大津市の市立中学2年男子生徒が自殺したことを巡って行われた全校アンケートで
「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教委が公表しなかった問題で、
市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかった。
市教委はこれまで、非公表にした理由を「事実を確認できなかったため」と説明していた。
市教委によると、「自殺の練習」は、生徒16人が回答に記していた。うち実名で回答した4人には聞き取りをしたが、
事実は確認できず、それ以上の調査もしなかったという。加害者とされる同級生らにも聞き取りを行う機会はあったが、
「練習」については一切尋ねなかったとしている。
その理由について、市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、
教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、
当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、
との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
ソース (2012年7月6日07時55分 読売新聞)
道徳というものが崩壊している。
色んなニュースを見て、被害者よりも加害者を擁護する日本の社会や法律にはもううんざりしている。
「いじめた側の人権」を尊重する教育委員会の担当者は、小学校からやり直して道徳を学び直したらどうか?
いや、教育する立場の者がそうなのだから、もう教育を受け直してもだめだろう。
「相手の気持を考えなさい」
道徳は基本的にこの一言だけだと思う。
教育委員会の担当者は、自分の子供が同じ目にあって自殺しても、「いじめた側にも人権がある」からと許すことはできるのか?
あろうことか、校内放送で箝口令がしかれた。
6日。「きょう(校内)放送あった。全校集めた(校内)放送で、『変なことしゃべるなよ』って」(同じ中学の生徒)
これが、人を正しい方向へ教育する教師がすることか。
もう、罵倒する言葉さえもみつからない。
彼らを先生と呼び、尊敬することはできない。恥ずかしく生きている「恥生」とも呼ぶべきだろう。
ま、時代的にゆとりが教師になっている頃だろうし。
ま、ゆとりが教師になれば、こういうこともやらかすだろう。
モンスターペアレントにペコペコ頭を下げ、面倒な事は見て見ぬふり、責任転嫁。これが今の教師の実態であろう。
願わくば、被害者の家族が訴訟を起こし、加害者家族を一家離散に追い込めるような判決が出ることを望む。
しかし残念なことに、今までニュースを見てきて、被害者家族が加害者家族に制裁を与えられるほどの判決を聞いたことがない、多くの場合被害者は泣き寝入りなのだ。
もう、在日外国人にお金渡して殺してもらうとか。たしかそういう事件もあった気がする。
中国人だっけ?
私の時代の教師はそんなことはなかった。
私がいじめられていることを知った担任は、助けてくれた。
いじめる生徒が、私に近づいている時、偶然を装って姿を見せて、私をいじめる生徒に「お前、うっちゃんXをいじめよんやねえんか」とか凄んでた。
その時に姿を見せる教師は担任だけでなく、体育教師、生活指導の化学の教師など、授業がない手が空いた教師が入れ替わり監視をしてくれていたのだ。
さらに、私をいじめる生徒を2年の春に退学にした(高校だったから退学にできた)。
私も驚いた。先生に口答えしただけで、停学を通り越して退学だったから。
まぁ、裏で色々あったと思うけど。
学校が私を守ってくれたのだ。
おかげで、いじめられた当時、自殺を考えていた私はその後の学校生活を楽しく過ごすことができた。
そこまではしなくても、この事件でもいじめが発覚した時点で教師は生徒を指導することはできたのではないか。
教師は勉強を教えるだけではいけない。生徒の悪いことを正すことができなければ教師の資格はない。
ましてや、校内放送で箝口令をしくなど、人間のクズである。生きる価値すらない。
いじめた側には人権があるのなら、そいつらにより侵された人権はどうなるのだ。
よくもまぁ、「いじめた側に人権があると」言えるものだ。
「面倒な事には関わりたくない、責任もとりたくない、ただ惰性で生きて給料日だけが楽しみです」な考えが見え見えだ。
あいつらに、人を教育する資格はない。
これは、殺人である。
この文を、ちょっと書き換えて、大津市にメールで抗議することにしよう。
大津市市長のホームページと、市長のスマイル日記は、アクセスが集中しているらしくて繋がらなかった。
「いじめで自殺者が出ても市長はのんきにスマイル日記か、いい身分だな。お前も死ねよ」が書けない。
大津市教育委員会
「(男子生徒が)自殺の練習をさせられていた」との回答を市教委が公表しなかった問題で、
市教委が加害者とされる同級生らに対して直接、真偽を確認していなかったことがわかった。
市教委はこれまで、非公表にした理由を「事実を確認できなかったため」と説明していた。
市教委によると、「自殺の練習」は、生徒16人が回答に記していた。うち実名で回答した4人には聞き取りをしたが、
事実は確認できず、それ以上の調査もしなかったという。加害者とされる同級生らにも聞き取りを行う機会はあったが、
「練習」については一切尋ねなかったとしている。
その理由について、市教委は読売新聞に対し、「事実確認は可能な範囲でしたつもりだが、いじめた側にも人権があり、
教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、
当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、
との判断もあった」と説明。結局、事実がつかめなかったとして、非公表にしたという。
ソース (2012年7月6日07時55分 読売新聞)
道徳というものが崩壊している。
色んなニュースを見て、被害者よりも加害者を擁護する日本の社会や法律にはもううんざりしている。
「いじめた側の人権」を尊重する教育委員会の担当者は、小学校からやり直して道徳を学び直したらどうか?
いや、教育する立場の者がそうなのだから、もう教育を受け直してもだめだろう。
「相手の気持を考えなさい」
道徳は基本的にこの一言だけだと思う。
教育委員会の担当者は、自分の子供が同じ目にあって自殺しても、「いじめた側にも人権がある」からと許すことはできるのか?
あろうことか、校内放送で箝口令がしかれた。
6日。「きょう(校内)放送あった。全校集めた(校内)放送で、『変なことしゃべるなよ』って」(同じ中学の生徒)
これが、人を正しい方向へ教育する教師がすることか。
もう、罵倒する言葉さえもみつからない。
彼らを先生と呼び、尊敬することはできない。恥ずかしく生きている「恥生」とも呼ぶべきだろう。
ま、時代的にゆとりが教師になっている頃だろうし。
ま、ゆとりが教師になれば、こういうこともやらかすだろう。
モンスターペアレントにペコペコ頭を下げ、面倒な事は見て見ぬふり、責任転嫁。これが今の教師の実態であろう。
願わくば、被害者の家族が訴訟を起こし、加害者家族を一家離散に追い込めるような判決が出ることを望む。
しかし残念なことに、今までニュースを見てきて、被害者家族が加害者家族に制裁を与えられるほどの判決を聞いたことがない、多くの場合被害者は泣き寝入りなのだ。
もう、在日外国人にお金渡して殺してもらうとか。たしかそういう事件もあった気がする。
中国人だっけ?
私の時代の教師はそんなことはなかった。
私がいじめられていることを知った担任は、助けてくれた。
いじめる生徒が、私に近づいている時、偶然を装って姿を見せて、私をいじめる生徒に「お前、うっちゃんXをいじめよんやねえんか」とか凄んでた。
その時に姿を見せる教師は担任だけでなく、体育教師、生活指導の化学の教師など、授業がない手が空いた教師が入れ替わり監視をしてくれていたのだ。
さらに、私をいじめる生徒を2年の春に退学にした(高校だったから退学にできた)。
私も驚いた。先生に口答えしただけで、停学を通り越して退学だったから。
まぁ、裏で色々あったと思うけど。
学校が私を守ってくれたのだ。
おかげで、いじめられた当時、自殺を考えていた私はその後の学校生活を楽しく過ごすことができた。
そこまではしなくても、この事件でもいじめが発覚した時点で教師は生徒を指導することはできたのではないか。
教師は勉強を教えるだけではいけない。生徒の悪いことを正すことができなければ教師の資格はない。
ましてや、校内放送で箝口令をしくなど、人間のクズである。生きる価値すらない。
いじめた側には人権があるのなら、そいつらにより侵された人権はどうなるのだ。
よくもまぁ、「いじめた側に人権があると」言えるものだ。
「面倒な事には関わりたくない、責任もとりたくない、ただ惰性で生きて給料日だけが楽しみです」な考えが見え見えだ。
あいつらに、人を教育する資格はない。
これは、殺人である。
この文を、ちょっと書き換えて、大津市にメールで抗議することにしよう。
大津市市長のホームページと、市長のスマイル日記は、アクセスが集中しているらしくて繋がらなかった。
「いじめで自殺者が出ても市長はのんきにスマイル日記か、いい身分だな。お前も死ねよ」が書けない。
大津市教育委員会
今の日本社会・・・道徳が欠落しています。
変な時に日本人はこう言います。
「罪を憎んで、人を憎まず」
ふざけるんじゃないよ。まったく・・・。
「現実を見ろ!!人が死んでいるんだぞ!!!」
「どれだけ、辛かったか!」
「考えているのか!!その思いを!!!」
「どんな風に思う!お前たちが同じことをされたら!!!」
「いいか!負の連鎖は、負の連鎖・・・悲しみしか生まないのだ!!」
言いたい事は、止めど無く噴出します。
自分も、体験した者だから・・・。誰の手も借りずに。不毛な戦いだと解っていても。
学校も教師も行政も、何を言っても決して許されるものではありません。
同じ事を何度繰り返したら、この国は安寧を迎えられるのでしょうか?
「今一度歴史を振り返るがよい。血と肉欲で築かれた美しき過去の時を・・・」
「人の言葉の通じぬ人がいた。だから悲劇を招いた。」
「何の疑問も持てぬようにしてしまう。何と恐ろしい事か。だが、考えない事は確かに楽である。生きてはゆける。楽しむ事もできる。」
「もはや『無作為』と『作為』を区別できる者は存在しない。たとえ、どちらであろうと『事実』にしてしまうものが存在するからだ。」
今一度、肝に命じなければならない。
今一度・・・。
柳也