麻箒(あさほうき)ここの雑記帖

読書と落書きなど徒然なるままに

【2011_15】Mammy thank you for your love

2011-02-22 07:07:00 | 旧カテゴリ)ちょっと真面目な話

一年前(2010年02月)の自分のブログを見返してみました。

一年前の今日、02月22日には投稿していませんでした。

どうやら急な減薬でマイナス・スパイラルにはまっていたようです。

この日を省みる余裕も無かったとは!

もしかすると何やら思いすぎて書けなかったのかもしれません。


五年前の今日

2006年02月22日

母は逝きました。
一人で逝きました。

今までは母は「独り」だったと思って自責の念を募らせていましたが、
今は「一人」であっても「独り」ではなかったと信じたい気持ちです。
100%心の底から信じられる日は来ないかもしれませんが、
少しは自分の心の刺々しさを脱ごうかと考えています。
それに「母さん『独り』で淋しかったね」と私が思うことで、
母に独りの悲しみや辛さを背負わせてしまうような気もするのです。

人とのつながりとその温もりに浸る人に
「あなたは『独り』で淋しいですね」
と言うのは酷いことではないでしょうか。

少なくともゆらゆらと揺らぐ私は
「えっ!? 私は孤独で悲しいの? この温もりは嘘なの?」
と動揺してしまうのが目に見えています。


今でも後悔は尽きません。
「傍にいたら何か出来たかもしれないのに」
「淋しさが心を蝕むことを身を以て知っていたのに」
「一人で怖かったね」
「寒かったね」


あなたはどんな気持ちで旅立ったろう。何を思ったろう。
あなたは自分の身体が冷えて動かなくなっていくのを
感じていただろうか。

私は父の最期に間に合わなかった。
だから母の最期には立ち会いたかった。
でも、時間は戻せない。
びっくりするくらい時間は一方向に進んでいく。
「ちょっとくらいいいじゃん」と思うんだけど、
巻き戻しは利かないらしい。

----------

凄い枝毛が出来たと言って見せびらかしたあなた。
今だに三つ又に分かれた枝毛はあなたのしか見たことないよ。

毎朝朝顔の写メを送ってきたあなた。
写メを覚えた当初、子供たちに送りまくって
パケ代が大変なことになっていたね。
その内、画像に文字も入れられるようになった。
名カメラマンだった。

子供たちの友達が遊びにきたら
「出したお菓子全部食べんと帰さんよ!」
と言って度胆を抜いていましたね。
おばちゃん(母の姉)にも言っていたね。

そのおばちゃんのことも、私のことも
「おねえちゃん」と呼んでいたね。
私はよく混乱したものだよ。

コーヒーには恐ろしくたくさん砂糖を入れていたね。
「おいしい牛乳」が好きだったね。

本と眼鏡に関しては面白いことが沢山ありすぎるよ。
面白い「思い出」が沢山「あった」とは言いたくないよ。
まだ言いたくないよ。

どんなに願ってももうあなたに触れられない。
笑われるかなぁ。
28の娘があなたのアカギレの手や振袖二の腕や
ぷよぷよふくらはぎを懐かしんでいるなんて。

今なら昔よりは上手く作れるようになった
手料理を振る舞えるのに。
でもお団子は多分、まだあなたの方が上手。


あなたは今、どんな状態だろうか。
父といるのかなぁ。
大人なのか子供なのか。
私たちのことを覚えているかしら。
出来たら覚えていてほしいけれど、
まぁ無理は言わないよ。
でもやっぱり覚えててほしいなぁ。


年末にあなたのお兄さんお姉さんにお歳暮を贈ったよ。
皆さんお元気でした。
バァちゃんも元気だって。
バァちゃんが認知症(当時は痴呆症と呼ばれてたね)に
なって、あなたは本当に悲しんで苦しんで、
あなたのお兄さんお姉さんも苦しんで、
バァちゃん自身も苦しんで、
本当にみんな悲しかったね。
バァちゃんはあなたの死を、末娘の死をわからなくて
しあわせなのかなぁ。
本当にわからないのかなぁ。



長々とゴメンよ。
何が言いたいかよく分からなくなっちゃった。

そちらの世界でのお誕生日おめでとう。

しあわせで、どうかしあわせであれ。

心の底から願っているよ。



あー。ついでにお願い。
今日の就職カウンセリングを見守っててください。
ではでは。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。