知名孝ブログ

日々の経験・思ったこと・考えたこと。精神保健福祉、発達障害、(児童思春期の)メンタルヘルスや自転車、ギターのこと。

ひきこもり青年をかかえる会から

2020-12-19 16:12:39 | 子どものメンタルヘルス


人はさ、不安を解決するっていうとき、「忘却」(忘れること)と「万能感」(大丈夫っていう感覚)をともなうさ。およげない時の水への不安っていうのは、およげるようになったり、水に浮くことができるようになったら、水を怖がっていた自分を忘れていたり・大丈夫って感覚になる(だから危ないんだけどね)。新しい環境への不安とか、仕事への不安とかっていうのも似ているところがあると思う。

青年期の人達…、ボクの仕事は大学の教員なので特に卒業前の4年生、っていうのは社会に出ることへの不安が大きい。「社会に出てやっていけるか」っていう不安よ。人によっては大学卒業前の21・22歳だろうし、専門学校卒業する20歳くらいかもしれない。あるいは、浪人かさねた人は、も少しあとかもしれないね。でもこの「社会に出てやっていけるか」不安っていうのは、実際に給料もらって、職場での役割が安定してくるとかなり解決に向かう。人により程度の差はあるだろうけど、自分の社会人としての現実の変化が解決に向かわせるわけだ。しかも、彼氏や彼女ができて、家族ができて、そして子どもができて(=自分の家族を持ち始める)って時には、かなりの人が若い時に「社会に出てやっていけるか」っていう不安があったっていうのは忘却しているんだろうと思う。そんな最中に多くの人が子育てを始めるんだ。成人発達的にみると、この「社会人としての不安」と子育てって関係があるような気がするさ。多くの人にとって子育てって20代後半から30/40代にかけてすすんでいく。「社会で自分がやっていけるかっていう不安感」をもっていたことを忘れがちになり、そして「なんとか大丈夫」っていう感覚の高まりと一緒にやっていくことが多いような気がする。極端な言い方をすれば、不安の忘却と万能感とともに子育てをするってことだ。

だからね、小学校(なんとか中学校)くらいまでの親って「強い」んだよ。でもね、40代後半あたりだろうか、社会人としてのかげりがでてくるのは。

今日、ひきこもり青年を持つ親の会やった。以前はもっと自信があって、そして強かったんだろうな、お父さん達・お母さん達。社会人としてやっていけるっていう自身に支えられてやっていた子育てが、こんな結果になるって思ってなかったんだろうなって感じる瞬間がある。みんな、子どもがかわいくて、そして子どものためにはこうしたほうがいいって思って子育てしてきた。みんな前見て自分の子どもの現実と向き合っている。その一方で、どこかこれまでの自分(自身を持っていた自分)に対する後悔の念とか、疑念とか、さまざまな感情をもっていることも現実なんだと思う。

ゲーム依存

2020-11-11 09:53:43 | 子どものメンタルヘルス
アルコール依存症の連続飲酒は身体がもたなくなる(身体的底つき)、仕事も家族も失う(社会的底つき)が訪れる。ゲーム依存は身体的にも社会的にも底つきがない。社会的底つきがあったとしてもそれを「否認」するためにゲームをやる→学校行かず・ひきこもり、ネット奪われたら暴れる(特に父親不在の家庭では)…=ネガティブ・スパイラル。治療や変化へのモチベーション形成が難しくなる。

近年診断名として確立したとしても、医療には他の依存症のような治療プロトコルはまだ確立されていない。治療プロトコルがなければ診療報酬対象にもならないのだろう。診療報酬という社会的インフラの対象にならなければ、ほどこしようがない(社会がこの問題とどう向き合おうということがないのだから)。親(特に母親や祖父母)は右往左往するばかり。悲しくも、無力感も…。

医療だけが解決ではないと思う。しかし、Wi-Fiつながないと狂ったように暴れる小学生に対して、社会システムとして誰が何ができる。親も疲弊している。

ひきこもりの相談??

2019-12-17 11:53:50 | 子どものメンタルヘルス
農林水産省の元事務次官が長男を殺害した事件、「もっと早く相談してくれれば」というコメント多いけど…。私がお手伝いしているひきこもり青年を抱える親の会のメンバーの子ども達もひきこもり歴ながい。保護者の皆さん、あっちこっち相談いってきた。ひきこもりが明確になってきた15年ほどまえ、当時(少なくとも沖縄では)精神科病院や保健所や、行政でひきこもりの相談をうけてくれるところは非常に限られていた。自分の子どものことを他の人に相談することそのもの難しい。うえに「本人連れてきてください」とか「ひきこもりは精神保健福祉の対象ではないので…」なんて言われ続けると、あまり外には相談しないよねってことになっちゃうと思うんだよな。この年齢の当事者・保護者は「相談」に無力感を感じている人が多いのではないかな…。
https://news.yahoo.co.jp/byline/masakiikegami/20191210-00154369/


PTSD治療

2019-09-03 10:35:41 | 精神医療、脱施設化、脱精神科病院
https://www.cbsnews.com/news/sgb-a-possible-breakthrough-treatment-for-ptsd-60-minutes-2019-06-16/?fbclid=IwAR3H2JBD5xwiL0ezKYj_VCsEcMXx_vb4NdILYEGOMmzqpg_diMcXPpO_y-8


"60 minutes"っていうニュース番組で、注射でPTSDを治療する方法がでたっていうニュース…。SGT(stellate ganglion block)っていう手法で、もともとはChronic painに対応するためのものをPTSD治療に適用。
米国のTV・ラジオでは自国の兵士が外国で戦闘で亡くなってしまうっていうニュースは珍しくない。PTSDで帰ってくる兵士の話も全然珍しくない。そのあげくに、自殺や薬物依存、他害行為に及ぶっていうストーリーもある種(悲しいかな)、“よくある話”になってしまっている。
それ考えると、なんでうちの国の人間だけ死人がでるんだ。日本は…っていう、トランプ張りのアメリカ人がいてもおかしくない。定期的に自衛隊員が国外戦闘で亡くなったっていうニュースが珍しくない時代もくるのだろうか…。

児童虐待についての新聞記事

2019-03-19 15:47:16 | 子どものメンタルヘルス
先日ある新聞社の方からちょっとした電話取材をうけたら記事になったんですよ。

「〇〇〇大の知名孝准教授(精神保健福祉)は『介入は親の敵対心をあおる。児相は介入に重点を置き、支援では市町村の要保護児童対策地域協議会を活用すべきではないか』と話している」っていう短い文章で紹介されているんですね。取材でお話ししたことと少し(っていうか結構)趣旨がちがうので説明を加えておこうと思います。


取材ではアメリカの私の経験を通して、児童虐待の制度改正案についてお話ししてくださいということでした。

アメリカでの私の経験では、虐待通報があり子どもが緊急保護(措置)されて数週間の間に(1週間から3週間の間に)裁判が開かれるのですね。一時保護が必要なものだったかどうか、子どもの保護(家庭からの分離)を継続するかどうか、継続するならどれくらいの期間継続するか、その後子どもを家族に戻すための条件などについて、司法(裁判所)が決定するということを記者の方にお話さし上げました。アメリカでは虐待介入は、裁判所(司法)の決定にしたがって児相も市町村もそして学校も動くことになるので、措置(一時保護)に不満をもつ保護者に対しては、裁判所にクレームするようにお話するわけです。私は取材の中では繰り返し、「介入」(強制性をもつ措置)の決定とその責任の所在を、児相ではなく裁判所(司法)に移した方がいいのではないかというお話をしたのです。


虐待介入は措置だけではない。子どもにとってはどんな親でも一緒にいたいっていうか、慣れ親しんだ環境から引き離されることが不安だし、引き離すことは子どもへのリスクをともなうわけです。子どもの家庭からの分離・保護よりも、親や家族・関係者を支援することで、子どもを分離せず虐待の問題が改善されていくことがとても大切になるわけです。ところが上で述べたように措置(分離)の責任の所在が児相にあったりすると、どうしても親の怒りや不満は児相に向いてしまうわけです。先日大きなニュースになったケースの父親のように、「どういう権利があってうちの子を家庭から取り上げるんだ、何かあったら責任とるんだろうな」ってすごんでくる親だっているわけです。そんなふうになってしまうと児童相談所による親と関係者の支援っていう話にはなりにくくなります。支援する・されるような信頼関係そのものを構築することが難しくなっていくわけです。支援機関として児相が機能するためには、措置の責任の所在を別の機関におくべき、できれば裁判所(司法)が担うべきなんだろうと思うのです。

しかし今の日本で措置と支援を分離するような仕組みをつくるのは難しい…。特に裁判所が絡んでくるのはなおさら難しそう…。となると誰が支援の軸となり誰が措置の中心となるのだろう…、取材のなかではそういう話になりまして…。次のように記者の方とお話ししたのです。

虐待だと、はっきりといいきれないが…、でもこのままでは子どものためによくないよねっていう、そういう事例がたくさんあるっていうのは、子どもに関わっている人たちはよくご存知のことと思います。虐待にいたってないがその可能性があるような事例を含め(すでにいたっている事例も含め)、子どもを育てる機能に不全をきたしている親や家族への支援の第一線にあるのが、市町村にある児童家庭課なんですね。児童相談所は基本的に都道府県レベルの行政機関で、ここで言っている児童家庭課は市町村の行政機関なんです。役所によっては「こども家庭課」とかっていう名称の部署だったりもするのですが…。児相の介入対象になる前のケース、介入中のケース、介入後のケースの「支援」に大きく関わっていて、要保護児童対策地域協議という協議体が設置されています。通常子どもの保護を要するようなケースに対して深く関わる機会をもつのは(ケースにもよりますが)、市町村の児童家庭課なんだろうと思うのです。記事にあったような、「児相には措置を担ってもらい、市町村(児童家庭課)に支援を」っていうのは、上に述べた措置と支援の分離を日本の今のシステムでやるとすれば、この二つの行政機関で分担ですかねっていう、日本の現状を仮定した場合の話なんですね。ただ、児童家庭課には予算も、マンパワーも、権限も、資源も絶対的に少ない。こういう形の分離は、現状では難しいだろうと考えているということ、そして市町村の児童家庭課をもっと充実させるべきなんだろうと、記者の方にはお話ししたのです。