今日捨てたモノ

毎日捨てているブログです(^_^)

8/9 イヤホンのカバーが取れまして… それにしてもこんな種類があるのですね&⑨片づけて気づく時代の変化について

2020-08-09 20:02:14 | 日記

4.5年くらい使っていたムスメっちのイヤホンの耳の部分のカバーが壊れました。iPhoneやタブレットにて情報に触れる現社会において、我が家では必需品。その前はラジオとかで使っていたのかな? 

おととい100均に行く用事があったのであまーい私は買ってきてあげちゃいました。入れ替えで今日の捨てたモノです。お世話になりました。

ちなみに私がiPhone6だった時のイヤホンはリモートワーク状態には必携です。そしてこの捨てモノに触れ、プラグの種類を検索してみたのですが同じ3.5mm口径の中でも(口径も2.5とか4.4とかあるんですね… 知りませんでした)3極とか4極とか極数が違って用途も違うのですね… 昔ステレオにマイクをつなぐときにぶっといのを見たことがありましたが、こんなに用途により細分化されているとは… あまり興味がありませんが、ちょっと勉強になりました。もちろん捨てたのも買ったのもステレオ3極。そしてイヤホンの装着や形状でも種類が… そりゃ好きな人には奥が深いわけですね。集中するときに音楽とか聴く人は拘っていますもんね…

私はイヤホン状態が嫌いなんですが、映像などが携帯端末で見られるようになって携帯付属のイヤホンを持ち歩くようになりました。資料とかもそのうち動画で配信しまあーす、なんてのが一般的になるのでしょうか。オンデマンドとかで楽しめる時代、世界は広がって、見る端末は小さくなる… なんとなく受け入れられるような、受け入れられないような50歳代の男性です。

 

今日のブログにまつわることは世代や時代で感じることなどを備忘で書きます!

まず私の親世代(以上)は、確実にモノで残すことが美徳でした。引き出物や貰い物の未使用食器、大量のタオル類… とにかく茶箪笥に押し入れに、足りなければ入れ物を買ってくるいう感じが当たり前でした。私の母親は頒布会、というかサービスでタッパーがもらえるとかカップがもらえるなど足しげく通っていたのを覚えています。保管するのに茶箱に着ものとか入っているのから、大きな洋服ダンスまで、とにかく入れ物もモノもいっぱいありました。

転じて、子供に対していると学校教育上は別にして、たいていは今日のステモノの本体であるタブレットや携帯さえあれば日がな一日、それで過ごしちゃうなんて日も… 余計なモノは要らない、小遣いも特に必要無いから貯金、なんてケースも見聞きするほどモノに対する執着を感じさせません。

私の生きているこの50年ちょっとだけでも、物質中心の重厚長大から、思考中心でミニマル化へとても大きく動いています。住居のことだっていつも思うのは「ウサギ小屋」と揶揄された日本の家屋のことについて批判したり問題にしたりすることはほぼ皆無となり、何もない、シンプルライフとか狭小住宅ももてはやされる様にもなりました。買った大きな家が「負動産」などと揶揄されることも… 私の子供のころからしたら考えられない言葉です。

このままモノを否定して究極へ行くと自分自身の存在さえなくなっちゃう… 約4年前フジテレビの「世にも奇妙な物語」で深田恭子さんが演じた「捨て魔の女」を見てそう思った次第です。バランスの取れたモノとの向き合い方を考える、そうした神学論争的な課題もこのブログには課せられている気がしてなりません。と難しめに書いてしまいましたが要は明日からもモノと向き合って適度に捨ててよりよい住環境を求めて参ります。

 

7039個 モノを捨てました!(^_^)

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