は、スーーっと野に解放。(ネタが若干わかりづらい)

牡鹿さん、角がスッキリして首コリせずに済みそう〜とは思ったものの、
なんというか、、、俺の男の尊厳が、、、みたいな哀愁を感じる。

🦌「しかたねえな。。。」

私はお疲れ様…と見送った。


角切りを見終わって、鹿の角を始めとした景品の抽選があり、一応前もって記名して参加だけはしていたものの、結果当たらず。。。

期待はしてなかったものの、まあ今当たって運使いたくないし、他の方に必要な方が要ればそれで良いや……と、
利他の心(?)半分、負け惜しみ半分……。笑


気を取り直して、神社本殿へ向かったのだった。

つづく。

金華山前日譚:ある滝とその龍神さん

2024年10月12日 12時20分27秒 | 日記
宮城県石巻市は金華山。
 
前回のカード占いでお呼ばれして、流れのままに、何があるのかもわからず勢いのままに行くことにした。
 
……とその前に。
 
 
金華山に出向く日が近づくと、“直感さん”がなにか言ってくる。
 
「金華山に行く前に、裏磐梯(福島)の“とある滝”に行ったほうが良い」
 
カードも引かずに、龍神さんのことを思いながらそんな意識があった。
 
というのも、私が2〜3年前にその滝を東北メル変仲間3人組で訪れた時。
 
これはあくまでその内々での話だが、
その滝には龍神さんがいらっしゃって、
メル変仲間でも特にこれまできっかけ作ってくれたり、いつも大事なタイミングで仲介役となって導いてくれたメル姉さん(命名してみたらミル姉さんみたいになった…笑)が、またもやそこでもそのバイタリティで仲介役となって、なんの因果かその龍神さんを姉さんにではなく、私に就くようにお願いしてくださった、、、という話になり。。。
 
 
そのときサニワしてもらった言葉で、私のことについて龍さんが話したことがあまりにストレートだったので爆笑したのを覚えてます。。。笑
 
 
その時は、就いていただいた嬉しさもあって、なにか象徴として家にお祀りしたい思いも湧いていたので、
ノナさんにもちょっとずつだけお伺いしながら、
「特に必要はないが水色の?布を、川のように?置いてほしい」とのリクエストがあったのを何となく覚えている。
 
なので現在私の家の龍神さんコーナーの敷物は、ターコイズのような色のものを軽く垂らすように敷いている。
 
 
 
尤も、それが布かと言われたら、少し違うかもしれない。直前に大きな地震が来ていたせいで、神棚のものが落ちたり倒れたりして大変だったので、よく100円ショップにも売っている滑り止めになる素材のもので、ちょうどきれいな理想の色のものがあったので、それを敷いた。
 
いずれ、ピンとくるちゃんとした布にも巡り合えればいいなと思っているが、
なんとなく、なんとなくだけど、
それを敷いて滝のように垂らした時に、頭にグワッ!とした感覚が来て、これでいいっぽい、、、となって、今もそのまま。
 
 
 
当時は神棚に何か置いたり、祝詞を唱えたりすると、たまにクワッ!!( ゚д゚)とその場にクラクラするときかあった。RPGで「ランクが 1 あがった!パワーアップした!」的な。
 
今は神棚のメンバーも固定で落ち着いたので、それほど大きな変化は感じないが、諸々不足していた私がそのエネルギーに付いてこれるようになった、というのがしっくりきている。
 
 
 
 
 
話が神棚のほうに逸れてしまったが、
金華山に行く前に、私はその滝へ1年ぶりに行くことにした。すごく久しぶりな感覚だったが、何気に件のことがあってから毎年行ってデトックスしていた。こちらはとても清まるのです。
いつもは一人で行っていたが、今回は金華山へ一緒に行くパートナーもつれて。
 



遠くはないが、駐車場から滝に行くまで割と階段と山道。
 
ずっと気になっている、灯籠。
 
伝承上、不動明王をお祭りしているとあるのだが、滝のそばにあるお社には、もぬけの殻ともとれる神棚がおいてあるだけで、なにか祀ってある感じはしない。毎回お疲れ様の意味で一礼だけはしている。
 
いつか、、、その龍神さんもしくは滝そのものがもっと居心地が良くなるのであれば、お社の管理、、、までいくのは難しいのだろうが、何かしてあげたいと淡い希望を妄想している。
 
 



今回は、ただ行くもしくは癒やされに行くというより、なにか「お使い」「繋げる」といった感じがあった。
 
ちなみに去年来たときは、私の中で「祝詞を唱える」という流れがあって、私は人のこないうちに、
滝の橋の上で、滝に向かってスマホ片手に大祓を唱え、ついでに直近に動画で見ていた龍神祝詞の動画の音声をなぞりながら唱えたという思い出がある。
 
 
そのときは本当に感動した。
 
その場がチカチカと明るくなるような感覚に襲われ、本当にクラクラしてしまうほどご神気のようなものが漲っていたのを感じた。
 
さすがに、これは嘘まことの話で語るには収まらんぞという。。。
 
やって正解だったな、、、と。。。とにかくすごかった。
 



今回は、お使い。それも水を汲みに。
 
そしてその水を、金華山に持っていく。。。
 
そんな風に解釈をしておりました。
 
一応水を汲むために橋の方から降りた川岸にて、簡易的ではあるけど祓詞のほうの祝詞をあげた。
 
すると一緒に行っていたパートナーも「なんかクラクラする、、、これって山登ってきたから、、、だけじゃないよね?」と言うもんで、
私は慣れたのかクラクラとはしなかったが、
以前そうなったことを思い出してやっぱそうよね!?となってみたりする。
 
パートナーはこういう事自体は好きではあって、理解もしてくれているが、
私ほど神仏やらに傾倒している人間ではなく、
 
あくまで私との組み合わせだとある程度の「常識人ポジション」の人間なので、
ぶっちゃけ私が感じてることが、常識人にとっても「本当」に起こってることなのか?!と自分に対しても疑わしい私は、
パートナーの言動で、ある種の正解を得ている。
 
エネルギー、やっぱあるよね〜。フムフム(私)
 
 
川岸で川を静かに見つめて、滝の音に静寂を一度預けるかのようにゾーンに入る私とパートナー。
 
ふとパートナーが、川岸の岩で水の溜まり場になっているところをふらっと行って見つめていた。
 
「なにかピンとくる石があったら持っていけたらなって」
 
ほう……!そういう考えがあるか……!
 
これまで来ても石を持って帰るなんて発想が出なかった私。彼奴も私も普段から天然石が好きでブレスレットを作りに見せに行ったりしていて、石とは仲良し。
 
ただその考えを受けて、私は一瞬だけ、石を家へ持って帰るのは怖いこと、なんて、昔に母に教わったことが頭をよぎる。小学生の時分。
 
 
しかしパートナーは川岸の水底を見ても良い石はなかった様子。
 
それを受けて、私はなんとなくあたりを見渡すと、
また直感というか意識の視点が川岸から見て「上」と言っている。
 
滝のごく間近のわずかな岩の道のほう。
 
昔の教訓が過ぎっておきながらも、身体が先にずんずん登り始める。。。
 
本当にこういうときの自分の思考があとになってみるとよくわからない。
 
 
 
普段わりとビビリなので、そんな滝の間の高さにあるすぐ横の狭い岩場足場にまで進んだことがなかった。
が、「そっち、そっち」と直感が言うもんで、
行くか。。。と若干の勇気を振り絞りえっさほいさクライミング。
 
カードやおみくじを引くときの意識に似ているのだが、ああこれだなと、私の意識下の「意思」などに反してでも「直感」がなにか言う感覚があり、だいたいそれはどうやら当たっているっぽい。そう自信を持って言えるのにも少し時間がかかったが。
 
 
そして、わたしは狭い岩場の足元をじっと見つめ、あぁこれかもと、持ち帰るのにも手頃と思わしき石を選ぶ。なんか持って意識を合わせるとグググ………と、なにか車酔いならぬ石酔いしそうな感覚になる。
ほんとに持ち帰って大丈夫ですか……?と、自信の無さも少々。。。
 
一番中心と思わしき石と、予備的に周りの2つで計3つを持ち帰り、ひとつだけ角が丸い優しい石は、パートナーへ。観葉植物と一緒に置いておくのを勧めた。
 
 
たぶん一番中心の子。ツヨイ。パートナーも持ち比べて、なんだか一番グンとくる的なことを言ってる。

どちらにせよ、今まで家にこの滝の象徴がなく、持ち帰ってつながりが生まれるのなら、どんなものでも石があっていいかもしれないという考えに落ち着いた。
なにより、今回はパートナーがそんな考えを口から出したことにも意味があると思った。
 
ありがたく賜り、龍神コーナーの仲間入りを果たした。
置いたとき、家がぐわんぐわんとしたような気がした。
 
 
後々になってからふと降りてきた言葉があったので、書いておくとする。
あくまで、私の今回の旅のキャッチコピーみたいなものです。
 
 
「水の流れに龍を見よ。水すなわちそれ龍そのものなり。水の流るるは龍の脈動なり。」
 
 
こうして、今年の龍ちゃん挨拶と、金華山への前準備のような段階は済んだのだった。。。
 
 
次回こそ金華山の話へ!