goo blog サービス終了のお知らせ 

真心的面孔

日々の生活を日記や写真でわかりやすく語る。

平和な国

2016-07-18 18:36:38 | Weblog
新幹線から外を眺めると、駅からそれほど遠くないところに薬学部のある大学が見えた。大学の名前はわからない。薬学部に行くということは、その学生さんは殆どの場合薬剤師になるということを決めているのだ。具体的だ。

自分の感じたことしかわからないし、自分の感じたことが皆も感じているとは思わないけれど、社会人となって会社に勤め、自分のしていることがわからないほど追い詰められてしまったとき、きちんと対処をしてその試練を乗り越えるか否かは何によって決まるのだろうか。

なぜこんなことを考えたのかというと、6年勉強してブラックな会社に入ったら、嫌にならないのかなぁと疑問に思ったから。まぁいやになるに決まってます。
しかし、中には多少のことは乗り越えて、つまりお金がもらえるうちは乗り越えてしまう強者もいる。違いはなんだろう?

過去の自分なりの答えは、それまでの経験がよいものだったかどうか、自分を納得させられるだけのものだったかということだと思った。

それは、自分がどう感じていたかというよりかは世間でどう評価されるかというものに左右されるように感じていた。

今になって思うとそれは違うみたいだ。

私は家族の支えのおかげで自分自身に納得のいく仕事に就かせていただいた。けれども実力も中身も外見も何も変わっていない。家族には迷惑をかけている。
この仕事、やってみて思ったけれど思った以上に合っているのは奇跡なんだけど、世間の評価というものが関係ないんだなというのが前よりもわかった気がする。
というのも、いまや絶対ということは殆どない。どんな仕事でもこれは絶対良いと言われるようなことはない。だから、自分が、なぜこうしたいというものをカチッカチッと組み立てて仕事をしていることが絶対なのだ。
人に言われたからとか、仕方なくとかいうことでやったことは多分、どんなに辛く、厳しいものでも自主的なことに比べると次につながる効果は小さい。
逆にそんなに厳しくもなく辛くないことでも自分で工夫して、こうなりたい、ああしたいと組み立てて作り上げたもの、ことがある人は強い。

周りの景色に山が多くなってきた。

戦争をしていた頃は、私の通う学校も自習を3時間も毎日していたらしい。そら、偉くなるわなぁ。

妻、子

2016-06-19 19:32:17 | Weblog
あっという間の週末が終わった。

新幹線に乗ると、メールが家族と繋がる大事なツール。
携帯電話はすごく大事だ。


Jrちゃんがお昼寝から目覚めて、いなくなった私の姿を探していた旨のメールをよんで

瞼を閉じた。

目が痛いくらい涙が瞼の中にパンパンになって、じわりと溢れてきた。

気にくわないとき、あーっと大声で叫ぶJrちゃん。
また、思い通りにいかなくて、疲れて床や地面に寝そべり、そこを寝かしつけるようにトントンする。Jrちゃん。

他にもいろーんな大変なことが毎日毎日あるだろう。
私はそれを、エリーに耐えなさいとか、ぐっと飲み込みなさいとかは言わない。そうして欲しいとも思わない。
大事なのはお互いが愛を持って接して、理解し合うよう努めることですから。


その場に一緒にいられないのが悔しくてたまらない。
一緒にいたからといって全然役に立てないけれど、何かアクションすることはできる。

自分で選んだ道だから、辛いことはない。
いくら走らされても、いずれは終わるし、トレーニングしても、身になることは火を見るよりも明らか。実務面でも、仕事の基本はどこも変わらない。

そもそも仕事内容自体が辛いと思ったことは、今も、そして前職を考えてみてもない。ただ辛いのは、このまま自分が何も変われずに、歳をとっていくこと。そして愛する人との時間が奪われることだけだった。


目標は、在宅ワーカー。
元々は人に会いたくなかったから。でも、今は人と関わらないで仕事することの難しさをとても感じる。1人で責任を負うことの大変さは計り知れない。コミュニケーションの大事さも痛感してる。

今はとにかく、とにかく家族とどうしたら一緒で居られるのか。そういう仕事ないか。考える。
将来食べていくのに困らず、キチンと稼げて自分の至誠に背かない職業。


20代、エリーのおかげですごく頭の中が整理整頓された。
もうあとは、自分は自分を鍛えつつ、家族のために結果をボンボン出していくだけだ。

甘えてると思う。でも、僕は2人と一緒にいたい。究極にいたい。

島から本州また島へ

2016-06-05 18:00:58 | Weblog
高松に遊びに行ってきた。
金曜の夕方から日曜のおやつの時間くらいまで、親のもとでゆっくりした。

やっぱり帰りはさびしい。

帰りの電車で、真っ赤っかのマツダスタジアムが目に入る。明日から仕事のおじさんおねえちゃん、一生懸命応援する。

明日も誰かの怒号が響く。それに真心でこたえ、ぶつかる。わたくしの、おはようございますと言う大きな声で、皆の帽子が吹き飛ぶくらいに元気いっぱい覇気を見せつける。活発な動作する。

よく勉強する。みんなのことを想う。悲しいとか、さびしいとか、そういう弱い気持ちを捨てて、自分の弱さに立ち向かう。

日本よどうか平和であれ。愛するエリーとJrに、幸福あれ。私が頑張るので、神様ご先祖様、2人を守ってください。

私の真心のジューシュ

2016-05-28 01:04:00 | Weblog
こんばんは。

久しぶりに家族に会うべく、夜行バスに飛び乗りました。私は今、単身赴任で中国地方に来ています。現在高速道路を走行中。明日の朝に横浜に着く予定です。さてこのバスなのですが、夜行バスの中では最高クラスのものらしく、設備が大変整っています。

しかし寝心地はそんなに良くない。

桜色の発光ダイオードの読書灯、いい匂いの空間、ムアツふとん素材のシート、プライバシーの程々に保たれた空間。きれいなトイレと、化粧室は別で用意されている。

人はこれでは、本当に癒されるわけではないらしい。運転士、乗務員の言葉遣いも丁寧である。


本当に人が求めることとはなんだろう。

黄金律とは?ひとりひとり違うのが本当じゃないか?

ものがたくさんあることが幸せではない。
必要なものが必要なだけあるのが幸せだ。

捨てて勝つ。

今月から幾度となく心で呟いている言葉である。何を捨てるのか?
恥を捨てる。
甘えを捨てる。
自己中心的な欲を捨てる。
執着を捨てる。
不要なものを捨てる。

私が捨てるものはたくさんある。
しかしそれは、私が本当に必要な物事を得るためにやる。
家族との時間、というよりむしろ愛し合い、向上し合った事実。
自分が本当に人の役に立ち、かつ自分が腹の底から本気で立ち向える仕事をする。



夕闇に包まれていく景色が切ない。

考える時間が充分ないのが悔しい。




だから僕は朝落ち葉を掃いて、草むしりをし、トイレを磨く。

洋服にアイロンをかけ、靴を磨く。

思いが思考に
思考が言葉に
言葉が行動に
行動が習慣に
習慣が性格に
性格が人生に変わるんだから。

家のこと何もやっとらんかった。

愛する家族へ

2016-05-08 10:56:55 | Weblog
なんだか死ぬみたいなタイトル。

2人とも、暇なんてないとは思いますが、見ていますか?

新幹線に揺られて1時間半くらい。今どこなのかわからないけれどとにかく見渡す限り田んぼだらけ。


広島に着くまでに寝ておこうと思ったけどなかなか眠れないのでこれを書くことにしました。

今はまだ、あっという間のお別れのせいか、悲しみが襲ってくることはありません。


海の上でも、あまり投稿はできなかったけどこうして眠れない時はこれを書いていました。
まだあのときは、書けば書くほどに自分への恨みのようなことを延々と書いてしまって、書いては消して。という感じでした。

この仕事に就いて2年。3年目が始まった矢先にこの転勤。
正直今の気持ちは、いいと言えるもんじゃありません。

周りからは最高の時期だと言われたり、よかったねとか。お世話になりましたとか色々言ってもらっても、家族がいるからよくないよ!と頭では思います。

今はただ、家族のそばにいたいという気持ちが強いです。

あ、京都らしいです今。


話が逸れました。

そう。家族といたい。
まだまだJrちゃんは手がかかります。
自分の身体に不満なエリーの手助けもしたい。
ほかにもいろいろ、自分がしなければいけないことがいっぱい。とか言いつつ、眠たいときは寝て、迷惑をかけてしまっていますが。

正直なところ、自分への恨みはもうほとんど消えました。
自分が自分を納得させられるほど頑張ったかといえばそうでもないのですが、そんなことよりももっと大事なことにようやく気付いた気がするのです。

自分はまだまだ発展途上。当たり前ですけど。

困っている人をみたら、その人がとっても困ってしまうちょっと前に助けてあげる。

毎日身の回りでいろいろな仕事をしてくれる人に感謝して過ごす。

おこらない、ぐずぐずしない。

などなど。
本当ならもう出来てなければいけないことが全然出来ていない。

昔は誰かが、何かが自分を変えてくれると本気で信じていました。
しかし、自分以外に自分を変える、自分を形成するものはないと今確信しています。自分ほど幸せな場合は、だけど。

この組織にくる前の自分は、本当にクズ中のクズで、仕事に関しては本当になにも貢献できなかったといえます。ただ真面目なふりして心の中ではものすごく不満を言っていました。
真面目なフリをすると、本当に真面目になれなくなってくるんです。不思議ですね。

こんなのではいかんと、誰にも相談することなく、かなり熱い温度まで自分の中で思いが煮えて、再就職の決意をしました。

当時は、何かで死んでしまったりしたほうがいいんじゃないかと本気で思っていました。ただ、エリーのことを考えるとそれは良くないなと思って、生きながら地獄を味わえる場所に行くべきかなぁと考えました。

26年くらいは本当に、身を切れば思いが溢れるくらいに精神が仕上がっていましたが、それは本気でありながらも弱々しいものだったように感じます。

Jrちゃんが生まれて、こんなにも愛おしいかと思いました。本当に、家族の為なら命をかける。世の夫、父親なら皆そうだと思いますがいざという時、自分が家族を守るとき、少しでもよく守れるよう自分を鍛えたいと思うようになりました。

そのためには、自主性があって、気配り目配りができること、得意なことがずば抜けていること、数字に強いことなんかが大事だと気づきました。

この、家族を守ること、今から自分が学びに行くことが線でつながっていると信じて、年末まで頑張ってきます。

全然眠くならない。
今神戸。

東急横浜駅

2016-03-20 12:53:08 | Weblog
横浜駅、東横線ホームにいる。
私は2年間、大学に通うためこの場所を週5日くらい通っていた。

壁面の広告には、びっくりなことに立教大の広告が出ている。東横線が埼玉まで伸びたから、横浜から通う立教大の学生は東横線を利用するのだろう。

あの2年間は幸福といえば幸福だった。しかし、もっと社会に出るための勉強、つまり実際にどんな仕事があるのか、どんなことが向いてるのか、実際にやってみる、お金を使う。などなど身をもって学ぶ気持ちが必要だった。そして実行力や計画力もあのときに練磨しなければならなかった。

正直この歳になると、全てにおいて鈍い。まずは感受性、そして反応と、若い頃に比べて凝り固まっている感がつよい。目も悪い。

それでも、不思議な職場のおかげでなんとか人間形成をしていこうというつよい気持ちが持てるし、実践のチャンスも多く持てる。

あの時があったから今があるとも思えるし、あの時の怠惰のせいで今苦労しているとも思う。
自分のは苦労と呼べないけれど、家族には苦労かけている。

習慣

2016-03-14 22:28:26 | Weblog
人間形成で、環境はとても大事だけど、習慣も同じくらい大切だと思う。環境が習慣を生むのかもしれない。しかし、習慣は自分次第で作れもするが、環境はそうはいかない。
つまりは習慣次第で人間良くも悪くもなると言える。

多分風邪引いた。

免疫力の7割は腸で作られるらしい。あとの3割は心、負けん気らしい。
最近たしかに心が健全で無い。何か失敗が起こるたび、誰かのせいにしようとしている。本当に情けないことで、こんなことでは理想の姿にいつまでたっても近づけない。

あしたの当直でしっかり治す。みんな頑張っているんだから。
人に腹立てるようなこといたしません。おやすみなさい。

懐かしい記憶

2016-03-12 16:52:39 | Weblog
品川駅にいる。

京急線の発車ベルはオリジナルと思われる曲で、一昨年の春まで利用したことのなかった自分にとって印象強いものだった。

今日レーシックの手術を受ける予定だったが、網膜の疾病が見つかって不履行となった。レーシックを受ける前に、網膜を治療し、医師に照明をもらわなければならなくなった。

疾病が見つかってよかったと言えばよかった。普段読めない同期から半年近く借りている小説も、約6時間もかかった検査の待ち時間を利用して半分くらいまで読み進めることができた。この本のカバーの傷や汚れ具合が、自分の雑さを物語っているようで、見ると考えてしまう。自分はいつになったらこのガサツな部分を直せるのかと。

周りを見ると紺の短ランと制帽をかぶった学生がちらほら。今日は土曜日の外出の日だ。

エリーとジュニアは元気でいるだろうか。
電車の中では、まだ1歳にならないくらいの赤ちゃんが綺麗な瞳で車窓から外を見つめている。よく見えているんだろうなぁ。

眼の手術など、不要と言えば不要。
不要な理由は現在暗闇で仕事することが多い、スマホなしの生活は考えられない、将来目標としている職業で主に使うものがパソコンで、また視力が逆戻りする可能性が高い。こんなものか。
しかし、めがねは嫌いだ。大嫌いだ。
まず見た目が悪い。自分は、子供の頃運動しかできない子供だった。それが理由にはならないが、めがねをかけた同級生を相当馬鹿にしていた。泣かせるまでなじるくらい馬鹿にしていた。今目が悪いのはそのバチかもしれない。
次にデリケート。実際前に使っていたのは壊れてしまった。だからと言って形のダサいどうでもいいものは使いたくない。
最後に、めがねだと、めがねがないとなにも見えない。私は仕事柄メガネをかけていられないことがある。その瞬間、なにもできなくなる。チーン、だ。
もう目が悪くなってしまったのは仕方ないとして、たしかに視力矯正ではメガネが1番楽だ。汚れても布で拭くだけでいいし、コンタクトと違い洗浄液はいらない。
だが、第一印象が大事というように、元気が評価の基準にさえなるこの組織で、めがねは大抵あだ名は、メガネ。だ。だから嫌だった。総じて面倒なのと、全能発揮できていない感があるのだ。

いやしかし、やりたい放題やらせてもらいすぎている感じもする。
25歳で転職し、5ヶ月間家に帰れず、翌年は丸一月いないこともある。しかも、今年また7ヶ月もいなくなる。
その上眼の手術したい、車欲しい、旅行行きたい。エリーは本当に辛抱強く添い遂げてくれている。
私は女性が夫に添い遂げるというのはかなり尊いことだと心の底から思う。理由は自分の我とは別の目的や信念、命と生きねばならないのにそれにしっかりと受け止めて日々をおくっているからである。
これは私が目指している「芸術生活」と言えると思う。己を虚しくして人を尊ぶことが真の自由への道である。という信念だ。

やることやってもいないのに、自由に生きさせてくれるほど甘い世の中じゃないというのは、サラリーマン時代にビシバシと、立ち直れないくらい叩き込まれた。そして、立ち直れなくなった。だから更生の意味も込めて今の仕事についた。
私はここでサラリーマン時代に教えていただいた心癖や反省を絶対に生かすと心に決めて、入ってきた。それは今のところうまく行っている。しかし、相も変わらずダメなところは今日のような形で現れたりもする。網膜の疾病は、何かの心癖をあらわしている。お前の目は節穴だ。ってか。
まぁ科学的根拠はわかったから、これを機にもっと自分の長所を伸ばしながら短所を克服していかなければならない。

おかしいと思うかもしれないが、私は規律が厳しかったり、見た目がかっちりしていることが好きだ。
だから先ほど話した短ランの学生たちはかっこいいなぁと思う。
彼らの制服に埃がたくさんついていると、がっかりする。

彼ら学生は偉い。自分が辛いとわかっていながら、究極の環境を選んだ。

ちはやふる
が実写映画化している。

青春をかける。
文化部にかける青春はどんなものかも、考えたこともなかったが世の中には存在するし、多分どちらがいいとか悪いとか、無い。

自分の青春は、やはり和太鼓だ。半分は中学時代の野球だけれど、中高の6年間はできれば同じことをしたほうがよかった。

若い頃になにをしたかによって、大人になってからの物事の取り組み方が決まるように思う。

自分は野球が好きだったが、あっさり大嫌いになる程度だった。所詮は父のため。自分の意思が無いものは、努力がたりない。

一方その反省もあってか、もともと音楽が好きだったせいか和太鼓は誰にも負けないくらい練習する覚悟が最初からあった。
しかし、和太鼓に没頭できなかった。特に野球と比べてしまった。

思えば10代は失敗しかない。その原因は、自分の意思が無いことから始まったことばかりだ。
エリーにしろ、今の職場にしろ、自分で選んだことに対する失敗は無い。

メリークリスマス

2015-12-18 22:34:23 | Weblog
やあみんな。

メリークリスマス。

今年も無事クリスマスを迎えることができました。
僕はキリシタンでないのですが、学校はプロテスタントだったので縁もゆかりもないこともないです。

基督教の教えで、僕が知った中で一番感銘を受けたのは愛です。いうまでもありませんが愛が基督教では重要なこととなっていますね。
キリシタンの友人に教わったことには、赦すことが基督教において大事だそうです。

愛。

これは男女のことだけにあらず、もちろん家族、親戚、友人恩師。さらに職場の先輩後輩との関係に至るまで関わることと思います。
確かに感情というか細かく言えば全く違いますが、自分は愛というのは関心ということに近いものがあると思います。
例えば、間違ったことをしそうになっている先輩、後輩、同期に対応するかということ。
見過ごしたところで自分に直接被害は全くありません。しかし、自分の過去の経験から言って、その先輩なり後輩なりが犯そうとしている間違えがその後彼彼女にとってとても大きな信用を失いかねない時など、どう振る舞うかは自分の愛のよると思います。
この愛、お節介とでもいいましょうか。それは自分がどのくらい他人に愛情を注いでもらったかを意識していたか、また覚えているかということと関わっていると思います。それか自分はお世話になってないから他人にはやってあげたいという天性の持ち主のすることと思います。
僕は散々いろいろな人にお世話になっておきながらなかなか恩返しできていません。
それは社会人になってから、本当に心からよくないことだと思うようになりました。
それまではそこまでは思っていなかったというか、自分は親孝行もできている。むしろいい息子すぎて親から謝礼をもらってもいいくらいだと考えていました。とんでもないです。
そんなことを真面目に何年も考えていたものだから、頭がおかしくなったのは事実です。
今そのおかしくなった頭を、いろんなものを巻き込みつつ、正常に持っていくことに注力しています。
原因を考えると、自分だけではわかりません。みんなは周りに関心がないからとか思いやりがないからとか言いました。
今自分が考えている答えは、深く考える力が不足しているから。
だと思います。
そういう結果に至った経緯は、
例えば他人に無関心ならそれに注力すればいいわけですが、もちろんそれもあるのですが、そもそも献身しても詰めが甘い。人の助けになってなかったりすることがあります。
だからと言って自分は完璧にできているかというと、そうでもない。
そもそも自分の感性が磨かれていなければ、他人のしてほしいことなど理解しえないわけです。その人の考えが全くできないんだから、たとえ献身したところで上辺だけでは無意味です。

人の心臓が鼓動するように、目がまばたきをするように物事に感動するように生きていく。そうすれば人のことも、考えれば感じられるようになるのではと仮説を立てています。

もっと遊ぶ。

先日1人で過ごした日のこと

2015-10-18 03:58:58 | Weblog
この間、休みを1人で過ごした。エリーとジュニアが軽井沢に行っていたためだった。

前々からわかっていた休みだったので、一応予定も入れておいた。同期と飲む約束をしていた。

しかし当日の朝、メインのゲストから熱が出たと連絡があり、恩師も誘っていたのでその旨連絡すると、またにしようと中止の促しが来たので中止にした。面子もイマイチだったのでちょうどよかったかもしれないと思った。

さて、暇になった。
午前中はもともとフリーだったので、TOEICの模試を家でやることにしていた。しかし、朝起きていきなりだとどうせ頭も働かないしせっかくの模試が無駄になると謎の理論を組み立ててグダグダ寝て過ごした。
今日は何をしようかと思案していると、銀座に行って一杯だけ飲もうという案が浮かんだ。
自分は、かっこいい生き方というものは、世間が「かっこいい」と言っているその生きかたを真似て、学んでようやくそれなりの形になってくるものじゃないかと思う。それで自分の場合、伊集院静さんが高校の時から好きだったので、時よりこういった身分不相応なことを思いついたりする。
要するに猿まねだけど、15歳くらいから恋愛以外は自分の感性とはまた別のところにポイントをおいている。好きなように生きるのも辛い、周りの顔色を伺って生きるのも辛い。要は、バランスが大事ってこと。

何はともあれ、銀座で飲む。

こうと決まれば、模試にも力が入る。
模試、散髪、そして銀座だ。
寿司屋にしようか、ホテルのバーにしようか。いろいろ考える。
そうこうしているとお昼がやってきた。
別にそんなにお腹も空いていないので、食べなくてもいいやと思った。

ここでエリーの偉大さに気づいた。
エリーはジュニアに毎食食べさせるために食事を準備しているけれどこれがどれだけ大変なことか!
おそらく自分が母親だったらジュニアは栄養失調だとおもう。
そうさせないエリーはしっかりしているなぁと敬服の念を抱いた。

自分ひとりだと何も用意する気にならないし、買い物も億劫になる。

何も食べないで模試をやると、多分途中でお腹が空いてしまうと思い、ジュニアの1歳のお祝いに買った一升餅を食べることにした。

おもちのレシピを調べると、結構多かったのが餅グラタン。
美味しそうだけど、めんどくさいこと必至だったのでやめて揚げて食べることにした。

ジュワー

コンビニで売っているおかきの5倍くらいの大きさの、少し柔らかな揚げ餅が完成した。

これをつまみに飲みたいくらいだったけれど、これはおなかを膨らますだけのものになった。味は、熱々でさくさく、中はもっちり。塩だけかけて食べたけど最高だった。

リスニングCDをテレコにセットして、時計を用意して、いざ始め。

TOEICはリスニング45分、リーディング75分の120分。プライベートで2時間休日に設けるのは、この日くらいしかできない。

始めて早々、集中力が切れてきた。深呼吸したりしてなんとか45分間集中しなければいけないと思った。
しかし。
飲み会で予約していたお店のキャンセルをしていないことに途中で気づいて、すごく動揺した。あばば、どうしよどうしよー。

正確なスコアが出したいから途中でやめたくないし、どうしよう。
頭が真っ白になり問題もすっ飛んだ。
リスニングが終わってすぐ、リーディングの時間を少し使ってお店に電話し、無事キャンセルした。
次はリーディング。このリーディングがいつも終わらない。一度も最後まで問題を見た試しが無い。
一問あたり30秒で解いていくと見直しもできるが、なかなか焦ってしまって出来ない。
そのくらいの時間で進めなきゃと思いつつも、結局おわらず最後はテキトーにマークする次第。

模試が終わった。
結果は大学3年生のときと同じスコアだった。去年の秋からコツコツと勉強していたけど、これほどにできないということは勉強の効率が悪いということ。それを痛感したけれど、結果が見えて非常に有意義なことが出来たと思っている。課題発見。また能率あげて頑張る。

さて散髪して銀座か、と思ったけれど髪を切って一旦戻るかそのまま行くか迷った。

一回帰るのはもちろん面倒臭い。
けれど銀座にはある程度きちんときた服装で行きたいと思っていた。
しかし髪を切ると、チクチクがハンパなくなってしまうので襟付きの服は控えたい。
その考えからいくと、一度髪を切ったのち帰って着替えて、再度出かけるのがいいということになった。
散髪用の服装に着替えて、玄関に向かう。
財布を持ってないことに気がついて、引き返して財布の中身を見た。エリーが入れてくれた一万円があった。

出かける前にジュニアの髪を切ったことを思い出した。
せっかくバリカンがあるし、、いや、でも後処理とかすごく大変だしなぁ。自分で散髪するかどうかの葛藤が始まってしまった。
自分で散髪するのは難しい。しかもものすごく時間がかかる。裸でいる時間が長いので風邪引くかもしれない。後片付けが超めんどくさい。

これから銀座で飲むからお金がいるのに、散髪などして金を使ってはいけないという考えと、銀座に虎刈りで行って飲み屋のひとに足元見られないかなとか、いろいろ考えたが、まぁやってみるかと軽い気持ちで始めた。

裸になって、風呂場でバリカンを当てること2時間。

最終的には、マイルドなマリンカットのような髪型になった。

正直、まぁいいかなぁと思ったけれど、2時間かかったこともありかなりバイアスのかかった評価だとおもう。

時計はもう7時くらいを指していた。

髪の毛を集め、袋に入れて体を洗った。
チクチクが今日だけで無くなるように、泡をたくさん立てて洗った。

大抵、髪を切ったあと風呂に入ると少し印象が変わるものだけど、あまりかわらない。けったいな髪型だ。

なんだかんだと8時くらいになって、もう銀座に行くのはやめようと思った。

あれは何年前だったか。
私は休みで、エリーは夜8時くらいに帰るという予定の日だったとおもう。まだ別々に住んでいた頃だった。夜少し会えなくも無いけれど、多分時間的にあまり会えないからと、ひとりで有楽町の寿司屋に飲みに行ったことがあった。
私は伊集院静さんの大人の流儀か何かで、1軒目は寿司屋か焼き鳥屋というのを読んでここに来たのだった。
カウンターに座って、ビールを頼んで、何品か頼んだ。
週末だったのか忘れたけれど結構賑わっていた。途中でマグロの解体ショーみたいなのが始まって、元気な板前さんたちの盛り上がる声でガヤガヤした感じになってしまった。なんかイメージとは全然違うひとり飲みになってしまって、静かに会計を済ませて店を出た様な思い出がある。
やっぱりエリーに会っておけばよかった。と心底思った。

それはそれでいい経験だったのだけれど、銀座まで1時間と少し。明日昼から出勤といえどあまり夜遅くまでで歩いては良く無いから、もう家で飲むことにした。途端、頭には美味しそうな肉を焼くイメージと、甘い酒をゴクゴク飲んでゆったりする自分の姿がイメージ出来た。お金もあまりかからず、家飲み最高だ。

しかし、もう9時近いので、買い物もどうしようかなという気分だった。
リビンに行ってオカズ買おうか、でも雨だしなぁ。

もう家にあるものを食べることにした。
現在我が家の冷凍庫はほとんどパンパンに近いので、何か使ってもいいかもしれないと思った。昼間は餅を大量に使ったので、夏に買ったミョウガを使おうということになった。
その他、ねぎ、たまねぎ、少しあったしめじを使って、ニンニクと油で炊いてみることにした。油で炊くとは言わないのかもしれないけれど、煮るとも違う焼くとも違う。そんな感じ。
味つけは源たれ。
意外な名作オカズが完成した。

これとご飯を肴に、まずは日本酒を飲むことにした。

炊きてのご飯はやっぱり美味しい。
我が家は今いいお米を買っているので、最高に米が美味しい。実際安い米になれるとマズイとかそういうことを何も感じなくなるけれど、美味しいお米は一気に舌を肥えさせる。
美味しいお米は単においしいだけにあらず、穀物だけに霊力を回復する様な気がする。古来、日本では穀物には霊力が宿るとされていたらしい。何言ってんだ。とにかく、エリーに感謝する。

配膳して、いただきます。
日本酒を一口飲んでみると、これは!

酸化した味になってしまっている。
先日エリーのお母さんにこれを飲ませてしまったと思うと失敗したーと思った。


その日本酒を飲みながら、エリーのお母さんが次来る時までに日本酒買っておこうと思った。
先に紹介したおかずが、動物性たんぱく質ゼロにしてはまぐれでよくできたとか思いながら、よくお米を食べた。二合炊いたけれど全て食べた。
なるべくお腹いっぱいにしてから、お酒は飲もうと思った。
日本酒のあとはブランデー。久し振りにブランデーのような強いお酒を飲んだ。お酒は得意では無いけど、ウイスキーやブランデーならある程度飲んでも頭が痛くなったりしにくい。
独り言を呟きながら、眠たくなるまでリビングの電気、エリーが頑張ってつけたLEDだけつけて、テレビも朝から一度もつけないで、たまーにPodcast聴いて、過ごした。
よし今日は飲むと決めたけれど、飲んだのは小さなデュラレックスのグラス1杯だった。それで十分だった。

12時ごろ、銀座からゲンナリして帰ってくる自分よりは今こうして明日のことを考えて家にいる自分の方が自分らしい。
家にあるものは食べてしまったけれど、余計な交通費や飲食代もかからなかった。ついでに散髪代も。
5000円くらいはつもり貯金か、家族に何かできる。それが自分のやるべきことだ。

しかし最近は、自分ができることが、今回実際にやったことよりももっとできたんじゃ無いかと思うこともある。
昔は、足るを知る、の様な言葉をよく心で呟いていて、現状に満足しないことを悪いことの様に思っていた。
しかし足るを知るというのは、その現状に不服があるときに使うのであって、まだできる、こうしたらもっと良くなるという向上心があるときにまで使ってしまうと発展がなくなってしまう。それは良く無いことだ。
今回も、午前中に模試を済ませなかったことから始まり、昼にいろいろな料理に挑戦できたのに適当な揚げ餅を食べたこと。それからお店の予約のキャンセルをもっと早く行わなかったこと、端正を重んじる職場で自分で髪を切ったこと。しかも時間がかかると知りながら。挙げればきりがない。

私生活においても仕事においても、自分は見通しが甘いところがある。
分岐点で、ここをこうしたら、二つ先のことはどうなるか。
という予想が浅はかで大ハズレするか、考えることすらない時がしばしばある。これは正直、当たっていようが当たるまいが、根拠を据えて二つ先のことを予想し、結果をあっていようが間違っていようが書き留めておき、その因果関係を今後の第一勘に役立てなければいけない。その求め方も、感性が鈍いとうまくいかないことが多い。気づくことが少なすぎて、因果関係が正確に把握できないからだ。
感性を磨くには本を読むといいというけれど、たいして読んでもいなければ、基本的に自分は職場以外は家族としか会わない。というか会いたくない。そこが自分の人間性の幅の限界を定めているのかもしれないが、私は基本的に、1人の人間の引き出しは、個人の人間では引き出しきれないくらいにあると考えている。だからよく交際相手に飽きたとか、聞くけれどそれはまだ開けてない引き出しがたくさんあるからだと思う。実際には、自分の場合は相性が良く同じ引き出しで何度も喜んでいる節はあるけれど、それはそれでいいと思うし、事実エリーに飽きたと思ったことは一度も無い。
その、1人の人間の引き出しは無限だということに気づいたのが、有楽町の書店で行われた伊集院静さんのサイン会での会話だった。当時自分は高校生だったので、制服を着て行ったのだけれど、そのおかげか長蛇の列だっだが少しだけ長い時間お話ししていただけた。名前の漢字のはなしからはじまり、野球のはなし、進路の話、著書の話などした。最後に、そのとき購入したツキコの月という先生の著書に、サインとともに「人は品格である」という言葉をいただいて帰った。
会ったこともない人なのにここまで面白いというか、短く深い話をしてくれたこの人はすごい!と、高校生の自分は感動した。
まだエリーとお付き合いする前だったけれど、これは非常に大きな経験だった。

その人が、夜は仕事を片付けて銀座に飲みに出かけるというので、私もそう考えたわけだけれど、結局はまだ自分は経験も何もなく、感性も鈍いので、横須賀の街の飲み屋街にもいけず、家でゆるりとよくないっちゃ良くない過ごし方をした。別に銀座に行くからといってホステスさんのいる店に行くわけではなく、寿司屋か焼き鳥屋かバーに行こうと思ってたんだけどね。

そうこうしているうちに眠たくなってきた。これは良かった。自分はエリーと暮らし始めて以来、エリーがいない日は100パーセント徹夜だった。寝られないのだ。
しかし今はこうして眠りにつけそうだ。

大きなベッドに、1人で入った。
次ここで寝る時は3人だと思って目を閉じた。
ろうそくの火が消えるように眠った。
幸せを知るとよけいさびしいと思った。