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恥の文化より罪の文化がいい

先週のいつだったか、新報だったかタイムスだったかは忘れたけど、新聞のオピニオン面のコラムに日本の「恥の文化」と西洋の「罪の文化」について書かれていた。さらに、沖縄は「肝(ちむ)の文化」だという。

私の精神は「罪の文化」だと思う。恥は重視せず罪になるかどうかで善悪を判断するから。つまり、恥だと言われても、罪(人に迷惑をかけること、または法律上の罪)にあたらなければ問題ないっていうのが私の考え方なの。なので、「恥ずかしいからやめなさい」と言われたことでも、それが「別に罪じゃないじゃん」と思うことであればあんまり直す気にはならない。
「恥」というのは人がやりたいことを自由にやることを制限する概念にもなりうると思う。また、「男/女らしくないのは恥だ」、「女/男がそれをやらないのは恥だ」、「男/女がそれをやっちゃ恥だ」っていうことにもつながることも考えられ、「恥の文化」は人が自分らしく生きていくことの妨げにもなると思うのね。なので私は「恥の文化」が好きじゃない。罪になるかどうかは重要視されるが恥かどうかは重要視されない「罪の文化」の方が私は好き。

私は「罪の文化」、プラス「肝の文化」の人間として生きていきたい。「肝の文化」は沖縄方言でいう「肝がなさ」や「肝心(ちむぐくる)」で、人を思いやる心を意味し、ひいては人権を尊重する心にも通じ、沖縄に限ったことではなく万国共通の普遍的な価値観だと思う。

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