2018年4月11日Blog「New York郊外に滞在してⅠ」に続き、ルーズベルト
元大統領ゆかりの地を訪れた折、感じた事、戦時に成し遂げた彼の"大仕事"
について綴る。
◇彼の住んだ所は、ハドソン川上流の小高い丘の上に在った:
1)New York郊外の町、Tarrytownに滞在してManhattanまで列車で通勤し
て仕事をする中、週末にはRoosevelt元大統領の邸宅に出向いた。Tarry-
town駅から列車に乗り、約80Km走って、Poughkeepsie駅に降り立った
Poughkeepsie駅の外観 出典:en.wikipedia.org/ Poughkeepsie駅の内部
。その駅は簡素で歴史を感じさせる造りだ。彼らは歴史を保存する文化を持つ。
2)ルーズベルト元大統領の邸宅と庭:
駅からバスで直ぐの所に、ルーズベルト元大統領の邸宅と庭などが保存されて
いた。まず、敷地の広大さには、圧倒された。近くに流れるハドソン川を遠望
する小高い丘の上に邸宅があり、そこからの見渡す広大な庭園。こんな所に彼
邸宅の正面 出典:tripadvisor.jp/ 庭とハドソン川方向の眺め
は、住まいしていた。そのScaleの大きさもさることながら、仕事だけでなく生活
を楽しむ文化も目の当たりにできた。庭にはFranklin D. Rooseveltと妻のAnna
出典:tripadvisor.jp/ ルーズベルト夫妻の墓
Elenorが一緒に眠るお墓があった。彼らがl住み慣れた所にお墓を造り、そこに眠
ると云う文化も垣間見た思いだ。
◇第二次世界大戦後の世界秩序を決めた人物 ルーズベルト大統領:
終戦の頃、著者は6歳だったが、ルーズベルトとチャーチルの名前をよく耳にした。
彼が成した大きな仕事として・・1945年2月に開いた「ヤルタ会談」がある。クリ
ミア半島のYalta島にて、ソ連のスターリン書記長、英国のチャーチル首相と会談。
出典:ja.wikipedia.org/ 3人の首脳 出典:Google Maps クリミア半島
日本に関わる事項では、ソ連の対日参戦、千島列島、樺太などの日本領土の処遇
も決定した他、ドイツの分割統治、国連での拒否権国を設定するなど、戦後の世
界秩序を決める会談だった。日本が終戦を迎える6か月前に、かかる事々が彼らに
よって秘かに決められていた(ルーズベルト元大統領の住まいと庭を観て、成る程
と想いを新たにした)。