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支流からの眺め

建国記念日と建国記念の日

 本日(2月11日)は建国記念日である・・・これは間違いである。正しくは、建国記念「の」日である。この「の」には、深い意味がある。

 2月11日という日付は、初代天皇である神武天皇が橿原宮で即位した日とされる旧暦の1月1日を、グレゴリオ暦に読み替えたものである。明治時代に紀元節と呼ばれていたが、戦後の1948年に廃止された。その後、1951年ころから復活の運動が始まり、名称を建国記念日として国会で審議された。しかし、日本書紀の記述に関する疑念、左派の社会党の反対などで紛糾し、建国記念の日と称することで折り合いをつけて、1967年にようやく復活した。

 「の」をつける意味は大きい。そのことで、「建国された日」でなく「建国という事象を記念する日」という意味合いになる。法的にも、この祝日の趣旨を、「建国をしのび、国を愛する心を養う」としている。妥協の産物、日本語的曖昧という見方もできよう。しかし、建国を記念し日本国民であることを祝う心は、国民であれば誰しも共有できる。その日をいつにするかということで分裂するより、それは曖昧なままとして心だけを掬い取ったのは先人の智慧である。

 それはさておき、では何をもって日本国の建国とするべきであろうか。古くは実質的な権力は天皇が握っていた。武家政権となった後も、首長である征夷大将軍は天皇から任命されていた。近代の明治憲法や新憲法においても立憲君主制をとり、天皇が大臣の任命を行うなど、あくまで天皇を最高の権威として位置付けている。この期間は、長くて2600年、短くても1500年はある。血統としても、男系皇統が破綻したことを疑う事象もあるが、少なくとも明示されていない。

 この期間を通して、異民族の支配を許したのは1945年からの占領期の7年間である。これは確かに日本史上最大の危機であり、実際に大変革の時であった。そこで、占領期の事象(日本国憲法、サンフランシスコ講和条約など)をもって建国とし、マッカーサーを建国の父と仰ぐ考えもありえる。しかし、日本国民が異民族に入れ替わったわけではなく、天皇家も本質的な変更を受けることなく存続した。やはり天皇に関連した事象が建国の事由として妥当であろう。

 では、その事象として何が適当であろうか。神武天皇の即位以外では、国体が明らかとなった飛鳥時代に求められる。対外的には、遣隋使の国書(天皇と自称し独立性を表示)、朝鮮半島での対唐戦争(白村江の戦い)がある。内政では、十七条憲法の制定、大化の改新(公地公民・元号制定)があり、大宝律令(独自の法制度)による日本国と天皇の明文化がある。しかし、象徴的な事象という意味では、やはり神武天皇の即位が最も強いという印象を持つ。

 蓋し、日本は外来の侵略民が作った国でなく、他国の王を迎えた国でなく、王家を皆殺しして作った国でもない。天皇と国民が家族的共同体として暮らす中で、自然に出来上がってきた国なのである。だから、建国の日が曖昧なのは、当然のことである。建国記念の日は、誕生日に思うように、日本の歴史に思いを致し、日本に生まれ育ったことに感謝し、次の1年の幸運を祈る日としたいものである。なお、もし神武説を採るならば、今年は建国2682年に当たるらしい。




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