長旅のまえに

好きなだけ、存分に、思ったまま、怒涛のように書こう

気になるけど余計なお世話

2024-01-02 06:53:49 | 日記
今朝は日本茶。
お供はこの本にした。いつも傍らにいるはずの猫はいない。
私よりおやつカリカリが魅力的らしい。

お正月の二日は目黒の祖母の家と杉並の大叔母の家に寄った。
祖母の所は楽しかったが
大叔母の家は違う。
人が集まっているのにしんと静まりかえっている。
みなが緊張している静けさなのだろうか?
子ともの私には居心地最悪であった。
暖房は火鉢のみの広い座敷。

まだ「ちり紙」の時代であった。
離れのお手洗いは広く大きく幾つもあった。
ちり紙は灰色の硬い紙質だ。

だが母屋のお手洗いにあるのは白くて柔らか(今ほどではないが)だった。
私はこれも嫌だった。
母屋への挨拶は親族のみが伺う。

なんかもう全部いやだった。
いい年をして今さら言ってしまえば暴れちゃえば良かった。
というか言いたいことをはっきり伝えれば良かった。
正直に偽らず場に飲まれず。
子供だったのだからそれでいいのだ。

社会的に両親の不利益になるでもないし。
あら、やっばり私は損得勘定をしているようだ。
暴れないでよかったかな。こずるい暴走は自分がいやだもの。

カフェオレボウル

2024-01-01 14:07:51 | 日記

買ったのは福生の横田基地近くの雑貨やさんだった。
赤が好き、猫が好き、で一目惚れした。

目の前に広がる横田基地には2回しか入ったことがない。
1度は福生の横田基地のお祭りだった。
2回めは仕事。

基地内で床屋さんをしている男性に用があった。
小柄で明るい人柄のおじいさんは若くもないおばさんの私を売店を兼ねたアメリカ製品をたくさん置いてある一角に連れていってくれた。
「欲しいもん買いな」と言われた。

私は貢ぐタイプの人間なので実はこうゆう優しさにびびる。
でもカウンター横にあったヴィックスドロップに目が釘付け。
簡素な大袋に信じられないほど大量にヴィックスドロップは詰め込まれていた。

アメリカではのど飴ではなくお菓子なのだと私は瞬時に理解した。
欲しかった。
おずおずと手を伸ばしておじいさんに渡した。
いつもなら遠慮してお断りする可愛いげさえない私なのだが。

1ドルが360円の時代から基地で働いてるおじいさんにとってこんな何気ないプレゼントは身に付いた事でしかないのだろう。

嬉しかった。
大好きなヴィックスドロップをこんなに沢山。
アメリカのホームドラマに憧れて育った世代である。
オレンジ味がことに好きだ。

あのおじいさんは死ぬまで忘れないとドロップを食べ終えてもなお大切な記憶を宝物のように心にしまいこんだ私を知らない。






元旦だからこの本

2024-01-01 07:01:55 | 日記
朝のお茶時間は日本茶にした。
ぼんやり眺める本は東欧の修道院の本。
日本のお正月は神仏だと知ってるけど「敬虔」繋がりの連想でこの本にした。

東欧の小さな修道院の資金は豊かではない。
食事も西欧と比べると似て非なる野暮ったさが否めない。
私はこの野暮ったさが好きだ。


今年も私は私の出来ることをやって行こう。
出来ないことは出来ないと怠け者になって暮らそう。
それでいいよと自分を甘やかす。

傍らの白黒猫も賛成してくれた。
この子はほとんど私に逆らわないけどね。