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支流からの眺め

さらば、2類コロナ(1)

 武漢ウイルス感染症が5類扱いになるのを機に、Blog(始めた契機は感染症の始まりであった)を読み返してみた。初回は2020年4月1日で、タイトルは「武漢コロナウイルスはステルスか」であった。見えない敵の怖さを、ステルス戦闘機にたとえた。4月6日の「武漢ウイルス感染症は、確かに戦争(WAR)だった」では、Severe acute respiratory syndromeをSARSと呼ぶならば、今回の感染症は、武漢の英語名であるWuhanを使い、Wuhan acute respiratory syndrome、すなわちWARSとしてはどうかなどと書いていた。

 4月15日の「武漢ウイルスとの戦争-その終戦の日」では、スペイン風邪の大流行が、感染率50%、致死率1%程度で、約2年で流行が終息したことから、「波状攻撃を受けながら、2年程度のうちには終戦の日が訪れるであろう。その様相は、有効なワクチン・薬剤による輝ける科学の勝利と、100万人の犠牲者が横たわる焼野原の間のどこかにおさまる。この程度では、種としての人類、国としての日本が滅亡することはない。但し、心理的・政治的不安定から自壊しなければの話である。」と述べた。

 4月26日の「武漢コロナウイルスとの戦争-これは戦争か災害か次の戦争か」では、不安をあおるマスコミ報道の危険性を批判した。5月5日の「武漢ウイルス感染症は、指定感染症なのかカゼなのか」では、「2類にあるSARSやMARSの致命率10-30%に比べれば、WARSは1桁以上低い。そうならば、WARSを2類から外せばよい。(中略)一昔前なら、カゼをこじらせて亡くなる人もいたが、大騒ぎしたり入院隔離したりはしなかった。但し、感染対策を継続することには変わりない。」としていた。

 6月1日の「武漢ウイルス後の世界(1)日常生活はどう変えるのか、変わるのか」では、「流行抑制か経済活動かのジレンマの中で、警戒体制の強化と緩和を繰り返しているうちに、WARSは風土病に変わる。そうなると、WARSが再流行しても、それで人が死んでも誰も驚かなくなる。これが常態となる。昭和25年までは、結核が蔓延し若い命を次々に奪っていた。何と年間10~15万人が死んでいたのである。(中略)インフルエンザでも約2千人が亡くなっている。」とした。

 その後も流行のたびに初回と同様の騒動が続いていた。12月14日には、「武漢コロナ狂奏曲―冬の章」で、それまでのBlogをまとめた。この流行が世界覇権の転換となりかねないことを指摘し、ウイルスが中共国発であることを念押しした。この間の中共国の態度は、あまりにも不誠実で強引で、誣告の民であることを思い知らされた。そこから国際関係にもテーマが広がり、米国、露国、中共国の三大覇権国の他に、印度、朝鮮、台湾にも触れた。かたや、流行は年が明けた2021年になっても続いた。

 流行開始から約2年後の2022年1月30日、「どうしてこんなことに・・何かおかしい」では、「病人だけでなく濃厚接触者も隔離する・・この流行下で可能なのか?強引に行ってどれだけ効果があるのか?無症状者を含めたPCR検査を広く行う・・そこまでして陽性者を見つける意味がどれだけあるのか?(中略)直感的な常識に従えば、症状がある人は自宅療養し、症状のひどい人は入院し、他の人はマスクを常時着用しマスクなしの環境に入る前には簡便な検査をする、これくらいが妥当にみえる。」とした。

 2022年9月25日の「久しぶりのコロナー日常生活に戻す」では、「難しいのは、感染症「管理」対策の解除である。患者への支援(電話追跡や医療費公費負担等)、医療機関への助成(補助金や上乗せ医療費等)をどうするか。(中略)相手はウイルスであるから、官僚無謬主義に拘ることなく、対策の変更は暫定的とし、事前に設定した基準で見直す。第8波や危惧されるインフルエンザとの同時流行の前には、管理対策の変更に関する綱領を定めておくべきである。」とした。(次号に続く)

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