下呂温泉と白サギ (岐阜県)
益田郡の下呂温泉は、県内でいちばん知られている温泉です。全国各地から多ぜいの温泉客がおとずれています。
ここに温泉がみつかったのは、いまからおよそ千年もまえのことだといわれています。そのころは、湯ヶ峰(ゆがみね)という山の上で湯が出ていたそうです。この湯につかるとたいそう病気によいというので、近所の村からもきたといわれます。
ところがそれから三百年ほどすぎたある日、とつぜん湯がでなくなったといいます。
村びとは、なにかかわったことがおきるのではないかと不安でした。しかしなにごともおこりませんでしたが、それいらいバッタリと湯がでなくなってしまいました。こうしていつのまにか温泉のことなど人々の心からわすれられていきました。
そんなある日のことです。この村にすむひとりのお百姓さんが、子どもをつれて飛騨川の川ぎしをあるいていました。草花をつんだり、虫をとらえたりして子どもはたいそうたのしそうです。お百姓さんも子どもといっしょであかるい気持ちでした。すると、一羽の大きな白サギが川原へスーッとまいおりてきました。そして川原にできている水たまりの中へ入ってジーッとしてるのです。まっ白い羽根がとてもきれいでした。二人はそのようすにみとれていました。
ところがいつまでたっても同じ姿勢をしているのです。
「いったいどうしたのかな。」と思ってなおもみていました。
もうどのくらいすぎたのでしょうか、かなりの時間がたちました。二人はなおも近よっていきました。すると白さぎは片足をときどき上げては、みているようです。・・・・・・それからしばらくして白サギは、一声大きな声でなき、サッとまいあがり、その上で二、三回輪をえがきながら近くにある大きな杉の木の枝にとまりました。
「なぜ長い時間、同じかっこうをしていたのだろう。」
とふしぎでなりません。二人はその水たまりまでいって足を入れてみました。
「あ、湯だ。温泉がこんなところにわきでている。」
と大よろこび、白サギがここで足をひたしていたのは、足をけがしていたためなのです。すでに白サギは、ここに湯がでていることを知っていたわけですね。
お百姓さんは、「これは白さぎのおかげだ。」とおもって杉の木をみると、もうそこには白サギの姿はありませんでした。ところがその木の下をみてびっくり、一つの薬師如来(やくしにょらい・病気をなおす力のある仏様)の像が、あるではありませんか。にこやかな顔をしています。お百姓さんは、この仏様が白さぎに身をかえて、温泉のでるところをおしえてくれたにちがいないと思いました。
このことが村びとたちに広まり、人びとはりっぱな社をつくってまつりました。それいらい下呂の町は、温泉の町としていまのように発展(はってん)してきたということです。仏様が白サギに身をかえて、おしえてくれたということはたいへんふしぎなことですね。きっと病気の人を助けるためだったのでしょう。
(後藤時男著、大衆書房刊『わたしたちの岐阜県の伝説』より)
益田郡の下呂温泉は、県内でいちばん知られている温泉です。全国各地から多ぜいの温泉客がおとずれています。
ここに温泉がみつかったのは、いまからおよそ千年もまえのことだといわれています。そのころは、湯ヶ峰(ゆがみね)という山の上で湯が出ていたそうです。この湯につかるとたいそう病気によいというので、近所の村からもきたといわれます。
ところがそれから三百年ほどすぎたある日、とつぜん湯がでなくなったといいます。
村びとは、なにかかわったことがおきるのではないかと不安でした。しかしなにごともおこりませんでしたが、それいらいバッタリと湯がでなくなってしまいました。こうしていつのまにか温泉のことなど人々の心からわすれられていきました。
そんなある日のことです。この村にすむひとりのお百姓さんが、子どもをつれて飛騨川の川ぎしをあるいていました。草花をつんだり、虫をとらえたりして子どもはたいそうたのしそうです。お百姓さんも子どもといっしょであかるい気持ちでした。すると、一羽の大きな白サギが川原へスーッとまいおりてきました。そして川原にできている水たまりの中へ入ってジーッとしてるのです。まっ白い羽根がとてもきれいでした。二人はそのようすにみとれていました。
ところがいつまでたっても同じ姿勢をしているのです。
「いったいどうしたのかな。」と思ってなおもみていました。
もうどのくらいすぎたのでしょうか、かなりの時間がたちました。二人はなおも近よっていきました。すると白さぎは片足をときどき上げては、みているようです。・・・・・・それからしばらくして白サギは、一声大きな声でなき、サッとまいあがり、その上で二、三回輪をえがきながら近くにある大きな杉の木の枝にとまりました。
「なぜ長い時間、同じかっこうをしていたのだろう。」
とふしぎでなりません。二人はその水たまりまでいって足を入れてみました。
「あ、湯だ。温泉がこんなところにわきでている。」
と大よろこび、白サギがここで足をひたしていたのは、足をけがしていたためなのです。すでに白サギは、ここに湯がでていることを知っていたわけですね。
お百姓さんは、「これは白さぎのおかげだ。」とおもって杉の木をみると、もうそこには白サギの姿はありませんでした。ところがその木の下をみてびっくり、一つの薬師如来(やくしにょらい・病気をなおす力のある仏様)の像が、あるではありませんか。にこやかな顔をしています。お百姓さんは、この仏様が白さぎに身をかえて、温泉のでるところをおしえてくれたにちがいないと思いました。
このことが村びとたちに広まり、人びとはりっぱな社をつくってまつりました。それいらい下呂の町は、温泉の町としていまのように発展(はってん)してきたということです。仏様が白サギに身をかえて、おしえてくれたということはたいへんふしぎなことですね。きっと病気の人を助けるためだったのでしょう。
(後藤時男著、大衆書房刊『わたしたちの岐阜県の伝説』より)
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