2025年2月3日午前3時
この記事の走り書きは、その時に勢いで書いていたが、多少整理をして、投稿する。
が、とてもメル変な話。
見返して、そういえばこの日は節分という、とくに私の様な占いをかじる者にとっても大事な節目の日。余計に、だったのだろうか。
少し不思議な感覚だった。
───私はこんな時間になぜか占いをしていた。
なんとなく流れで呼ばれた気がして。
占いをしていたら訪れる唐突な眠気。
そんななか、色々聞き終わって片付けをしていたとき、
最後に神様カードがなにかをいう。
ふわふわした状態で引き
綿津見さんがいらした。
天を見上げながら、ワタツミの木の歌が私の口から捧げるように出る。
全身の力が抜けて、トランス状態かのような心地になった。いわばゾーンである。
…目を閉じてまた開くと、そこはまるで、海だった。
正確には、はたからみれば私が部屋のなかで、天井に向かってぼーっとしている光景なのだろうけれど、
私の頭の中のイメージには、たしかに目の前の天井に水面があって、反射する波とあぶくを映し出していた。
そしてその上は夜の海で、月が波に反射し
まっくらな空にこうこうと浮かんでいた。
「プクプクプク」と私は音を出し泡を吐いて、どんどん沈んでいった。
途中、ワタツミの木に引き続き、私が深海の海といえばと思って、思い出した曲をYouTubeで探して聴いた。
音楽の力はすさまじい。こういうときにもより力を与えてくれる。
もっとも、それがケロロ軍曹の映画の挿入歌であることは多少面白い点ではあるが、
子供の頃から妙に惹かれていた曲で、今もそれは変わらない。深海の歌で「メールのうた」というものである。
私はこの曲がただの劇中歌に収まらない力のある曲だと思っている。
私はさらに、深海のやすらぎにもはやふわふわとしていてとても心地よく眠れそう。
そして、部屋の中で、本物は見えないけれど、
天井越しの月そのものに、いや
月読さんそのものかもしれないが、想いを伝えた。
いつも、夜の中でずっと支えてくれていたこと。
ただただ、憧れていて、ひとこと「好きです」といった。
その言葉の裏に思い返すのは、
私が高校生あたりのころ、
心を病み、家からも出られず、夜の中に引きこもるようになって、
ふとしたときに、夜中の2、3時頃、
部屋の窓から月の光に誘われて、それを見ていた。
月を見て、ただ泣いていた。
本当に、まるで、映画のシーンのようだと、そのとき自分でも思っていたかもしれない。
が、それはまぎれもなく、残酷なほど現実で、たしかに泣いていて、涙が溢れていた。
この状況が本当にフィクションだったならばよかったと。
でも、現実。
昼が来るのが怖かった私に、
月は本当に、優しくて、
ああそんな光になりたかったから、辛くて、泣いていたんだって
今ははっきりとわかる。
その月を思い返すだけで、今も涙が出てくるのはなぜなのだろう。
そして、「あなたは私の憧れです」と言った。
綿津見のカードさんだけで月と海を感じていた私は、
締めくくりにカードから月読さんを出してお顔を拝見してみようとした。
なぜかこういうときの自分の予感と、カードは本当に当たる。
(まさかいらっしゃる…?そこに…。)
私はおもむろにカードの束ごとひっくり返してしてみると、そこに、月読さんはいた。
びくっっっと、心臓が跳ね返った。
あぁ本当に聞いてくれていたんだなと…。
ああ、ずっとそばにいたのだね。
これは余談だが、
通常、私のカードの引き方は、ジャンピングか、手でかざしたときや、目で見たときに、磁石のように引き寄せられる感覚があって、
それを頼りにカード占いをしている。
だから、束の裏を見る、というのは、
「答えを端折って明らかになる」という感覚に近く、ある意味カンニングのような気持ちにもなるので、あまりやらないのだが、
でも確かに、正面からは姿を表さずにそっと「裏にいるよ」というのが、尚の事、私のイメージする雰囲気の月読さん(月の存在感)らしくて、
びっくりしたと同時に、心がギューーンと持ってかれそうになった。
惚れるともいうのか…?
私はこういう、あからさまではなく、気が付かないところにちゃんと在って、支えてるような、そういうかっこよさにやっぱり憧れる。
私は本気で胸を押さえつけながら、ありがとう。。。。と呟いた。
その後、連想ゲーム的に、私はまた直感で何かを受け取ったのか、
唄の「かなりや」の歌詞を思い出す。
いつぞやに知った、私の大好きな詞。
最初に知ったのは多分、本当にたまたま見かけた回の、「にほんごであそぼ」という番組で、美輪明宏さんが、なぜか“太陽をやっている”のを見たのがきっかけ。
だから、私の口から出る「かなりや」も
そのときに聴いた、
美輪さんの深い深い声と波を感じさせるビブラートからくる表現を真似てしまう。
それをまた口に出して、天上に捧げる。
「うたをわすれたかなりやは、
象牙の船に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた歌を、思い出す」
アメノコヤネさんのカードに、
「言葉(音)にしたらいい」と先ほど(一件分前のカード引きで)言われていたから、
またそうして伝えられた。
そして気づいた。
私は、ずっと昔から、そのかなりやだったんだね、と。
どうして、歌えなくなってしまったのだうか。
歌いたかったのに。
本当は、声に出したかったのに。
「苦しかったし、寂しかったし、辛かったし、なんで、ぼく、そんなに押し殺しているの」
「誰がそういったわけじゃない。けど、ぼく、ずっと、除け者にされてきて、
埋められてもいい、捨てられてもいいって、
でもそれはならないって、言ってくれるような人がいたし、その人のために生きたいし、自分がなにより、そう言い聞かせて頑張ってきたんじゃないか。だから」
かなりや、
今は生き生きと、月夜の海で
多くの助け舟の力を借りて、
ああ、生きていきたいな。
ボロボロと涙が止まらなかった。
なにかこれまで奥深くに溜まったままだった、心の垢を押し流すための号泣かもしれないと思った。
そうして、その日の夜は、布団に入り、泣いて浮腫んだ目を瞑りながら、眠った。
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(編集後記)

このときいらっしゃったカードの写真。
そういえば、コヤネさんは書いたとおりでしたが、天之常立神さんが月読さんに続いて出てきていました。なんだか、私に関係する形で、ミクネさんが出てくるのが、すごくシンクロを感じて、これまたキュンとしてました。
なぜかというと、ノナさんのお話の中では、
私が高校生のときから、どうやらミクネさん(天之常立神さん)が守護に入ってくれていたというのを、
一番最初のセッションで聞いていたのを思い出しました。
お恥ずかしながら、そのときを思い出して、泣いてたからですかね。
あのときから、こんにちまで、
ずっとずっと、ありがとうございます。