ミズヒョロヒョロ (奈良県)
むかしか、ミズヒョロヒョロちゅう鳥がおってな。この鳥は、いつも頭にかんざしをさしたり、紅をつけたり、けしょうばかりしとんねって。
ほいで、親が病気になってねとっても、ちいとも親の世話をせなんだんや。
ある時にな、親が水をのみたがってな、子に、
「水をくんできてくれんか。」
て、たのんだんや。ほいで、子は水をくみに行ったんやけど、水に自分のすがたがうつっているのを見つけてな、長いこと川ばたで、自分のすがたに見とれとったんや。やっと、
「そやった。水くんで、はよ帰らな。」
て、思い出して、急いで親のねている所へ帰ったんや。けども、親の死にめに間に合わず、くんできた水をのませてやることができなんだと。
ほいで、親不孝な鳥やゆうてな、そのばつで、ミズヒョロヒョロは、今でも水がなかなかのめんのや。上で水の音がするさかい、上へ行けば、下で水の音がするし、下で水の音がするさかいに思うて、下に行けば、ほたら、上で水の音がするしな。
こっちへ行ったら、あっちで水の音がするし、あっちへ行ったら、こっちで水の音がしてな。ほいで、いくら飛んでも、どこへ飛んでもな、水のある所へは行けんのや。
雨が十日ふってもな、雨つぶ三つぶしか口に入らなんで、水をほしがって、
「ミズヒョロ、ミズヒョロ」
ゆうてな飛んどるのや。ほいで、いつでも、のどがやけてあこうなっとるのやと。
〈話者・大和末子、再話・恒岡宗司〉
注※ ミズヒョロヒョロ=アカショウビンのことで、火のようなまっかな鳥である。
【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編、日本標準発行】
水乞鳥の不孝 (埼玉県)
むかし、むかしのこと。
あるところに、お母さんとその子どもの男の子が、ふたりして暮らしておったと。
お母さんは子どもを、たいへんに可愛がっておりましたが、子どものほうはまるでお母さんのいうことなどは、聞きません。そのためにお母さんは、とうとう病気になってしまいました。そして、ある時のこと、
「咽がかわくんで、水をいっぱいおくれ。」
といいましたが、子どもは前の川まで、水をくみにいくのがめんどうなので、いろりのもえさしを、一ぽんぬいてやりました。
それを見て、お母さんは急に死んでしまいましたので、子どもはびっくりして、鳥に生まれかわってしまいました。そして、それからはお母さんの墓場の木の枝に、くちばしから尻までまっ赤な鳥が、いつまでも止まるようになりました。
鳥になった男の子は、咽がかわくので、谷川へおりて水を飲もうとしますと、じぶんの影が赤く水にうつって、これが火のもえているように見えるので、
「ウワーッ、これはおそろしい火だ。」
といって、どうしても水が飲めません。
そこで、雨がふると、木の葉にやどった露をすって、やっと咽をうるおし、空にむかっていつも、「降れ、降れ、降れ、降れ。」
と鳴いては、雨を呼んでいました。
だから、里の人たちも、この鳥がしきりに鳴きはじめると、
「これは近いうちに、雨が降るぞ。きょうは水乞鳥が、あんなに鳴くでなあ。」
といって、話しあっているんだってさ。
そして、この鳥のことを、「みやましょうびん」とも、いっているんだそうな。
※この発端は「時鳥の兄弟」「雀の孝行」につづくものや、「糠福米福」式のものに、つづくものもある。鳥獣への転生思想は、仏教思想に基づいたもので、この鳥の名も「水乞鳥」のほかに、「地獄鳥」「時鳥」「芋ほり鳥」などとも呼んでいる。
むかしか、ミズヒョロヒョロちゅう鳥がおってな。この鳥は、いつも頭にかんざしをさしたり、紅をつけたり、けしょうばかりしとんねって。
ほいで、親が病気になってねとっても、ちいとも親の世話をせなんだんや。
ある時にな、親が水をのみたがってな、子に、
「水をくんできてくれんか。」
て、たのんだんや。ほいで、子は水をくみに行ったんやけど、水に自分のすがたがうつっているのを見つけてな、長いこと川ばたで、自分のすがたに見とれとったんや。やっと、
「そやった。水くんで、はよ帰らな。」
て、思い出して、急いで親のねている所へ帰ったんや。けども、親の死にめに間に合わず、くんできた水をのませてやることができなんだと。
ほいで、親不孝な鳥やゆうてな、そのばつで、ミズヒョロヒョロは、今でも水がなかなかのめんのや。上で水の音がするさかい、上へ行けば、下で水の音がするし、下で水の音がするさかいに思うて、下に行けば、ほたら、上で水の音がするしな。
こっちへ行ったら、あっちで水の音がするし、あっちへ行ったら、こっちで水の音がしてな。ほいで、いくら飛んでも、どこへ飛んでもな、水のある所へは行けんのや。
雨が十日ふってもな、雨つぶ三つぶしか口に入らなんで、水をほしがって、
「ミズヒョロ、ミズヒョロ」
ゆうてな飛んどるのや。ほいで、いつでも、のどがやけてあこうなっとるのやと。
〈話者・大和末子、再話・恒岡宗司〉
注※ ミズヒョロヒョロ=アカショウビンのことで、火のようなまっかな鳥である。
【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編、日本標準発行】
水乞鳥の不孝 (埼玉県)
むかし、むかしのこと。
あるところに、お母さんとその子どもの男の子が、ふたりして暮らしておったと。
お母さんは子どもを、たいへんに可愛がっておりましたが、子どものほうはまるでお母さんのいうことなどは、聞きません。そのためにお母さんは、とうとう病気になってしまいました。そして、ある時のこと、
「咽がかわくんで、水をいっぱいおくれ。」
といいましたが、子どもは前の川まで、水をくみにいくのがめんどうなので、いろりのもえさしを、一ぽんぬいてやりました。
それを見て、お母さんは急に死んでしまいましたので、子どもはびっくりして、鳥に生まれかわってしまいました。そして、それからはお母さんの墓場の木の枝に、くちばしから尻までまっ赤な鳥が、いつまでも止まるようになりました。
鳥になった男の子は、咽がかわくので、谷川へおりて水を飲もうとしますと、じぶんの影が赤く水にうつって、これが火のもえているように見えるので、
「ウワーッ、これはおそろしい火だ。」
といって、どうしても水が飲めません。
そこで、雨がふると、木の葉にやどった露をすって、やっと咽をうるおし、空にむかっていつも、「降れ、降れ、降れ、降れ。」
と鳴いては、雨を呼んでいました。
だから、里の人たちも、この鳥がしきりに鳴きはじめると、
「これは近いうちに、雨が降るぞ。きょうは水乞鳥が、あんなに鳴くでなあ。」
といって、話しあっているんだってさ。
そして、この鳥のことを、「みやましょうびん」とも、いっているんだそうな。
※この発端は「時鳥の兄弟」「雀の孝行」につづくものや、「糠福米福」式のものに、つづくものもある。鳥獣への転生思想は、仏教思想に基づいたもので、この鳥の名も「水乞鳥」のほかに、「地獄鳥」「時鳥」「芋ほり鳥」などとも呼んでいる。
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