高知大学生ワークショップ★GUEST.安田純平

11/6に、高知市のカフェで学生16人+安田純平さんで行ったワークショップ(座談会)の報告blog (^■^)v

参加者コメント☆(田口友子)

2004-11-22 09:41:06 | Weblog
まず自分を変え
そして日本を変え
それからイラクを変えれば
最後に世界が変わるかも
必要なのは人間としての責任
私というidentityの責任

安田さんのワークショップを受けて感じたのは、自分の知らないイラクの状況やそれに対する考え方があるということ。やはり日本にいるだけでは、知ることのできない情報もあるでしょうし、考え方も偏りがちになると思いました。そして、安田さんの発言の中で一番印象に残っているのは、イラク戦争の責任を日本人も取らなければいけないということです。日本がイギリス同様、アメリカ支持の姿勢をとっている限り、イラク戦争は他人事ではないですし、イラクの人々から日本が敵国であると捕らえられても仕方ないことなのです。そんな状況が続けば、この先の日本の平和が危ぶまれるという問題だけにとどまらず、未来の子供たちが自由な意思で外国に行くことも制限されてしまうでしょう。私たちに今必要なものは、問題に目を向け、それの当事者であるということを自覚し、日本が行っていることに対する責任を取るということではないでしょうか。私が日本人である限り、私という人間のアイデンティティに日本という国は含まれるわけですし、私の中での平和を守る為にも、今できることから始めていくことが重要だと思いました。

参加者コメント☆(玉岡 良紀)

2004-11-22 09:39:39 | Weblog
安田純平さんの話を聞いて・・・。

 まず今回のような貴重な体験をさせてもらって感謝しています。ほんとにありがとうございました。ワークショップで話し合ったわけですけど、皆さんとても積極的だと思いました。ボランティアを海外で経験した人もいてすごいです。安田さんをはじめ、自分の考えの下に動いている人にそんな人になりたいです。
 
 講演の内容ですが最近のニュースで話題になる方から聞く話はとてもリアリティーがありました。日本は戦争に参加していて、それに対して自分でちゃんと知り、考える義務がある事、それが民主主義の国でくらしている人の果たすべきことだと教わりました。なんか自分の周りのことをないがしろにしているんだねぇ~と思い、こんなんじゃダメじゃん!!って痛感しました。身のまわりのことを大事にしようと思います。あとは・・・、新聞に書いてあることがまさか操作されているものだとは知りませんでした。政府に見事に騙されていました。自分がなにも知らないことすら知らないわからない、恐いですよね。疑ってかかること、本物を見抜く力がほしいです。自分がどれだけ政治に、世の中に対して無知だったか、そして自分の狭い知識だけで物事を判断していたかがよくわかります。もっとたくさんのことを知ろうと思った11/6でした。

参加者コメント☆(馬場 愛)

2004-11-22 09:37:53 | Weblog
『安田純平さんイラクワークショップ』

 今回初めて私はフリージャーナリストの講演会に参加し、また初めて話をしました。このワークショップはイラク戦争についてというより、情報のとらえ方について考えさせられました。私は、情報は操作されやすいと知っていながら、目の前の情報にたいしてすべて受身でした。安田さんの話をきいてこれからはすべての情報を吟味するのは大変なことですが、情報を受け取りっぱなしにせず、それに対して自分なりの意見を持てるようにしたいです。
 (今回のワークショップで行った決意表明?→)《おかしいわ》

参加者コメント☆(堀川 奈津) 

2004-11-22 09:35:11 | Weblog
イラクレポート

 一番驚いたことは、安田さんの人柄というかフリージャーナリストの考え方でした。イラクに飛び込むぐらいだからものすごくアツイ人かと思っていましたが、実際は終始冷静であったことが印象的でした。内容はすごいのに、淡々とした口調で見聞きした真実を語る姿がなにか異様に感じられたほどです。
 しかし安田さんがフリージャーナリストとして現地で自分の目で見たいという気持ちには共感しました。内心は(本人も言っていましたが)アツイ人なんだと思い直しました。そして、生活のための収入を得ることさえも仕事に求めず、ひたすらやりたいことをやる生き方はとても新鮮でした。そんなのアリなの?といった感じです。その話から好きなことを仕事にしたいし、しなければという焦りが少しだけ解消されました。
 以上はものすごく主観的な感想です。しかし、情報の落とし穴についても考えさせられました。おもにメディアしかタイムリーな海外の情報を手に入れられる手段がない私たちは、やはり情報に疑いを持って鵜呑みにしないことが大事だと痛感しました。今回情報の正しい読み方の具体例を挙げていただいたのは参考になりました。一方で現地へいって自分で確かめるということがますます魅力的に感じるようになりました。でもそのためには歴史や文化、政治などの知識がないと分析することはできません。大学4年間はそのためにもつかう必要があると思いました。さらに感情のみで行動することを見直さなければよりよくするための最善の活動はできないように感じました。

画用紙に書いたこと(決意表明)
自分のやりたいことをやる!!
+①そのために冷静になる
+➁世の中を知る

参加者コメント☆(木谷 暁丈)

2004-11-22 09:33:10 | Weblog

Apprehension & Comprehension
後悔しないようにやりたいことをやろう!

 今回本当に感銘を受けたのは講演内容よりも安田さんの人間性でした。
とても情勢や物事にクールでかつ、やりたいことについては熱く追い求める人
 安田さんのキャラについては賛否両論別れるのです。平和活動をする人から現地の貴重な情報源とされつつも冷静さや平和活動への関心がないことはあまり好かれているわけではないでしょう。「イラクの民兵がアメリカ軍を押し返したらおもしろい」と語っていました。戦闘そのものを嫌う人が言える台詞ではありません。
 また、新聞の深読みなどといった情報操作を見抜くクールさも飛び抜けたものでした。国会での自衛隊関係法案とイラクでのゲリラ攻撃を結びつけた新聞記事のたとえ話。あれは気づくことは相当難しいものです。結びつきに気づくなら2記事を結びつけて「だから法案が必要」という考えを持つ人。だけれども中途半端に「ああまたやってるな」「小泉やめろー」と思っている人は絶対気づかない。ましてや情報操作であることを気づくのは至難の業でしょう。私は当の新聞記事は読んでいませんが、それを気づいて講演のネタにしたあたりはさすがの一言でした。

 また新聞社をやめてフリージャーナリストになった経緯などもとても興味深いもので、「やりたいことをやるためにそれができないサラリーマンをやめた。やりたいことが一番でそして何らかの形で食っていければいい」という考えからだそうで、だから「見聞きしたものを書いて放出するより見ることの方が好き」だそうです。そしておもしろいことをしたいという思いも私の信条と共通しているものです。
おもしろいかおもしろくないかそれがすべて
 これは私の最近の価値観の中心に据えている信条ですがこの人はまさにそれをやっている人のような気がします。

 ApprehensionとComprehensionという2つの単語があります。
Apprehension = 感性で知る
Comprehension = 理性で知る
 Apprehensionは感情、Comprehensionは理性、この2つの関係が重要です。理性はいつもクールで感情に惑わされず冷静に物事を見ていて、感情は豊かに変動しつつ表現する。そしてこの2つは混同してはいけない。平和活動に多く見られるのが感情で行動する人。とにかく戦争ハンタイ。理性に裏打ちされていないと「Why?(なぜ?)」と聞かれても答えられない。もしアメリカの首脳部が「私たちを説得できたら戦争やめるよ」と言ってきたとしたら?ほとんどの活動家は説得に失敗して逆に言い負かされて帰ってくるだろうと。そして平和の意味を見失うのでなかろうか。だから少なくとも必ず理性に裏打ちされた理由を持って活動しなければいけない。ときには野生の勘や生理的なものも大切にしたいけれど理性を持って行動したい。
 その点安田さんの「やりたいこと」はApprehensionベースで、「情報とその意図を深く読み取ること」はComprehensionベースだと考えます。きっと非常にバランスがいい人なんだと、それが拉致のときの生存と今の成功をもたらしてるんだろうなと。

 この講演で何か変わったかと言われると答えはNOです。むしろ自分の考え方にうしろからプッシュがかかったような感じでした。
突然死ぬとしても未練の残らないように、やりたいこととできることを精一杯やろう。
 死ぬときに後悔しなければそれでいいだろうと考えています。これはもとは一向一揆の思想で、後悔さえしなければ自爆攻撃や武装蜂起も容認するある意味危険思想です。でも使い方さえ間違えなければ大丈夫。自分のやりたいことへ突っ走るためのポジティブシンキングです。
 みなさんもなにかに追われて「就職しなきゃ」とか思わず、やりたいことにまっしぐらであってほしいなと思います。でも周りが見えなくなってはいけません。情報操作に惑わされず全てを見抜くクールさと、やりたいことに一生懸命な情熱を持って生きてほしいなと。 

P.S. 私が最近考えているのは私たち人間は全て「考えている」のではなく「考えさせられている」ということ。受けてきた教育、読んだ本、聞いた話、見たテレビ。これら全てが混ざりあって私たちの思考のベースになっている。つまりこれら全てに考えさせられている。これを知ったときひとつひとつの情報の大切さ、文化の意味が分かってきました。これも考えてみると深くて面白いですよ。お試しあれ!



My blog at: http://sunnyscene.blog-city.com


参加者コメント☆(長野春子)

2004-11-22 09:10:47 | Weblog
《知る…自分なりの意見を持つ》   
私は安田順平さんとのワークショップを終えて、自分がいかにイラクの現状を知らないのか、知ろうとしていなかったのか、思いしらされたような気がします。さらに、同年代の高知大生の話しなどを聞いていても、自分がこれまで特に何の問題意識も持たずにのほほんと生活してきたのだ、と改めて認識させられました。
 そこで、ワークショップを終えての私の意見としては、まず現状をそのままに理解しようと努力すること。そしてそれらを自分の中で一度昇華した上で、他人に伝えることができる程までにしっかりとした自分の意見を持つ、ということ。この二つではないかな、と感じました。

参加者コメント☆(田中友理子)

2004-11-22 09:09:06 | Weblog
決意表明 
「それなりの理由と意思を持って他人ではない、自分が選ぶ。」
安田さんが話していた中で、捕まった人を助けたいのか、自衛隊を撤退させていのか、を混同してはいけないというフレーズが何度か出ていました。これから「一番の目的以外の二番以降は、その形を変え、一番の目的の手段に変わってしまう」ということを感じました。何を選ぶかで、やり方、何もかもが変容してしまう。安田さんの生き方、大人なシビアな部分と、目的に手段は選んではいられないという冷静さ・客観的な部分を感じられた瞬間でした。
 安田さんは今回日本がイラクに自衛隊を送ったのがきっかけでイラクを見てみたいという好奇心一心で、イラクに行ったといっていました。その行動力には脅かされますが、「死ぬ可能性を考えて、死んでもいいと思って行かれたんですか?」という質問に「いや、死ぬ気なんて最初からないですよ」と言っていました。私はその返答に少し矛盾を感じました。安田さんの話の中では、行ったり、知ったり、表現するのは、迷惑をかけなければ自由だと言っていました。私の中で「死でもいいと思っているなら、何をしようと、個人の自由だ」という考えがあったからです。誰かに助けてもらおうということは依存している、何かあったときだけ助けてもらうという他力本願な感じがしたからです。しかし安田さんは「そもそも政府は私たちを助けること自体が予算内で、当たり前」だと。一人の大人の言うことなのかととても疑問を感じざるを得ませんでした。政府が情報を捻じ曲げている、自衛隊だって人をきっと殺しているんだ、何が本とかは何冊も本を読め、そんな政府の元で何がおかしいのかも分からなくなっている日本人はどうなの?、そんな政府に任せてられないのでは?と、どんどん話はエスカレートしていき、NGO関連、平和の話にまで展開するが、どうも地に足が着いていなかった。安田さんの曖昧な意見から、私の頭は止まっていました。
すると、「失敗ができない社会が悪い」と安田さんがふっと言いました。ふわふわしていた霧が晴れたように、一本筋が通りました。シビアで、実力主義、結果を残さないと評価されない、さまざまな現代の社会の問題・枯渇を気づかせる一言でした。現代の社会に、何が足りないのか、なんだかわかった気がしました。社会が人を育てることを、企業、社会、NGO、NPO、から、地域、家族がもっと意識していくこと、未来を見つめることが大切なんだと思いました。終始この話では、極端な政府が悪いという流れをびんびん感じてしまったので、もっと具体的に献身的な意見が出てくればよかったなと今は思います。
そのままディスカッションは続き、平和活動へと進んでいきましたが、専門知識や、興味もあまりなかったのもあり、よくわかりませんでした。少し感じたのは、結局自分がやりたいことをやったらいいのだということでした。安田さんのように知りたい、表現したいというのも、デモをするのも、NPOに参加するのもやりたいことの延長線状に平和があったんだと感じました。
私は、安田さんの話を聞いてもみんなの意見を聞いても、「ただ好きなことをするだけの社会」も嫌いです。政府にわかってもらいたいから、自由や権利が通る世の中にしたいからという理由はいろいろあると思いますが、自分は周りのことを考えて動く、表現する、生きていく大人になりたいと思います。安田さんや、同じ意見を持つような方々の批判ではなく、主張する人も必要だし、地元に根を張り、日本を支えたり、家族や友人のそばにいる人も必要だと思うからです。どちらも必要だと思います。私は後者の人間だと思いました。それぞれやることは違っていても、理想とする社会が同じなら、なんの問題もないのではないでしょうか。 
お疲れ様でした。いろいろ考えさせられることがたくさんあり、充実していたと思います。