SAKAがマジでビビっている姿もおもしろいのだが、米本さんのところにまで抗議文を投稿するなどという愚行をはたらいたので、おもしろがってもいられない。ここで私のスタンスを整理する。SAKAは冷静になって、よーく読むように。
私が「早川」としてネット上に初めて登場したのは、米本さんのブログのコメント欄「卑怯」である。私はここで次のように記している。
SAKAさん。まずは、あなたのブログのコメント欄を開放してください。
ご自身のブログに他人の批判を書きまくっているくせに、反論を書き込めない状態にしているのは卑怯です。だから仲間内からも「恥さらし」と言われるのです。
とにかく、他人のブログには批判を書くくせに、ご自分のブログにはコメントを受け付けない、などという卑怯な行為は即刻やめてください。
これが何十年も信仰してきた人の行動ですか? だとしたら統一教会は卑怯極まりない集団ということになりますね。信仰の実りが「卑怯な行為」なのですから…。
どんな主張をすることも自由ですが、最低限のモラルは持ってください。批判をする者は批判を受け付けるようにすること、つまり批判ブログにはコメント欄を設けることは、最低限のモラルです。
(2009/07/18 22:13)
このコメントこそ、「早川」がSAKAを糾弾する動機のすべてである。
私はそれまで、統一教会への関心は希薄であった。米本さんの過去の著作で統一信者のことは出てきていたが、どちらかというとヤマギシ会の方に興味があった。
そんな私も、米本さんのブログが開設されたことを受けて統一教会に関心を持ちはじめた。その矢先、SAKAが米本さんのブログを批判する出来事に出くわしたというわけだ。
いち米本ファントしては、黙っていられない。しかるに、SAKAが自身のブログでコメント欄を開放せずに反論を受けないのだから、こうして早川ブログを立ち上げてSAKAを批判しているのである。おかげさまの大好評で、いまや毎日700件近くのアクセスがある。SAKAブログの倍以上だ(わらい)。
統一教会に関心を持ち始めたので、教会本部のホームページをじっくり読んでみた。すると会員心得があった。下記の部分に純粋に感動した。
宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得
2.会員は、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指し、高い品性、倫理観、道徳観を備え、法令を遵守し、社会の模範となるように努めます。
「父母の心情、僕の体」の精神というのは、とてもいい。たいへん感動した。そういう人間ばかりであれば、もしかしたら地球上に天国ができるかもしれないと思った。
では、SAKAはこのような会員心得に従っているのか? むろんリアルのSAKAを観察したことはないが、ネット上に関する限り、まったくの「不心得者」である。ネット上では、統一教会員としての資格がないように見える。
ネット上はバーチャルな世界だともいえるが、やはり厳然たる現実世界でもある。ネット上においても、統一教会員たるものは、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指し、高い品性、倫理観、道徳観を備え、法令を遵守し、社会の模範となるように努めなければならないはずだ。
違うか、統一教会員の皆様? インターネット上はバーチャル世界なのだから、汚い言葉で他人をののしっても教会員心得には違反しないのか? 他人をののしり、自身のブログはコメント欄を閉鎖してののしられないようにすることが、会員心得に従っている行為か?
そんなことはないだろう。
SAKAのネット上での言動は、高い品性があるとは感じられない。倫理観、道徳観を備えているとも感じられない。
法令を遵守しようという気持ちはうかがえる。しかし遵法だけではダメだ。「教会員心得に違反しようとも憲法違反ではない」とか、「自分が他人の文章をたくさん引用しているのにもかかわらず、早川に対して盗用だと叫ぶ」とか、法律論だけで物事をすまそうとしている。
会員心得でも、「品性、倫理観、道徳観」を「法令遵守」よりも先においている。これは素晴らしいことだ。むろん遵法精神も不可欠ではあるが(特に不法行為で逮捕者を出した教会としては落とせない項目だが)、それよりもまず「品性、倫理観、道徳観」が先にこなければならない。もっと言えば、「品性、倫理観、道徳観」があれば、法律違反をするようなことはない!
米本さんへの今回の抗議文にも、「早川は、SAKAがコメントを開放しないという理由でブログを作ったが、コメント欄を開放するか否かは個人の自由だ」という主旨の発言をしている。それは間違いではない。法律違反ではない。
しかし、「倫理観、道徳観」は高いとは言えない。他者を批判するのだ。当然、相手からも逆に批判される。それに受け答えたくないから、コメント欄を閉じている。これは卑怯だ。「倫理観、道徳観」は極めて低い。
そういう姿が、「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」と乖離しているから、私は彼の所属教会を探し、メール、電話で意見を言った。「おたくの教会員さんのブログ、品性がありますか? 倫理観がありますか? 道徳観がありますか? 社会の模範となってますか?」ということだ。
私はあえて汚らしい言葉を使って、SAKAを挑発している。彼が会員心得から乖離した汚らしい言葉を書き連ねれば書き連ねるほど、統一教会のイメージは悪くなり、社会的信用をいつまで経っても取り戻せず、いつしか宗教法人格はく奪まで至るだろう。それを望んでいる人は多い。私も、SAKAのような非常識な人間を輩出するような団体は、きれいさっぱり無くなってほしいと思う。だから彼を挑発している。
「それも卑怯だね」というのは、どうぞご勝手に。私は統一信者ではない。会員心得に縛られる人間ではない。酒も飲むしタバコも吸う。奇麗なネーちゃんをみればムラムラする。立派な会員心得をもつ信者さんの足もとにも及ばぬ人間である。
だが、SAKAは違う。「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」を背負って生きなければならない人間だ。その資格を問うているのが、この早川ブログである。統一教会に真の自浄能力があるか、私が試しているのである。
京阪教会に電話したときに応対した男性職員氏は、SAKAのブログに対して「同じ神様を信じる者として、とても恥ずかしい言葉遣いだと思います」と答えた。彼には良識がある。しかし、所詮は幹部信徒ではないだろうから、SAKAのところまで指導がいかない場合もあろう。むろん私は「SAKAを見つけてしっかり教育してくれ」と伝えたがな。
茨木教会(?)からお叱りを受けずにSAKAはホッとしているかもしれないが、本当は不幸なことである。もちろん私は、たった一回の電話でどうのこうのしようとは、始めから思っていない。まだまだ、これからである。安心するなよ、SAKA。
いずれにせよ、もうお盆休みだ。私もいろいろと遊びに行く用事もある。SAKAの件で具体的に動くのは来週になってからだろう。
むろん「具体的に動く」というのは、暴力とか脅迫とかを意味しない。京阪教会の幹部(東大阪教区長)にコンタクトをとり、SAKAのブログを閲覧してもらい、「会員心得」に基づいた信徒教育(SAKAへの品性・倫理・道徳の指導)を要請する。
東大阪教区長も冴えない対応ならば、米本さんのブログに出ていた記者会見・参加幹部(本部の岡村信男総務局長、鴨野守広報局長)に同様の要請をしていく。それでも冴えない対応をするようならば、梶栗玄太郎会長にもコンタクトをとり、同様の要請をしていく所存である。一市民の声に対して、教団が誠意ある対応をするまで、何度でも要請していく決意である。
先日私に対応してくれた京阪教会・男性職員氏が、もしこのブログを見ていたら注意するように。脅しや恐喝ではないから、SAKAのように勘違いするな。来週から私が以上のような行動を計画しているので、あとで幹部から「なぜ報告しなかったのだ!」と怒られないように、という意味だ。
だって、誰がどう見てもSAKAのブログは、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指しているようには見えず、高い品性・倫理観・道徳観を備えているようにも見えず、杓子定規の法令遵守論を展開しているようにしか見えず、社会の模範となるように努めているようには見えないからだ。
「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」に従わせるのが、信徒を教育する教会幹部の責務である。
そして、何度も言うようだが、部外者の早川にこんなことさせるんじゃなくて、現役信者がSAKAの居場所を探して、所属の教会なりに苦情を言うようにしろよな。ネットで書き込んでいれば不良教会員が更生するなどと思っているなよ。早川のブログが流行れば流行るほど、統一教会のイメージは下がっていくぞ。宗教法人格のはく奪も現実味を帯びてくる。
私が「早川」としてネット上に初めて登場したのは、米本さんのブログのコメント欄「卑怯」である。私はここで次のように記している。
SAKAさん。まずは、あなたのブログのコメント欄を開放してください。
ご自身のブログに他人の批判を書きまくっているくせに、反論を書き込めない状態にしているのは卑怯です。だから仲間内からも「恥さらし」と言われるのです。
とにかく、他人のブログには批判を書くくせに、ご自分のブログにはコメントを受け付けない、などという卑怯な行為は即刻やめてください。
これが何十年も信仰してきた人の行動ですか? だとしたら統一教会は卑怯極まりない集団ということになりますね。信仰の実りが「卑怯な行為」なのですから…。
どんな主張をすることも自由ですが、最低限のモラルは持ってください。批判をする者は批判を受け付けるようにすること、つまり批判ブログにはコメント欄を設けることは、最低限のモラルです。
(2009/07/18 22:13)
このコメントこそ、「早川」がSAKAを糾弾する動機のすべてである。
私はそれまで、統一教会への関心は希薄であった。米本さんの過去の著作で統一信者のことは出てきていたが、どちらかというとヤマギシ会の方に興味があった。
そんな私も、米本さんのブログが開設されたことを受けて統一教会に関心を持ちはじめた。その矢先、SAKAが米本さんのブログを批判する出来事に出くわしたというわけだ。
いち米本ファントしては、黙っていられない。しかるに、SAKAが自身のブログでコメント欄を開放せずに反論を受けないのだから、こうして早川ブログを立ち上げてSAKAを批判しているのである。おかげさまの大好評で、いまや毎日700件近くのアクセスがある。SAKAブログの倍以上だ(わらい)。
統一教会に関心を持ち始めたので、教会本部のホームページをじっくり読んでみた。すると会員心得があった。下記の部分に純粋に感動した。
宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得
2.会員は、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指し、高い品性、倫理観、道徳観を備え、法令を遵守し、社会の模範となるように努めます。
「父母の心情、僕の体」の精神というのは、とてもいい。たいへん感動した。そういう人間ばかりであれば、もしかしたら地球上に天国ができるかもしれないと思った。
では、SAKAはこのような会員心得に従っているのか? むろんリアルのSAKAを観察したことはないが、ネット上に関する限り、まったくの「不心得者」である。ネット上では、統一教会員としての資格がないように見える。
ネット上はバーチャルな世界だともいえるが、やはり厳然たる現実世界でもある。ネット上においても、統一教会員たるものは、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指し、高い品性、倫理観、道徳観を備え、法令を遵守し、社会の模範となるように努めなければならないはずだ。
違うか、統一教会員の皆様? インターネット上はバーチャル世界なのだから、汚い言葉で他人をののしっても教会員心得には違反しないのか? 他人をののしり、自身のブログはコメント欄を閉鎖してののしられないようにすることが、会員心得に従っている行為か?
そんなことはないだろう。
SAKAのネット上での言動は、高い品性があるとは感じられない。倫理観、道徳観を備えているとも感じられない。
法令を遵守しようという気持ちはうかがえる。しかし遵法だけではダメだ。「教会員心得に違反しようとも憲法違反ではない」とか、「自分が他人の文章をたくさん引用しているのにもかかわらず、早川に対して盗用だと叫ぶ」とか、法律論だけで物事をすまそうとしている。
会員心得でも、「品性、倫理観、道徳観」を「法令遵守」よりも先においている。これは素晴らしいことだ。むろん遵法精神も不可欠ではあるが(特に不法行為で逮捕者を出した教会としては落とせない項目だが)、それよりもまず「品性、倫理観、道徳観」が先にこなければならない。もっと言えば、「品性、倫理観、道徳観」があれば、法律違反をするようなことはない!
米本さんへの今回の抗議文にも、「早川は、SAKAがコメントを開放しないという理由でブログを作ったが、コメント欄を開放するか否かは個人の自由だ」という主旨の発言をしている。それは間違いではない。法律違反ではない。
しかし、「倫理観、道徳観」は高いとは言えない。他者を批判するのだ。当然、相手からも逆に批判される。それに受け答えたくないから、コメント欄を閉じている。これは卑怯だ。「倫理観、道徳観」は極めて低い。
そういう姿が、「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」と乖離しているから、私は彼の所属教会を探し、メール、電話で意見を言った。「おたくの教会員さんのブログ、品性がありますか? 倫理観がありますか? 道徳観がありますか? 社会の模範となってますか?」ということだ。
私はあえて汚らしい言葉を使って、SAKAを挑発している。彼が会員心得から乖離した汚らしい言葉を書き連ねれば書き連ねるほど、統一教会のイメージは悪くなり、社会的信用をいつまで経っても取り戻せず、いつしか宗教法人格はく奪まで至るだろう。それを望んでいる人は多い。私も、SAKAのような非常識な人間を輩出するような団体は、きれいさっぱり無くなってほしいと思う。だから彼を挑発している。
「それも卑怯だね」というのは、どうぞご勝手に。私は統一信者ではない。会員心得に縛られる人間ではない。酒も飲むしタバコも吸う。奇麗なネーちゃんをみればムラムラする。立派な会員心得をもつ信者さんの足もとにも及ばぬ人間である。
だが、SAKAは違う。「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」を背負って生きなければならない人間だ。その資格を問うているのが、この早川ブログである。統一教会に真の自浄能力があるか、私が試しているのである。
京阪教会に電話したときに応対した男性職員氏は、SAKAのブログに対して「同じ神様を信じる者として、とても恥ずかしい言葉遣いだと思います」と答えた。彼には良識がある。しかし、所詮は幹部信徒ではないだろうから、SAKAのところまで指導がいかない場合もあろう。むろん私は「SAKAを見つけてしっかり教育してくれ」と伝えたがな。
茨木教会(?)からお叱りを受けずにSAKAはホッとしているかもしれないが、本当は不幸なことである。もちろん私は、たった一回の電話でどうのこうのしようとは、始めから思っていない。まだまだ、これからである。安心するなよ、SAKA。
いずれにせよ、もうお盆休みだ。私もいろいろと遊びに行く用事もある。SAKAの件で具体的に動くのは来週になってからだろう。
むろん「具体的に動く」というのは、暴力とか脅迫とかを意味しない。京阪教会の幹部(東大阪教区長)にコンタクトをとり、SAKAのブログを閲覧してもらい、「会員心得」に基づいた信徒教育(SAKAへの品性・倫理・道徳の指導)を要請する。
東大阪教区長も冴えない対応ならば、米本さんのブログに出ていた記者会見・参加幹部(本部の岡村信男総務局長、鴨野守広報局長)に同様の要請をしていく。それでも冴えない対応をするようならば、梶栗玄太郎会長にもコンタクトをとり、同様の要請をしていく所存である。一市民の声に対して、教団が誠意ある対応をするまで、何度でも要請していく決意である。
先日私に対応してくれた京阪教会・男性職員氏が、もしこのブログを見ていたら注意するように。脅しや恐喝ではないから、SAKAのように勘違いするな。来週から私が以上のような行動を計画しているので、あとで幹部から「なぜ報告しなかったのだ!」と怒られないように、という意味だ。
だって、誰がどう見てもSAKAのブログは、「父母の心情、僕の体」の精神で人格完成を目指しているようには見えず、高い品性・倫理観・道徳観を備えているようにも見えず、杓子定規の法令遵守論を展開しているようにしか見えず、社会の模範となるように努めているようには見えないからだ。
「宗教法人 世界基督教統一神霊協会会員の心得」に従わせるのが、信徒を教育する教会幹部の責務である。
そして、何度も言うようだが、部外者の早川にこんなことさせるんじゃなくて、現役信者がSAKAの居場所を探して、所属の教会なりに苦情を言うようにしろよな。ネットで書き込んでいれば不良教会員が更生するなどと思っているなよ。早川のブログが流行れば流行るほど、統一教会のイメージは下がっていくぞ。宗教法人格のはく奪も現実味を帯びてくる。