知名孝ブログ

日々の経験・思ったこと・考えたこと。精神保健福祉、発達障害、(児童思春期の)メンタルヘルスや自転車、ギターのこと。

再生可能エネルギー

2017-12-22 06:42:10 | 日記
アメリカやヨーロッパで再生可能エネルギーへの投資が活発になっているらしい。地球温暖化による各地の自然災害のために、保険会社ではかなりの損失が出ているとのこと。結果として(トランプに代表される国の政策に関係なく)保険会社が再生可能エネルギー投資へと向かう。

一方中国…。中東の砂漠を借り上げて、数十万枚のソーラーパネルを設置し巨大な再生可能エネルギープラントを開発している。日本の潰れかかった再生可能エネルギープラントをも買い上げているという話。国内の劣悪な環境問題解決だけでなく、再生可能エネルギーによる電力を中心としたエネルギー産業で国外進出を行い、再生可能エネルギー産業を外貨獲得の手段(=帝国主義化のツール)として展開しようというもののよう。

欧米保険会社による再生可能エネルギーに対する投資そして中国の動向は、再生可能エネルギーをひとつの産業として位置づけるに至っている。日本では単価が高いの、国の電力供給チャネルからはじかれているのと言われ続けながらも、エネルギー政策に関するイデオロギーの象徴として存在してた。その間に国外では再生可能エネルギー関連資材の量産により、化石燃料エネルギーよりも低い単価で生産可能なまでにシステムが発展している。投資や予算(=金)をその事業に循環させるシステム、そして国策(エネルギー循環チャネルへのアクセシビリティ)の整備は大きい。ハードよりもソフトの問題が影響しているんだろうと思われる。再生可能エネルギーはエネルギー政策のイデオロギーのアイコンではなく、産業化している。


電気をエネルギー源とする社会…、人間で例えると、電気が糖分やタンパク質だとすると、ITが認知や思考。両方とも、これまでのリソースに比べどこかで操作したり、コントロールしたりっていうのがより可能な性質を持ったもののように思える。結構中央管理型社会が見えてくるのは僕だけかな。これまで歴史は自由・解放・民主主義に向かって行くと思っていたけど、そろそろそこから舵を切り始めて、全くちがう社会構造に向かって行くのだろうかな?それとも自由・民主主義vs.中央管理型中央集権というというディコトミー(dichotomy・二つのひとつ)が変質・変化していくのだろうか。

クライエントとのバウンダリー

2017-12-04 18:47:37 | 精神医療、脱施設化、脱精神科病院
先日ゼミの学生達とバウンダリーについてのディスカッション。教科書的に言えば、実践者は患者・利用者とのバウンダリー・距離感を考えられるようになること、その感覚を持てるようになることが大切だということ。確かに。特に病院の実習では、距離感というのは強調されるというのは学生が実習先から帰って来たときによく言われている様子。

親しい関係っていうのは、通常このバウンダリーを越えたところで起きることが多いような気がする。バイトに来ているはずなのにそのバウンダリーを越えて一緒に飲みに行く、カラオケに行く。勉学しに来ているのに…。会社だってそう。最近の会社では、バウンダリーを越えた付き合いを好まない若者が増えたって嘆いているおじさん方も多いようですが。恋愛なんていうのも、恋愛を目的としたところで生じるのではなくて、仕事や学生やら違う目的で出会っていながら、出会いの枠を(バウンダリーを)越えたところで生じることが多い。バウンダリーを越えた付き合いっていうのは実は、私たちの日常生活を豊かに、艶っぽく、色っぽく、興味深いものにしている。

そういうことへの禁止と抑制された世界に入院している人たち(患者さんたち)の話になった。そういう世界で数年とか数十年とか過ごしている人たちの話になった。こちら側では、専門家としてのアイデンティティーと専門職集団からの承認を壊さないためにやっているのだけど…、向こう側からするとちがった風景が見えてくるかもしれない。あなたはバウンダリーを越えることを禁止された世界に生き続けたいと思いますか?