その昔テレビで、日本船舶振興会の“一日一善”CMというのがあった。
同年代以上の方ならば「戸締り用心火の用心~」という印象深いフレーズから始まるCMを聞いたことがあるに違いない。
確か、月曜日から一週間分のバージョンがあったように覚えている。
そして最後に、創始者の故笹川会長が「一日一善!」という音頭て締めるのだ。
なぜこんな昔のCMを思い出したかといえば、そのCMの中で笹川会長が母親をおぶって階段を登る写真のシーンがあったからだ。
あれが事実本当なのかどうかは知らないが、今回の旅で私は同じことをした。(することになった。)
淡路島公園内の長い長い階段を母をおぶって上がったのである。
理由は単純で、完全な私の事前準備不足。
通れると思っていた散策コースの最後の最後が階段であることをすっかり見落としていた。
階段に突き当たって呆然。
それもそのはず、そこまでの道のりも決して平坦ではなく、父は階段に突き当たる前からすでにお疲れモード。
引き返すにしろ、30分以上かけてまた車椅子を押し上り下りしなければならない。
母の身体も傾きかけ体力の限界が近いことを示していた。
「俺がおぶって上るよ。」と笑顔で私。
それは決して私が親孝行者だということではなく、その場の雰囲気、流れから必然の成り行きであった。
道順を決めている私が、ここでブーたれることは許されないに決まっている。
またここで笑わなければ、この旅は一気に失敗となってしまうように思えたから。
この旅は絶対、みんなで笑顔で終わりたかったのだ。
はたして私は車椅子を父に託し、母を背負ってヒザ痛にもめげずに笑顔で勢いつけて立ち上がった。
「余裕、余裕・・・」
と言ってはみたものの、見上げても階段は木々の中をうねっていて、まるでどこまで続いているのか見当もつかない。
はたして、私は階段の踊り場で3回も母を不時着させることになってしまった。
かつては雪山のパウダースノーを滑るために何度となく山登りを経験していたはずの私も、もう若くはないのだと痛感。
第一、人をおぶって登ったことなどあるはずもない。
30キロ台の母とはいえ、しがみつくこともままならない状態の人間をおぶるのは普通以上に重さを感じる。
結構急な階段で、後ろにバランスを崩すことは許されないので特に気を使ったこともある。
何より笑顔、笑顔!!
「戸締り用心火の用心~」もう、ヤケクソ。
“笹川会長、あんたはエライ!”
11月になろうかという秋の日に、汗だくになりながら何とか最後まで上り切った。
母も必死で私にしがみついていてくれた。
ハァハァと息を切らせながら背中を振り返ると、なぜだか母は笑顔だった。
「大丈夫?」と聞いたら、頷いてくれた。
私も笑顔。
必死な笑顔だったが。
でも妙な達成感と爽快感。
私のせいでこんなことになったのに、不謹慎であろうか。
上りきった今となれば、これもきっと良い思い出となるに違いない・・・。
ただ、そう思ったのはほんの一瞬。
息はあがってヒザはガクガク。
一刻も早く母を降ろしたくて、谷の方に向きを変える。
あっ・・・!?
と何か忘れたように階段の下の方を見る。
あー~~~!?
そこには、まだ物凄い形相で車椅子を担ぎながら階段を上っている69歳の父の姿があった。
「親父、ゴメン!」
忘れてた・・・・・。
やはり私は、天然の親不幸者なのかも知れない。
一日一善!
。
同年代以上の方ならば「戸締り用心火の用心~」という印象深いフレーズから始まるCMを聞いたことがあるに違いない。
確か、月曜日から一週間分のバージョンがあったように覚えている。
そして最後に、創始者の故笹川会長が「一日一善!」という音頭て締めるのだ。
なぜこんな昔のCMを思い出したかといえば、そのCMの中で笹川会長が母親をおぶって階段を登る写真のシーンがあったからだ。
あれが事実本当なのかどうかは知らないが、今回の旅で私は同じことをした。(することになった。)
淡路島公園内の長い長い階段を母をおぶって上がったのである。
理由は単純で、完全な私の事前準備不足。
通れると思っていた散策コースの最後の最後が階段であることをすっかり見落としていた。
階段に突き当たって呆然。
それもそのはず、そこまでの道のりも決して平坦ではなく、父は階段に突き当たる前からすでにお疲れモード。
引き返すにしろ、30分以上かけてまた車椅子を押し上り下りしなければならない。
母の身体も傾きかけ体力の限界が近いことを示していた。
「俺がおぶって上るよ。」と笑顔で私。
それは決して私が親孝行者だということではなく、その場の雰囲気、流れから必然の成り行きであった。
道順を決めている私が、ここでブーたれることは許されないに決まっている。
またここで笑わなければ、この旅は一気に失敗となってしまうように思えたから。
この旅は絶対、みんなで笑顔で終わりたかったのだ。
はたして私は車椅子を父に託し、母を背負ってヒザ痛にもめげずに笑顔で勢いつけて立ち上がった。
「余裕、余裕・・・」
と言ってはみたものの、見上げても階段は木々の中をうねっていて、まるでどこまで続いているのか見当もつかない。
はたして、私は階段の踊り場で3回も母を不時着させることになってしまった。
かつては雪山のパウダースノーを滑るために何度となく山登りを経験していたはずの私も、もう若くはないのだと痛感。
第一、人をおぶって登ったことなどあるはずもない。
30キロ台の母とはいえ、しがみつくこともままならない状態の人間をおぶるのは普通以上に重さを感じる。
結構急な階段で、後ろにバランスを崩すことは許されないので特に気を使ったこともある。
何より笑顔、笑顔!!
「戸締り用心火の用心~」もう、ヤケクソ。
“笹川会長、あんたはエライ!”
11月になろうかという秋の日に、汗だくになりながら何とか最後まで上り切った。
母も必死で私にしがみついていてくれた。
ハァハァと息を切らせながら背中を振り返ると、なぜだか母は笑顔だった。
「大丈夫?」と聞いたら、頷いてくれた。
私も笑顔。
必死な笑顔だったが。
でも妙な達成感と爽快感。
私のせいでこんなことになったのに、不謹慎であろうか。
上りきった今となれば、これもきっと良い思い出となるに違いない・・・。
ただ、そう思ったのはほんの一瞬。
息はあがってヒザはガクガク。
一刻も早く母を降ろしたくて、谷の方に向きを変える。
あっ・・・!?
と何か忘れたように階段の下の方を見る。
あー~~~!?
そこには、まだ物凄い形相で車椅子を担ぎながら階段を上っている69歳の父の姿があった。
「親父、ゴメン!」
忘れてた・・・・・。
やはり私は、天然の親不幸者なのかも知れない。
一日一善!
。