勉強がまだそれ程難しくない小学生までは平穏だった私たち家族も、高校受験という最初の試練を控えた中学2年生頃になると、発達障害の負の面を否が応でも感じるようになりました。
私たち夫婦は、息子が将来自分できちんと稼げるようにと、中学1年生から塾に通わせ、学校の成績が振るわないと厳しく叱ると言う態度を貫きました。
やりたくない勉強を無理にやることは彼にとって非常にストレスで、中学2年生から高校受験までの彼の精神状態はいつ破裂してもおかしくない程 張り詰めていました。
実際、塾から帰ってきた途端に感情が爆発し暴れることも何度かありました。
このようにストレスへの耐性が非常に弱いのは、彼の性格も多少あるとは思いますが、やはり、それ以上に発達障害の特性から来るもので、この特性は大学受験でも資格試験でもその後の彼を苦しめ続けました。
中学校3年生になると、いわゆる問題のある生徒と行動を共にすることが多くなり、先生から疎んじられるようになりました。
親への反抗心が、本来素直な彼の性格に大きな影を落とし、うさを晴らさずにはいられなかったのだと思います。
高校は、少人数に魅力を感じた私の意向もあって私立に進学したのですが、新たな環境への期待感は彼の姿から全く感じることができず、どうしてこんなにも他のお子さんと違うのだろうと私は悩まずにいられませんでした。
そして、いやいや通っていた高校でSNSを介した問題行動を起こし、学校から退学を勧められ、高校2年生で退学することになりました。
このように私たち家族は、息子の発達障害に端を発し、退学、家庭内暴力、パニック障害、家出、更にその後の離婚等、将来に希望を見出すことなどできるはずも無い日々を経験しながらも、今は本当に幸せな日々を送っています。
これは、大袈裟に表現しているのでも、痩せ我慢して幸福感を醸し出しているのでも全くなく、心の底からそう思っています。
息子の信仰心は日に日に強くなり、私たち夫婦への憎しみは神様への祈りと共に寛容さに変わり、私たち親子は御言葉から悟ったことを情報提供し合うなど互いに補い合える良好な関係を築けるようになりました。
彼にとって御言葉を学ぶこと、お祈りすること、讃美歌を歌うことは、今のところ特別好きとか得意ということではありませんが、聖霊という天使が私たち信仰者にやる気を与えてくれるので何も心配することはありません。
また、息子にとっての「人生の設計図」とも言うべき「個性・才能」は今のところまだ明確ではありませんが、必ず見つかるという確信を持って日々過ごせることは希望でしかありません。
1年後も5年後も10年後も変わらず幸福を実感できるように、いや年々幸福度が増すようにこれからも神様を信じ、神様を信じることがいかに幸福なことか、人々に希望と喜びを与えられる働きを成せるよう親子共々 日々もがいているところです。
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