1945年8月6日午前8時15分広島にアメリカ軍の戦闘機が広島市内に一個の原子爆弾が落とされました!
一瞬に広島市内は原爆の炎に包まれました!
今日73回目の広島原爆の日!各国から85か国の外相は訪れました!
米国からはトランプ政権では初のハガティ駐日大使が参列!
原爆が落とされた8時15分、黙とうが原爆で亡くなられた人たちに捧げられました!
松井一実広島市長は「世界では自国第一主義が台頭し、核兵器の近代化が進められてるなど、各国間の東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にある」と指摘した!
「だからこそ私たちは『ヒロシマ』を『継続』して語り伝えなければならない」と世界に呼び掛けた!
安倍首相は挨拶で「近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化している」との認識を示した!そのうえで「核兵器のない世界」を実現するためには
「被爆の悲惨な実相ぞ正確な理解を出発点として、核兵器国と非核兵器双方の協力を得ることが必要」として日本が双方の「橋渡し」に粘り強く努める決意を述べた!
式典では松井市長と遺族代表がこの一年間に亡くなられたり死亡が確認されたりした5393人の名前を書かれた原爆死没者名簿を原爆慰霊碑の石室に納めた!
これまでに記帳された被爆死没者の総計は計31万4118人になった!
ヒロシマ平和宣言
73年前、今日と同じ月曜日の朝 広島には真夏の太陽が照り付け、いつも通りの一日が始まろうとしていました。
皆さん、あなたや大切な家族がそこにいたらと想像しながら聞いてください。
8時15分、目もくらむ一瞬の閃光。セ氏100万度を超える火の玉から強烈な放射線と熱線、そして猛烈な爆風。
立ち昇ったときのきのこ雲の下で何の罪もない多くの命が奪われ、街は破壊しました。
「熱いよう、痛いよ」つぶれた家の下から母親に助けを求め叫ぶ子供の声。
「水を、水をください」息絶えのうめき声、うなり声。
人が焦げる臭気の中、赤い肉をむき出しにして亡霊のごとくさまよう人々。
突如降った黒い雨。
脳裏に焼きついた地獄絵図と放射線障害は、生き延びた被爆者の心身をむしばみ続け、今なお苦悩の根源となっています。
世界にいまだ1万4000発を超える核兵器がある中、意図的にあれ偶発的であれ、核兵器がさく裂したあの日の広島の姿を再現させ、人々を苦悩に陥れる可能性が高まってます。
被爆者の訴えは、核兵器の恐ろしさを熟知し、それを手にしたいという誘惑を断ち切る田茂に警鈴です。
年々被爆者の数が減少する中、その声に耳を傾けることが一層需要になっています。
20歳だった被爆者は「核兵器が使われるなら、生あるものを全て死滅し、美しい地球は廃墟と化すでしょう。
世界の指導者は被爆地に集い、その惨状に触れ、核兵器廃絶に向かう道筋だけでもつけてもらいたい。核兵器ができるような万物の霊長たる人間であってほしい」と訴え、命を大切にし、地球の破局を避けるため、偽政者に対し「理解性」と洞察力を持って核兵器廃絶に向かうように求められた。
昨年、核兵器禁止条約の成立に貢献したICANがノーベル平和賞を受賞し、被爆者の思いが世界に広まりつつあります。
その一方で、いま世界では第主義が台頭し、核兵器の近代化が進めらるなど、各国間の東西冷戦期の緊張関係が再現しかねない状況にあります。以下略
僕も広島出身で小さい時から原爆ドームの平和資料館に原爆の日によく行ってました!
平和資料館は原爆の恐ろしさを目の前で体験するところがあり
僕もよく見る機会があり原爆は恐ろしいことがわかり
いつも生きてることに感謝してます!
この先戦争はしてはいけないことを広島から世界へ長崎から世界へ発信し欲しいです!
これからも世界が平和になり核兵器がない世界になって欲しいです!
12月で24歳になる広島が好きな日記でした!