私の記憶の中で最初に神様を意識したのは、かなり小さい頃、恐らく小学校前の5歳か6歳の頃だったと思います。
今でも鮮明に覚えているのですが、毎晩寝る前に布団の上に正座になり、「お父さんとお母さんが死にませんように」と必死になって神様に祈っていました。
実家は無宗教、仏壇も神棚もなく祈りの習慣はありません。
でも何故か神様はいるという確信を持って何度も何度も繰り返し祈っているうちに、もう大丈夫だと安心して眠りにつく、それが私の日課でした。
しかし、いつの間にかそのようなルーティンはなくなり、大きくなるに従って神様の存在をあまり意識しなくなりました。
しかし、小さい頃に必死で祈ったその祈りを神様は確かに聞いてくださいました。期待した以上に叶えられたのです。
私の父は90代、母は80代と高齢ながら、二人とも今現在特に大きな病気を患うこともなく心身共に元気そのものです。
親孝行に対して「子孝行」という言い方があるそうですが、私も兄も今まで一度も両親の付き添いや介護の経験をすることなく、自分の生活に専念できる毎日を過ごしており、子孝行の両親だと感謝しています。
神様は、神様を信じていない時から既に共にしてくださっていた。
私はこの御言葉を聞いて、もしかするとあの時もと感じる出来事を思い出しました。
罪をこれ以上犯さないようにという神様の愛による裁きについて言えば、特に以下の二つが思い起こされます。
私の悪い性格「友達に毒舌を吐いて傷つける」を様々な形で矯正してくださったこと。
同僚の女性に嫉妬心を燃やしていた私を即座に戒めてくださり、おかげで目が覚めたこと。
困っている時に救いの手が差し伸べられるという経験もありました。
母の長年の持病 めまいの解決策を与えていただきすっかり完治したこと、息子の気になる症状の原因が分かり長年のモヤモヤが解消したこと、重傷を負ってもおかしく無い速度で転倒したにも関わらず軽いケガで済んだこと等、他にも自分が気付いていないだけで神様の助けは多々あったと思います。
もちろん、これらの出来事はたまたまとも言えます。
しかし、求めれば与えられるという聖書の言葉にあるとおり、窮地の中で無意識に神様を呼び求めていたからこそ叶えられたのではないかと私自身は思っています。
それは中心者ラプトさんが作詞・作曲された讃美歌の歌詞からも分かります。
一部を抜粋します。
神はすぐ傍にいる
助けを求めるその瞬間に
静かな光で包み込んで
新たな力を与えてくれる
神はすぐ傍にいる
囁き一つも聞き逃さず
どんなときも優しく支え
明日への道を照らしてくれる
この二つの歌詞
助けを求めるその瞬間に
囁き一つも聞き逃さず
これこそが神様の性質、困っている人を決して捨て置くことはない神様の大きな愛です。
神様は、人類と愛を成したいというただその目的のために私たちを創造されました。「それ以上でもそれ以下でもない」と神様ははっきりおっしゃっています。
RAPT | RAPT有料記事250(2018年2月12日)主が天地万物を創造した目的はただ一つ。私たち人間と愛を成すためだ。
人間の愛はいつ無くなるか分からないある意味気まぐれな愛ですが、神様は永遠の存在であり私たちが神様を信じる限りその愛は地上でも霊界でも永続します。
RAPT | RAPT有料記事805(2024年1月13日)永遠に朽ち果てない神様の愛に心の拠り所を置きなさい。そうしてこそ、あなたの心も人生も安定し、幸福を実感して生きられる。
今、この日本で神様が遣わされた中心者が御言葉を述べ伝えてくださっています。中心者の送られたこの時代は神様がこの地上に強力に働いてくださっており、神様を呼び求めないことは本当にもったいないことです。
イエス様が送られた時代に目の見えなかった人が見えるようになり、足の不自由な人が歩けるようになったのと同様、ラプトさんが中心者として活躍するこの時こそ祈りが最も叶えられるのです。
神様はご自分を呼び求める人はいないかと常に地上をご覧になっています。誰もが幸福な人生を生きたくても生きられなかった時代が終わり、真に幸福になれる時代が始まりました。
このブログの記事に出会ったのも神様の導きかもしれません。ぜひ差し伸べられた手を振り払わずに、委ねてみてはいかがでしょうか。
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