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うーたんの足跡

自分が日々何をやっているのかを書き留めて見ることに。

札幌の本屋のオヤジはおせっかいか?

2006-05-06 23:13:15 | ウェブからの拾い物
「札幌の本屋のオヤジは気がついた。「最近の中学生は本を読まないと
言うが、うちには彼らのコーナーがなかった」。オヤジは500冊の
お薦めをリストアップし、専用の棚を作って、こんなキャンペーンを
始めた。「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」。
それから1年半、おせっかいは全国に広がっている」
(朝日新聞 5/6夕刊より)

いやあ、本屋大賞ですら計算高く感じてしまう、個人の書店主の快挙
ではなかろうか。

個人的には中学・高校は人生の中でも本を数多く読んだ時期であったし、
周囲を含めて本を読む中高生にとっては、専用の棚などなくとも書店
自体がパラダイスであるから、当時このような企画が必要だったとは
思わない。しかし、本をあまり読まない者にとっては、一念発起して
本を読もうとしたとしても、手がかりがなくて始めにくいのだろう。
そこにこれがあれば、確かに書店に入りやすい。

2005年版リストを見たが、その選出内容についてはいろいろと意見を
言う人もあると思う。が、人のやったことに意見を言うのは簡単だ。
異論があるなら、くすみ書房と同じことをやってみろ、である。

とは言いながら、私も要望。これは「中学生はこれを読め」であるが、
可能ならば小学生(高学年)もやっていただきたい。藤原某氏の肩を
持つわけではないが、読書量が小学生の学力に大きな影響を与えるのは
間違いないことだと思うので、日本のためにもぜひお願いします。

責任って…

2005-02-20 22:56:10 | ウェブからの拾い物
もう話題としては2~3日経過したことではあるけれど。

小学生のキャッチボールの暴投がそばを歩いていたやはり
小学生の胸部に当たり、それが原因で死亡したことについて、
裁判では、キャッチボールでの暴投等の危険性は予見できた
にもかかわらずその注意を怠ったとして、キャッチボールを
していた小学生の両親達に計6,000万円強の賠償金の
支払いを命じたという。

うーん、どうなんだろうか?

自分が被害者の親だと考えたら、当然不慮の死を迎えてしまった
わが子の被害の責任は問いたいところである。次に、もう一方、
加害者の親だったらとも考えてみる。もちろん、自分の子が原因を
作ったのは確かだけれど、故意ではないのは明らかだし、危険は
予見できたはずだとは言うが、ではキャッチボールをするこどもに
対して、一般的な「気をつけなさい」という注意の一言も言った
ことがないとは思えない。

率直に言って、この判決で考えたのは、我が家の豚児(2歳半)が
数年後に小学生になった時には、公共の公園ではキャッチボールの
ひとつもやらせることはできないなあ、である。こども同士は当然、
私とだってできやしない。

書きながら思ったのだが、この判決を下した判事は小学生のころ、
キャッチボールや缶蹴り、銀玉鉄砲での戦争ごっこなどをやったことが
ないのではなかろうか?こども同士の遊びはどれも怪我スレスレの
ものであり、その中で自分、そして他人の痛さを覚え、注意することも
覚えていくものである。もちろん周囲の危険に注意することも含めて、
遊びの中で自覚していくものだろう。

今回のような場合でも、加害者の親は弔意金プラスアルファは自発的に
想定していたのではないかと思うが、基本線としては所詮こどもの遊びの
中の話である。よもやの結果だろう。まあ、他のいろいろなことも含めて
暮らしにくい世の中になったものである。

もちろん、被害者の小学生には一切の責任があるわけでなく、尊い命が
失われたことに対してはご冥福をお祈りし、かつご両親にたいしては、
お悔やみ申し上げます。