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こちら東経135度 AKASHIを歩く

東経135度。兵庫県明石市は日本標準時子午線上にある。東へ西へ。この町でいろんな人、話題と出会う。

七転び八起き、おしぼり人生

2006-03-15 16:56:59 | Weblog
 神様の仕業か。何かのめぐり合わせか。この人の人生は「ついてない」の繰り返しだった。が、それを乗り越え、今がある。
 第二神明道路の玉津インターにほど近い神戸・西区玉津町。おしぼり会社「ハリマカネヨシ」を経営する佐々木志朗さん(59)を訪ねた。同じビルには事務所と工場が同居する。
 長崎・佐世保で生まれ育った佐々木さん。2浪して福岡県内の大学に入り、2年留年。卒業後、ウニやクラゲなど珍味をつくる食品メーカーに勤め、主に阪神間の中央卸売市場で商品を売った。しかし翌年、会社が大手商社に買収され、神戸の食品仲介業者へ転職。ロシア産の乾燥クジラを扱う仕事ができると胸を弾ませたが、入社するとその部署は身売りされていた。すぐに辞めるわけにもいかず、塩ジャケやいりこなど「塩乾モノ」と呼ばれる商品を売る仕事をしたが、気乗りしなかった。
 そんな張り合いのない日々を送っていた1年後の春、知人に薦められるまま、神戸・東灘に本社を置くおしぼり会社「カネヨシ」に転職した。おしぼり人生の始まりである。
 会社はその頃、全国展開を目指して勢いづいていたが、放漫経営があだとなり、入社して1年足らずで破たん。再建策の一環として、佐々木さんは明石営業所長を任されたが、半年後にカネヨシは倒産する。新婚ほやほやの中、独立する道を選び、29歳の若さで現在の会社をつくった。
 ところが、またもやどん底が待ち受ける。売り上げが伸びず、「友人に頭を下げ、カネを工面する生活が5年続いた」。転機が訪れたのは37歳。親睦団体の明石青年会議所に入り、メンバーと交流するうちに商売のやり方を根本から見直した。
 当時、売り上げの2割をピンクサロンが占めた。ファミリーレストランに次ぐ得意先だったが、「本番行為があるようなピンサロ向けと、食べ物屋で使うおしぼりが同じとは」と、衛生管理に対する姿勢を厳しく指摘された。悩んだ末、ピンサロ向けは紙製に切り替えたものの、減った売り上げを穴埋めするためさらなる顧客開拓を余儀なくされた。
 しかし、試練はそれで終わらない。その2年後、事業拡大を図ろうと神戸・西区内で土地を購入して再スタートを切った矢先、隣接地に廃材処理会社が進出してきた。飛散する粉塵に悩まされる毎日。弁護士をたてた粘り強い交渉の末、何とか和解がまとまり、土地を交換する形で現在の場所に移った。
 それから11年。おしぼりに加え玄関マット、トイレ関連用品など取り扱い商品を広げ、年商2億円を超える企業へと成長した。数々の試練を経験したが、兵庫県おしぼり協同組合の理事長も務める佐々木さんは言う。
 「先が見えると、おもろうない。いつ何が起こるか分からんから、そこに商売の醍醐味がある」


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