どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

ばるぼら。

2020-12-03 | 邦画
映画「ばるぼら」より



ふん・・・小説は人生の捏造じゃないのかね。



ふとこの世界を俯瞰して語るなら、人一人の人生なんてそんなもんだ。

It's great!

手塚治虫先生の原作の余韻とは少々違ったけれど。

浮世の俗の中で、人の精神の理想と欲は矛盾している。

俗世の名声を我が物のように手に入れたばかりに、それでも満たされない自らの心の闇の袋小路に迷い込んだ一人の小説家の物語。

その前に突如現れたばるぼらは、主人公とは対照的な生き方をしている。

面白いのは、一般に社会で俗と思われている酒と色欲の世界に生きているようなばるぼらが、実は物語で一番脱俗しているかのように見えるところである。

そこがこの物語の大事な部分であるように思う。

どれが人生の正解かなんて答えはもちろん無い。

ただ確かなのは、この物語のように誰の人生もいつか同じようにエンディングを迎えるということだけである。




なんてことないよ・・・へへへ、運が悪かった。




望みを叶えようと笑みをも浮かべながら彼の首を締めるばるぼらと、主人公の突然の生への執着。

頭を打ちつけ不遇な運命を辿るばるぼらが、最高に“たおやか”に見える瞬間だった。

この映画でのばるぼらは、原作よりも人間らしく描かれていたように思うのは、生身の人間として演じた二階堂ふみさんのせいもあるのだろうか。

二階堂ふみさんはやっぱり映画女優。

テレビより映画で活きる存在感。

第一、テレビではフルヌードはタブーだしね。

そこにあった人の息遣いや営みは消えても、遺した物語はまるで化石のように残る。

映画ならではの印象的なラストシーン。

形は違えど、それは原作者手塚治虫先生が示したかった永遠のテーマだったのではないか。

人が欲する富や名声、そして幸福感。

人は何のために生きるのだろう。

刹那を満たすことなのか、あるいは何かを遺すためなのか。

ばるぼらは何のために生きて、そしてこの世から消えたのだろう。




どうってことないよ・・・綺麗すぎるもん。




ばるぼら。

それは人の社会が、消化しきれない排泄物のような女。

社会のタブーと言われるものの象徴的な存在。

これはその時代の、この作品そのものの存在と重なって見える。

手塚治虫、今さらながら恐るべし。

この作品の魅力に惹かれていく我々読者や視聴者こそ、この堕ちていく物語の主人公とまさしく同様なのである。



それにしても主人公を演じた稲垣吾郎さんのあまりの役のハマりっぷりには笑えた。







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