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真心的面孔

日々の生活を日記や写真でわかりやすく語る。

そんなに自分が大事なのかと

2015-09-06 19:41:02 | Weblog
最近論語を読む。
君子とは立派だと、まぁ立派だからこそ君子なんだろうけど、そう思う。

全く私ときたら君子と比べるみたいになって何様やねんて感じですが、本当に些細なことで腹が立ったりする。

しかも、それが自分の文句を言われたり、図星を言われたりするとすごい腹がたつ。

それに対してストレートに、その言い方はいい気分しないなとか、そういった感じで伝えられたらいいけど、不機嫌になってその場からいなくなったりする。これは、論語を読んでるのに論語を知らないということだと、冷静になって思う。

常に素晴らしい人でいるのは無理かも知れないけれど、他人から見ていてカッコ悪いなと思われるような振る舞いはなるべくしたくないと思う。

それとデリカシーのない行動も慎みたい。これは周りにも慎んでほしい。と、常に思う。

変わらないと嘆く自分をまず変えてと世間ではいいますが、その通りかもね。

こんなところで一時的に反省して意味あるのかわかりませんが、他人の言うこともちゃんと聞かないとなぁと思う。

でも、言いたい。

いつの間にこの国は言葉遣いとか、礼儀にここまで疎くなったんだろう。
回りくどい言い方をしなければ、おいガキども、言葉を慎め。だ。

あー、早く帰りたい。

尊敬するパティシエ曰く、自分を守ろうとする人は人に守ってもらえなくなります。と。

あのね僕わかったよ

2015-07-21 02:12:46 | Weblog
ある日、自転車をこいでふくぎやのバームクーヘンを買いに行った。
その道中、ひどい天気だった。人生で最も雨風が強い状況で自転車もパンクした。困難な中で色々なことを考えながら走ったら、僕は誰かのコピーを目指しているのではなく僕の理想の僕を目指しているんだとはっきりわかった。

日々、お前の性格ああしろこうしろと様々なことを先輩に言われる中、納得できる部分と、如何しても納得できなかったり、このやり方では僕の大切な人といい時間を過ごせなかったり、傷つけてしまうと思うような部分とがあると考える場面が多々あった。
冷たくされたり、非道いことをされたりして、やっと人はそれがダメだと気づく。これが人間は本質的に悲しい生き物だと言われる所以なのかもしれない。

☆☆☆

最初にドンキに行った。仕事で便利なので、テロテロ素材の白いロンTをずっと探していた。そこで休憩しながら、ご飯に卵焼きとスパムを挟んだあんまり美味しくないおにぎりを食べながら休憩していた。飲み物はあのblackout。でかい分副作用の倦怠感を感じるけれど、どうしても飲みたくなって買った。この飲み物はあの夏の休暇を思い出す。
そのとき一雨あったので、行くかどうか迷った。けれど、バームクーヘンを食べてエリーが喜ぶ顔が頭に浮かんだのと、今度こそ食べさせたいという半ば意地みたいなものがって、とくに何の対策もせず那覇に向かっていった。
持っていたのは漏れまくる雨衣とたくさんのビニール袋だけだった。
那覇に着くまで、かなりの山というか、丘というのかイライラするくらいの坂道が数多くあった。しかし行きは良い良いで、多少雨に降られても着替えたりしながら前に進んだ。
道中、立浪和義さんのドキュメンタリーを聴きながら走った。私は立浪和義さんのように洞察力が強くなりたいので、話とかを聞いてみている。その前に、選手として大好きだ。ミュージックフォルダを3周した。

那覇に着いた。
気がつくと、国際通りについており、駅の方に向かっているような感じだった。

甘いバターの香りがするのに、ふくぎやはなかなか見つからなかった。ナビ通りに探すと、たまにとんでもないところに辿りつくことがある。
ようやく見つけたものの、雨で身体が濡れすぎていて、接客してもらえない位のルックスだった。どこか人のいないところで着替えようと思った。駐車場に人目のつかない一角があったので、そこで着替えをした。
カバンからタオルを出した。
このタオルがまず第一に臭かった。目指していないところに進んでいるとはこういうことだと感じた。つまりこんなくさいタオルで身体を拭いているようでは丁寧とか効率とかシーマンシップに反していると言いたいのだ。

エリーに電話してみた。エリーは元気がなかったが、可愛い声だった。壮絶に疲れているに違いない。ジュニアもダダこねたり叫んだりしているのを聞くと早く帰りたい。と心底思ったのと、電話してて、今のままの自分では家族といてもまた前のように役に立たないまま休みが過ぎていきそうだと、恐怖を感じた。それよりも、この8日で自分がどうしたら変われるかの方が大事だ。
☆☆☆
僕はメモをする。メモをしたらそれを整理整頓し、ノートに残しておく。
先輩はそれを見てえらいというときと、メモばっかりしてお前の頭には何も入ってないというときがある。
そもそも、私の見解としてはなかなか頭に入れることができないからノートにまとめるんであって、最初から頭に入らないからこんな面倒なことをしているのである。メモやノートもなく見返しができないのでは元も子もないから、先輩がいうやり方ではダメなのだ。
☆☆☆
一度電話したが、あまり話せないまま、結局それから電話はできなかった。
滞在が1日しかないにしても、家族にもっとしてあげられることが本当はもっとある。
側から見れば、自分の行動はどこまでも無駄が多くて、頼り甲斐も信念もない。
☆☆☆
国際通りを後にして、ひとまず与勝に戻る事にした。もう雨が止む様子もない。

しばらく走ってみたけれど、さすがにあてもなく走るのはまずいと思って、ショッピングセンターに寄る事にした。
入ってみると、祝日でものすごい人だった。
自分はびしょ濡れで、歩くとその後に水たまりができるくらい水浸しだったのでそこにいるのも嫌になった。
たまに会うカップルたちがいい感じだった。中学生か高校生か、お金がないのか手を繋いでただ喋りながらうろうろしていた。悪ぶる感じもなく、爽やかな若者。彼らを清々しい気持ちで見られるのは、間違いなく僕の青春エリーのおかげだと思う。
とにかく行き先を決めて、先に進む事にした。行き先はイオン沖縄ライカムに決めた。
お腹がすいてきたけれどここでは人が多すぎて食べられない。

そこから地獄のような雨になってしまった。
雨に濡れすぎて、すこしiPhoneの調子もおかしくなってきた。

すこしすると、なんと自転車がパンクした。
前輪ばかり気にしていたら、段差でガクンとタイヤに空気がなくなったのが感じ取れた。
行いが悪いのか、そういう運命か。
どちらにしても、もうどうする事もできない。あと20キロ以上も、この役立たずになった自転車とともに帰らなければならない。正直絶望だった。


そんな時、大空のサムライという本に書いてあった場面を思い出した。著者は零戦のトップパイロットだ。

無数の敵機に囲まれ

観念

という言葉が頭に浮かんだ。と。
著者は、この本を書いたわけだから、この戦況を生き延びている。
もうダメかという場面のもう一踏ん張りと言ったら軽いが、要するにそういう事を、自分もやろうと思った。神様は僕に豪雨とパンクという敵機をお与えになったけれど、そのくらい乗り越えてみせるという気持ちを見せてやると燃えた。
日本海軍のパイロットは優秀だった。と思う。死を賞賛せず、勝つにはどうするかという事を考えた。

彼らは基本的に特攻のような作戦が非効率だと考えていたと、実際に日本海軍のパイロットだった老人に聞いた。
その老人から話をしてもらった時に、私たちに伝えてくれた処世訓があったが、90歳を超えていると思えないほど、現代でも通用するような内容ばかりだった。精神論は程々に、気持ちをどういう風に持ったら成功するか、失敗するかなど、聞いていて感動した。読んできた仕事術の本の内容に書いてある金言がこの人の経験に全て詰まっていると思った。

話が逸れたが、マンホールから水が吹き出るほどの豪雨の中、僕はパンクした自転車をこぎ続けた。


途中あまりにお腹が空いて、寒くて、カバンの中を漁ったら先輩がくれたポン菓子が出てきた。それをむさぼり食べて、自販機でチェリオを買った。
周りには誰もいない。雨は滝のように降って雷も鳴っていた。


腹ごしらえもそこそこに、再出発した。

本当に自分は何がしたいのだろう。

自分はこういう無計画で危うい自分を正すためにこの仕事についているのではないのか?

絶対必要でもないのに買わせていただいた自転車をこぎ、雨になるとわかっていながら那覇まで行って、お金を使いたくないからパンクしてもとにかくぐちゃぐちゃでも前に進む。予備タイヤも修理道具もない。着替えも、食事の準備もない。せっかくのバームクーヘンが入ったカバンもびちゃびちゃ。
戻って買い置きしてあるカップ麺とご飯を食べたかったけれど、あまりに遠すぎて気力が持ちそうになかった。

もうどうしてもステーキが食べたくなった。これなくして体力の回復はないと踏んだ。

こういうところもバカだと思う。

つべこべ言わないで早く帰らないと。とペダルを漕ぎ続けた。
☆☆☆
夜中の1時過ぎ、門を抜けると外人がコンバンハと、僕に挨拶して中に入れてくれた。やっと帰ってきた。



カバンを開けると、丁寧に隙間なく、ビニールのカバーで包まれたバームクーヘンの箱が出てきた。カバンはプールに投げたように濡れているが、バームクーヘンの箱は全く濡れていなかった。
ぼくがめざしているのはこういうところだ。

ベッドの宇宙

2015-07-01 20:53:35 | Weblog
ベッドの中。

電波がなくなるので、電波があるうちに見たい動画や文章なんかを見ておこうと思った。

立浪和義さん
プリンストン大学
中村順司さん
清原和博さん

と検索して、それらをみた。

立浪和義さんは憧れの選手。

プリンストン大学は卒業白書で知ったアメリカの名門大学。

中村順司さんはPLの監督だった方。

清原和博さんは説明不要。


立浪和義さんについては動画を見た。私は仕事で気配りが欠かせないので、立浪和義さんのような気が利くと有名な人、且つ仕事も一流の人のヒントのようなものを常に得たいと思っている。それでドキュメンタリーみたいなものがあればと思って、みたくなった。
動画は密着取材だった。振る舞いや練習の様子はみていてなぜか惚れ惚れしてしまう。多分自分の中で神格化しているのだけれど、実際にすごいことは間違いない。上司も立浪様と呼んでる。

プリンストン大学については文章を読んだ。アメリカの大学生は覚悟を決めて勉強しに来ている。それは素晴らしい。アイビーリーグの大学は全寮制で、学生は生活と勉強の境がないらしい。

中村順司さんについては動画をみた。PL学園の監督から引退されるときの特集で、アナウンサーに「PL学園とは?」という質問に対し、「校歌にあるように永遠(とわ)の学園だ」とお答えになった。グラウンドには先輩たちの汗と涙が染み込んでいる。と。そして後輩たちがそれで新しいものを作ってくれたら素晴らしいと仰った。動画の中で中村順司さんは甲子園開会式直後の試合を神様からの贈り物だと表現していた。PL学園だからではあるものの、堂々と神様という言葉を使ってくださるのはありがたく感じる。

清原和博さんはまず著書の男道を読んでから、若い頃のスイングをみようも思って動画を見た。ホームラン競争でホームランを何本も軽々と打つ姿は、なんというか本に書いてあるようにメラメラと、グラグラ煮えたぎっているものが心のうちにあるとは思えないほど爽やかに映っていた。ひょうきんで、若々しい。そして細く見える。

もう一度みたものをあげる

立浪和義さん
プリンストン大学
中村順司さん
清原和博さん

動画の中で気がついた別のこと

立浪和義さんの奥様と娘さんはとても美人。
私も結婚してるし妻は美人だとおもう。エリーは背がとても高く足が長いので、似合う服がたくさんあるけれど日本だからなのか175センチくらいの女性が着る服があまりない。
女性にとって洋服は自己表現の手段としてとても重要だ。それを用意できないというのも、私の力がないということだと悟った。この広い地球、探せば175センチの女性が着る可愛くてセンスが良くて清潔な服は山のようにあるはず。でもどうにかして探したりしないのは自分の怠惰といえる。金も無い。あまり稼ぎがなければ、エリーも買うことを遠慮する。
そういう思いをさせないで、家族に素敵な格好をさせている立浪和義さんはやはり尊敬する。白いベンツも輝いている。


寮というものは、特殊かもしれないけど、良くも悪くも世間が凝縮されているように思う。失敗から目を背ける暇が無いというのもあるし、練達していけば助け合ったりもする。助けないやつ大嫌い。とかいうのも良く無いよね。まだ集団生活2年目の新米だから核心ついたことは言え無い。

宗教アレルギーの国にうんざり。と言いつつも、必ず信仰心を持って神社に行くかというとそうでも無い自分。どちらかというと、毎日一生懸命行きますから神様ご先祖様見守っていてくださいというのが自分の信仰の基本のように感じる。
さておき、私の高校の部活動の顧問曰く、素晴らしい太鼓を打つ素晴らしい人になってほしい。と。

落合博満さんの動画も関連動画で出てきたのでみたけれど、バットの出方が美しくて惚れ惚れした。そして構えがまたいい。力んで無いのにいきなり球が来たらスイッチが入るように見える。ピッチャーから球が放られると落合博満さんの身体にウワッと電圧がかかり狙いを定めたら、点対点のポイントに向かって全く無駄の無いスイングをしたらホームラン。みたいな。


今回は主に野球のものばかり見た。父の言葉、失敗はそのことでしか取り返せない。というのを実感している私は、近頃はコツコツと野球の身体づくりをして体力錬成をしている。基本的なこと、守備、打撃、走塁などは、もう一度鍛え直してうまくなりたい。
それと何と言っても野球道即人道。やってみ無いとわから無い。たかが野球されど野球、まぁシーマン道即人道でもあると思うので頑張ります。
バスケットをやる人は、エリーも自分の同期もバスケットはいい良いというので、できればバスケットもやりたい。

お疲れ様でした。

Pictures

2015-05-14 20:53:12 | Weblog
近ごろiPhoneの容量が足りなくて動作が遅かったり、ムービーが撮れなかったりするので、滅多にしないのだけれど写真を幾つか消した。自分が写ってるものは容赦なく消し、お嫁さんによく指摘される同じような写真やブレてるものを幾つか消した。

子供の写真はブレてても消さない。
可愛いしこの瞬間が大事な気がする。メモリーは喰っても場所はとらないし。

今は5月で、去年の今頃は林の訓練所に休暇が終わって再び缶詰になっていたところだった。
エリーと離れ離れでくらして、自分は体力と精神力を極限まで鍛え上げようと心に決めて、努力した。
結果、肉体も精神もまだまだ伸びしろがあるように感じる。つまりまだ燃え尽きるという状態には程遠い。持久走大会では走り終わって、めっちゃ疲れて視界が普通と少し違う、ぼんやりしてる状態にはなったものの、僕の親父から聞いた白目むきながら走ったとか、走って嘔吐したということはなかった。
実際配属後、9月からは徐々に身体は大きくなり、精神力の錬磨もまだまだこれからという感じがする。
夏の訓練が終わって休暇で帰れた時は嬉しかったなぁ。
休暇で帰る前の晩くらいに、みんなで特別に許可をもらって自由時間を伸ばしてもらった。自分はイヤホンを携帯につけて、久石譲のシネマノスタルジアを聞きながら娯楽室でエリーにメールしていた。携帯を触ることが制限されていただけあって、開放感と軽い背徳感のような感じを味わった。おそらくこの感覚は、これはコレで二度と味わえないような特別な感じがした。これが贅沢というものだと言う気もした。パチンコ、マージャン競馬ダーツなど、これらを楽しいという人がいるけど、自分という人間からしたら全然面白くない。言うなれば、自分は上記のそれが楽しかった。
帰ったらエリーのお腹は大きくなって、もう産まれていいよーと話しかけたりした。お腹も動いていた。グヨグヨ。
食べると早く生まれるという都市伝説のある肉を食べようと、わざわざ北千住まで行ってラムを食べた。そこの店主によると、近所の中目黒の方がラム屋がたくさんあるとのこと。でも美味しかった。らむすけさん。最高ですよらむすけさん。美味しい。
帰りに駅前のコクミンでカツジンを10本買って、エリーと一本づつ飲んで、日比谷線で駅近のパン屋で買ったクイニーアマン食べながら中目黒まで帰って、中目黒からはドンキまで歩いて行って、さらにそこから小山の自宅まで臨月のエリーと2人、いやお腹の中のJrちゃんと3人で歩いて帰った。
その日は少しだけ疲れたけれど、本当に楽しかった。幸せ。
さっきも言ったが、これが自分の楽しいことなんです。

あぁ、いつもエリーは苦しんでるけど。僕はいま本当に楽しい。1年前の自分が嘘みたいにたのしい。エリーはその逆かもしれない。Jrちゃんはかわいいけれど、つわりのない、好きな仲間と働いていた時が楽しかったかもしれない。
僕は前の職場は正直お手上げだった。いまの職場はとても自分には合っている。

家族の幸せと自分の幸せがイコールになるように、自分の職業を選び直さなければいけない。エリーは、自分が前の職場にいた方が幸せだったと思う。けれど、子供が生まれたいまなにも変わらない自分の様子を見る限り、もし前の会社にいて子供が生まれたからといって、仕事ぶりがかわるとはおもえない。多分そこで役立たずのクズだったかもしれないと思うと、あまり家でいい顔ができなかったように思う。もししていたとしてもそれは表面上の偽りで、家族がどんどん悪い方向に向かっていってしまったかもしれない。逆を言えばいまのエリーはなかなか仕事で家にいない私に不満を持ち、私には良い顔をしていてくれているのかもしれない。と思うととてもじゃないがいまの状態がベストとは言えない。私もいまの仕事はマッチしていて幸せだが、ここが終着点にしてはいけないと真心で思っている。自分が決めた30歳という区切りに、必要な能力と発信力、縁を持って必ず次の目標を達成するという覚悟でいる。あと4年で30歳。
あっという間に来てしまいそう。だから振り向かず真心で、自分の行いに嘘をつかず、文武両道と真道をさだめて錬磨していく。

自分が負けないもの

2015-04-09 01:07:59 | Weblog
エリーを愛する気持ちではないかと思う。

3つの理由を挙げたいと思う。
1つ目に、まずそれが私の生きる理由だから。何度か話したけれど、私は野球を辞めてからハッキリした夢を失っていた。しかしエリーを好きになってから、また夢を見るようになった。現実的で、前よりもっと素晴らしい夢。彼女とずっと生きていきたいと思った。この夢を与えてくれた女性にこれから恩返ししていく。ただ好きになって一緒になったというだけじゃなく、自分の人生の方向を正してくれたのだから、自分の命が続く限りたくさん愛を注ぐ。何かの歌にあったけれど、たとえ死が2人を分かつ時が来ても、愛し続けたいと思う。それで彼女が、幸せなら。
2つ目に、私にはエネルギーを注ぐ趣味やつき合いが少なく、たくさんのエネルギーや愛や時間を彼女に注ぐことができるから。これに関していうと、愛は無限であるから、別に多趣味であっても妻への愛を少なくしなければならないということも無いだろうが、私の場合、仕事や趣味、自己研鑽などもすべて彼女に還元するためだと考えている。酒もタバコもギャンブルもやらないなんて、そんなのはつまらない男の典型だというものもいるかもしれない。それは確かにその通り、私はつまらないかもしれない。しかし私はそういった趣味を持つ楽しい男が世の女性を本当に幸せにしたのを見たことが無いし、聞いたことも本で読んだこともない。それよりも、愛する人のことを思い、コツコツ稼ぎ、思うだけでなく行動している男性が愛する人を幸せにしていると私は思う。
3つ目に、私はラッキーなことにあることを知っている。それは目には見え無いことだけれど原則や真理ということに近いかもしれない。それは先ず感謝するということ、もう一つは光と影があるように、努力も表と裏があるということ。ただうまくなりたいことをやるだけでなく、献身する。人としてよく生きるということがいい人生につながる。私はまだまだということは最初に断っておくが、ここに価値を置くか置かないかが私とその他周りにいたエリーの将来の夫となりえた人物たちとの最大の違いじゃないかと思う。

私はむかし、エリーを幸せにするのは絶対に自分だと考えていた。自分は真面目に働いて、家事も手伝う。そういう気持ちでいた。しかし、それはただ周りの人物の将来の様子を甘く見て、偏見していただけかもしれない。
今時、家事を手伝わない夫の方が珍しい。私はまだ、エリーの気遣いを貰いながらおままごと程度にしか家事を手伝っていない。言われる前にやる、相手の期待を超える。これらは仕事の基本だけれど、おそらく仕事が本当にできる人は家でも相当家事をすることができると思う。私は仕事で必死で、余裕なし。全然だめだ。これから何十年か経った後でも、私と結婚して良かったと言われるためにも、彼女を助け、他の誰にも負けない悔いない生き方をしていきたい。

ぼくの青春

2015-02-05 21:39:05 | Weblog
先日休みをいただいたので、家族3人である町まで行くことにした。

あるケーキを買いに行くことが目的だった。

一見東京というところはなんでもありそうな気がするけれども、やはり地方にしかないものもある。当たり前のことだけれども。インターネットショッピングも東京に似ていて、なんでも買えるような錯覚に陥るけれど買えないものももちろんある。

そのケーキ屋さんも然り、理由があって東京やその他横浜や福岡、大阪仙台などにはない。
理由は、店主がかつて少年時代をそこで過ごし、その土地に彼が生み出した商品との縁を築いているからである。
むかしは今とだいぶ町の様子が違ったみたいだが、それでも少し外れにいくと「あぁ、ここは虫取りができそうだなぁ、他にもたくさん遊ぶ自然があるなぁ」と感じることができた。

ケーキの味は、究極のスタンダードだった。

ものすごくもちもち!でもなく、クリームが超とろーり!でもない。

生地、ふわふわ。一切パサパサしてない。クリーム、クセがなくよく馴染む味でおいしい。栗、甘過ぎる変な味でなく、栗本来の美味しさ。

このケーキはそのバランスが最高に良いのだと思う。ふっくらと炊き上がったご飯のような、水や空気のように必要不可欠になるような味を目指したらしいのだが、人のわざでこのような味を表現をするのはかなり難しいと思う。

人というのは、他人と違ったことをするのに喜びを感じるものだと感じる。近頃は特に、同世代の様子をSNSで見たりするとよく思う。
しかし私は、普通というか、スタンダードに近づく事のほうがことさら難しく、さらに需要が高いと思う。

何を隠そう、私自身他の人と同じ生き方が究極に嫌な性分。誰でもできるよ!ということには消極的に生きてきたら、いざ食べていくとなったとき何もできなくなっていた。

人は誰も二酸化炭素だらけの星に住めないように、原則に沿った生き方や心を持った人が最も必要とされる、いわばエリートだ。それ以外は、タバスコのように少しは手に取っても、メーンにはなりえない。
エリートに少し触れたけど、エリートは優秀という意味ではない。らしい。必要とされるという意味だそうだ。

私が今目指すのは、このケーキのような存在だと考えている。
おいしいご飯のように飽きない、でもご飯ではなくケーキであって、素敵で唯一無二の存在である。
誰からも必要とされ、クセがなく思いやりがあって能力も高い。工夫はあっても変じゃない。バランスがいいというのが特徴。という感じになりたい。


いきなりレンタカーで何百キロも離れたケーキ屋にいきたいなんて、こんなワガママに付き合ってくれたエリーとJrには本当に感謝。
このケーキ、パティシエの著書は崩壊していた私の精神をサルベージしてくれたものの一つで、これ無しに今の自分は語れない。
今度は平日、もっとゆっくりと見て回りたいね。

あゝ自転車~横須賀山坂だらけ物語~

2015-01-18 13:16:47 | Weblog
こんにちは

10月から自転車通勤しています。

だいたい10キロくらいを約30分で漕ぐのですが、自転車をかえたらもっと早くつくんじゃないかと思って散々使い古したスポーティな子供用自転車を修理してます。

私が最も好きな自転車は、蕎麦屋さんやおまわりさんが乗っているような実用車なのですがなかなか高く、5万円くらい。クロスバイクが買えるほどの値段です。多分ですが、クロスバイクの方が早くて快適でかっこいいとおもいますが、私はそのかっこいいのがあんまり美意識と合わないのです。

しかしながら、私の師匠エリーは、そんな蕎麦屋のチャリみたいなの普通の人が乗ってたら変というので、多分そうなんだとおもいます。

エリーに嫌われるのもイヤなので、金かけないで快適なチャリを復活させることに奮起。
一生懸命、その子供用自転車を直してるわけですが、これは一種の訓練です。

もう直らなくても直っても、どちらでもチャリ通はできます。自分のめんどくさがりを楽しみながら矯正しているようなものです。

なんとなくでどうにかならない

2015-01-10 04:06:48 | Weblog
日記と云うわけではないけど誰かが読んでくれると思うので書く。

僕は将来翻訳家として食べていきたいと、中学生の時から考えている。

思い立った理由は、在宅で働けるからというものだった。

今はというと、やっぱり同じかもしれない。家にいながら働きたい。大変なのは目に見えてるけど。。
だからといって私自身帰国子女でもないから、何かしら自分の売りじゃないけど得意分野がないととと思って今の仕事をしている。ネットでも調べられないこの仕事ならば、何かあるかもね。飯の種が。と。

ところで、経験は宝だなあと思う。

いきなりどうしたと思うかもしれないけど、僕は会社員時代失敗のみ蓄えた気がする。入社3ヶ月目くらいから、よし自分は次の仕事のためにやばいくらい失敗しておこうと、腹を据えた。それはそれでいけないけど、どうしたらダメなのかというアンテナがはれるようになった。
といってもたいした感度はないけども、育てていける芽くらいにはなっている。

時々、自分は船乗りになったんだから前のことなんか忘れて邁進すれば良いんだと思うこともあるけれど、そうやってことを進めて行くとまた振り出しに戻ってしまう。不思議なもので、点と点は線でつながり、やがて面になる。

やはり前に経験した苦い思い出が、今の自分のアンテナとなり、稚拙ではあるけれど目配り気配りをさせてくれる源となっている。

こんな偉そうに書いて、エリーは全然ボヤボヤとしている僕にツッコミを入れたくなると思う。はい、おうちでもきちんとします。

僕の目標のひとつに、ぼんやりとしてはいるけど丁寧な人間になりたいと云うのがある。
尊敬するパティシエの方がそういう本を書いていて、それが僕のバイブルになっている。
その本には初めが肝心と云う旨がすこしだけ書かれているけれど、そこでパッと思いついたのが

なんとなく

みたいな言葉が大流行りしていた時代のこと。
私が思うに50~60代くらいの人たちは、若い頃そんなに楽観的でない時代を生き、脂の乗った頃に良い時代が来たと思う。それはいいと思う。
しかしそれより若い世代と云うのは、若い頃は、なんとなく、でも大丈夫な時代を生きて、脂の乗るはずの頃にボロカスな時代を迎えて踏ん張ってるわけだけど、アリとキリギリスにあるように蓄えなしで踏ん張りがきくとは思えない。

自分たちは、自分の尻に火をつけてでも備えなければ、本当に将来カスのカスッカスになると思う。
体力ない、根性ない、学ない、情もない、なにもない人になってしまう。
あり過ぎても働かなくなる傾向にあるからバランスが大切だ。

そんな僕は結構カスッカスなんだけど、そのまま年をとるなんで僕の美意識が許さないから、自己研鑽していく。

こんな、僕の美意識と云うのは恐ろしくて、自分は美意識に基づいて判断を繰り返して来ているんだなと最近思う。
自分がかっこ悪いと思ったことはやらない。いややるんだけどイヤイヤ。そこに楽しみなどを見つけることもしない頑固っぷりは、本当に社会不適合かなぁと感じる。

自分はこの、美意識、じゃないけど、当たり前の感覚というか、デフォルトを高いレベルにして、それとの違いを違和感や美意識にそぐわないといった感性で是正して、自分をきちんとした丁寧な人間にしていくつもりだ。

そのためには感性は豊かでなければいけない。人と真心でつながり、多くの良書を読まなければならない。
実際に世の中はなかなか思い通りにはいかないけれど、最近気づいたことに思い通りと云う理想が曖昧だから叶わないと云うのもあるんじゃないかと思う。

しっかりと時間をかけてイメージするか、たくさんの人と出会って別れて、自分の目標や理想を具体的に築いていかなくてはならないようにも思う。

とにかく自分はまだまだ何もない。

常に謙虚に、かつそろそろ実力を伴わないといけない歳に近づいて来たので、たくさん学びたくさん遊んで、魂を磨いていこう。まぁあせってもしょうがない。きらくにいこうぜ。

不徳

2014-12-27 23:23:57 | Weblog
こんな大事なときに体調不良。

まさに徳がないとはこのこと。

世の中人の思う通りに行くことと行かないことあるが、それは一方の念が強いかどうかということにかかっていると最近思う。

誰かにこんな風になれと、思われているくらいいけすかない態度で過ごしていたのかもしれない。

謙虚でありもっとおもったことを実行する人にならないとたまにこういうことが起こる。

みんなごめんなさい。