ヒトへの進化。そしてヒトの限界と可能性。

私たちの体には38億年の歴史が詰まってます。偶然と必然が組み合わさり進化をしてきた我々の祖先の謎とは?

発見された大変動の痕跡(6)

2008年03月26日 | Weblog

北極海ホットスポット・トラック

現在の地球を見渡すと、こうしたホットスポットの移動の例としては、ハワイ諸島が有名だ。ハワイ諸島の連なりは、海洋底のプレート移動の伴い、ホットスポットが次々と火山島を作っていった結果なのだ。ハワイ諸島の場合にはプレートが東方向に移動している。そのため、、現在西側にあるハワイ島で、活発な火山活動が起きているわけである。こうしてできる島々の連なりは「ホットスポット・トラック」と呼ばれている。

さてアイスランドの火山活動が実際にシベリアから移動してきたホットスポットによる2億5000万年前の「残り火」であることをどう証明するのか。じつは、ハワイ諸島ほど明確ではないが、北極海にもそれに似た島々の連なりがあるのだ
(※上図参照)

ここで重要なのは、一つのホットスポットが、2億5000万年前という長い時間にわたって活動を続ける例が、他には知られてないことである。だからこれは未だに仮説とされているが、ホットスポット上の岩石の年代を調べていくことにより、この仮説が正しいかどうかはいずれ判明するであろう。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

発見された大変動の痕跡(5)

2008年03月25日 | Weblog


2億5000万年前の残り火

現在多くの研究者が、シベリアの巨大噴火による温暖化がPT境界における95%もの種の大量絶滅の「引き金」となったのではないかと考えている。南アフリカ・カルーで発見された超高温も、この噴火による温暖化と軌を一にするとみる説が有力だ。

さらに中国の奇妙な二枚貝クラライアが語る海の酸素欠乏も、この陸上の超高温と密接に関係しているとする説が注目されている。

この大量絶滅に関する詳しいメカニズムを知るためには、もう数ピースほどのパズルを拾い集めなければならないが、それは後述させていただく。そして、シベリアの巨大噴火のいわば「残り火」が現在の地球に残っている、という仮説をご紹介したい。

2億5000万年前の噴火の残り火だと考えられているのは、北大西洋、アイスランドの火山群である。シベリアから5000キロ以上も離れた火山がなぜ「残り火」なのか。

ここでPT境界当時の大陸の配置を詳しく見ていこう(※写真参照)。超大陸パンゲアと、その周囲を取り囲む超海洋パンサラサ。このようにすべての大陸がほぼ一つにまとまったのは、過去6億億年に及ぶ顕生代ではペルム紀しかない。

ちなみにクラライアが発見された煤山は、この当時、超大陸パンゲアの東、古テチス海と呼ばれる海を挟んで反対側の赤道付近の陸塊の浅瀬に位置していた。南アフリカのカルー盆地は南緯約40度、ゴンドワナランドと呼ばれる地域の内陸にあった。そして巨大噴火を起こしたシベリアは、図で示した北緯70度あたりである。

さて、その後の大陸移動によって、シベリアは北極を反時計回り(東方向)に移動して行くことになった。ところが、大陸移動の最中、噴火のエネルギー源となった地下のホットスポット(マントルの深部を起点とする高温の熱源)は同じ位置にとどまる。

つまり、見かけ上は、ホットスポットの位置が大陸に対してゆっくりと移動していくことになるのである。

そして現在、そのホットスポットの真上に位置するのがアイスランドの火山群(※リンク先写真中)
ではないかというのだ。

※参考文献・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


発見された大変動の痕跡(4)

2008年03月23日 | Weblog

しかし、一つはっきりしていることがある。

200万立方キロメートルを上回ると見積もられている膨大な溶岩の量だ。シベリアの噴火からはは炭素の重量に換算して、1万1000ギガトンの二酸化炭素が放出されたと計算されたのである。

これは現在の大気に含まれる二酸化炭素のおよそ15倍の量、20世紀最大の火山噴火といわれるフィリピンのピナツボ火山の噴火(※写真参照・1991年)で放出された二酸化炭素の50万倍にあたる。

これだけの「温室効果ガス」が大気に放出されると、地球は最大で4~5℃程度の温暖に見舞われたであろうと推測される。これが地球上の生物を絶滅に追い込む「引き金」となったと考えられるのだ。

当然、二酸化炭素以外の火山ガスも大量に放出されたであろう。中でも二酸化硫黄ガスは生命にとって有毒であり、脅威となったはずだ。さらに上空で水蒸気と反応して亜硫酸となり、地球規模の酸性雨を降らせた可能性もある。

これは植物の多くに打撃を与える。植物が枯れると、空気中の二酸化炭素を吸収しきれずに「炭素サイクル」が機能不全に陥る。温暖化が進むと、海や川、湖から発生する水蒸気量も増える。この水蒸気も二酸化炭素を凌ぐほどの温室効果をもたらす。

シベリアの巨大噴火をきっかけに温暖化が始まると、そこから地球はドミノ倒しのように、さらなる温暖化に突き進んでいった可能性があるのである。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

発見された大変動の痕跡(3)

2008年03月23日 | Weblog

大量絶滅の「引き金」

2億5000万年前のある日、噴火は西シベリア北部のどこかで突然始まった。当時西シベリアには1000メートル級の山地が連なっていたという。その谷間に亀裂が走り、割れ目噴火が始まったのである。

現在でも確認できる割れ目噴火はハワイ(※写真上)アイスランド(※写真中)であるが、シベリア洪水玄武岩の噴火は、その規模がまるで違った。溶岩のカーテンの高さはじつに2000メートルから3000メートル。割れ目の長さは50キロメートルにも達したというのである(※イメージ・写真下)

現在のハワイなどで見られる割れ目噴火の規模の約10倍、文字通り桁違いだ。一つの割れ目から始まった噴火はやがて無数の割れ目噴火としてひろがり、大地を真っ赤な溶岩流で埋め尽くしていったと考えられる。

玄武岩の噴火は、溶岩の粘性が低いため、それほど爆発的ではないといわれるが、シベリアの噴火が実際どうであったかは、まだはっきりと分かっていないらしい。
少なくとも溶岩が川や湖に出会い、周囲の地面もろとも吹き飛ばす大規模な水蒸気爆発が起きていたことや、当時は豊かな森であったシベリアに激しい森林火災をもたらし、熱風による竜巻が起きていたと考えられている。

一つの割れ目から噴火がどれほどの時間続いたのかもまだよくわかってない。現在は数ヶ月から10年程度の期間続いては休止し、それからまた噴火が起こっただろうと考えられている。また、シベリア全体の火山活動期間についても60万年から100万年までの期間続いたとされ、まだ絞り込めてはないようだ。

※参考文献・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

発見された大変動の痕跡(2)

2008年03月23日 | Weblog


噴火の規模はもっと巨大だった


2002年6月、サイエンス誌に掲載された一つの論文が世界中の大量絶滅研究者たちの度肝を抜いた。シベリア洪水玄武岩の広がりが、それまで考えられていた面積の2倍以上に達することが証明されたのである。

2倍以上ともなると、オーストラリア大陸の面積の半分を上回ることになる。巨大噴火の痕跡の残り半分いったいどこに隠されていたのか。

きっかけはロシアの石油会社が長年行っていたボーリング調査であった。西シベリア低地のボーリング調査の際、石油の層の下に2キロ余りにのぼる分厚い岩盤も一緒に発掘されてたのである。イギリスとロシアの共同研究チームによる調査の結果、中央シベリア高原の玄武岩と組成や、作られた年代が同じであることが分かったのだ。

さらに詳しく調査が進むにつれて、
※写真内の点線に示されるようなシベリア洪水玄武岩の広がりの全容が明らかになったのである

2億5000万年前の巨大噴火で噴出した溶岩の推定量は、これまでの予想を2~3倍上回ることになった。

※画像出典
http://www.solcomhouse.com/siberiantraps.htm
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


発見された大変動の痕跡(1+)

2008年03月23日 | Weblog

繰り返された大噴火


シベリア洪水玄武岩によって出来上がった巨大な高原は、その後気の遠くなるような時間をかけて侵食され、やがて現在のような姿へと形作られた(※写真参照)

写真を良く見てみると、斜面にはうっすらと水平の線がついている。岩石層が幾重にも水平に重なった不思議な構造をしている。それは、洪水のように流れる溶岩が、幾重にも、流れては固まり、また流れては固まり・・・これを何回もくり返ししてできたものなのだ。

一つの層の厚さは数メートルから数十メートル。少なくとも45層の重なりが確認されてるというが、実際の層の重なりがどれほどになるのかは誰にも分からない。

英語圏の研究者はシベリア洪水玄武岩のことを「Siverian Traps(サイベリアン・トラップス)」と呼ぶ。このトラップは、飛行機のタラップ(オランダ語)と語源が同じで「階段」を意味する。段々の重なりがそう呼ばせるきっかけとなったらしい。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

発見された大変動の痕跡(1)

2008年03月22日 | Weblog

※粘性の低い溶岩が何層にも重なって形成された中央シベリア高原。溶岩の高さは数千メートルに達する。


シベリア洪水玄武岩

中央シベリア高原は、北極圏から北緯50度のバイカル湖付近にまでひろがる世界有数の高原である。体積は約200万平方キロメートル。その玄武岩の塊の面積は日本の5倍あまりとされてきた。

高原を形成しているのは玄武岩と呼ばれる岩石である。最大で3700メートルの厚さをもつことが確認されている。じつは、この広大さと分厚さ誇る玄武岩の巨大な岩塊がすべて同じ火山噴火によって噴出した溶岩らしいのだ。

繰り返すが、日本の面積の5倍もの広がりである。

専門家達はこの巨大な岩塊を「シベリア洪水玄武岩」と呼ぶ。「洪水」と付くのは、玄武岩が噴出時には極めて粘性の低い溶岩であり、噴火口からあふれ出すと、まるで洪水のように広範囲にひろがるからである。

専門家がこの極北の地域に注目するようになった理由は、その玄武岩がおよそ2億5000万年前、すなわちPT境界の大量絶滅の年代に極めて近いことが分かってきたからである。シベリア洪水玄武岩の解析にはさまざまな研究チームがアルゴン・アルゴン法やウラン・鉛法という解析方法を用いて年代の特定を進め、いずれも約2億5000万年前に形成されたものだと結論付けたのだ。

史上最大の生物絶滅事件、そしてそれと同時期に起きた史上最大の火山噴火。科学者たちはこれを単なる偶然とは決して考えない。ある絶滅研究者は、「因果関係の追究を重んずる現代科学は、偶然として片付けることを本能的に嫌う」と語った。必ず関係があるだろうというのである。

しかし、これを直感が導き出した単なる推測と片付けることはできない。両者とも「史上最大」と形容される非常にまれなイベントである。その2つが、互いに関係なく独自の理由によってほぼ同時に起こることなど、確率的に考えればほとんどありえないからである。

しかしもちろん、世界の研究者たちが、この因果関係を科学的に立証することを怠っているわけではない。現在、多くの研究者たちが、シベリアの巨大噴火を仮の起点とし、他の現場データとつなぎ合わせることで、大量絶滅の全シナリオを組み立てようと必死なのだ。その詳しい内容は後述するとして、これが実を結べば、逆に
シベリアの火山噴火とPT境界の大量絶滅の因果関係が確かなものに近づくことになる。


※PT境界の大量絶滅の原因については隕石衝突説や他の諸説について、さまざまな科学的調査に基づいた説が研究者から提唱されております。ブログ主としましては、決して他の説を否定することはいたしません。大量絶滅の原因の可能性は他にも「可能性としてはありうる」からです。しかしここでは敢えてシベリアの火山噴火説を仮の起点(中心)として、原因を追究させていただくことに致します。この点は皆様にのご理解をいただき、そして読み進めて頂ければと思っております。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


地球が「95%死んだ」とき(8)

2008年03月22日 | Weblog

カルー盆地は当時も陸上であったにもかかわらず、なぜ地層が極めて綺麗に堆積したのか。海でもないのに地層が重なった最大の理由は、世界最大級の大河の存在である。季節の変わり目などに起こる定期的な氾濫のたびに、大量の土砂が積み重なったのだ。カルーにPT境界層が存在する理由もこのためである。


陸は超高温にさらされた?

カルーのPT境界層はひと目でその色の違いが分かる。何しろ上下で地層の色がまったく違うのだ。下は緑がかった灰色。上は赤っぽい茶色。実に不思議である(※写真上参照) 緑がかった灰色の層はペルム紀末の地層で、哺乳類型爬虫類をはじめ、たくさんの化石が見つかる。その上の赤茶色の層が三畳紀初期の地層である。この地層からは何も見つからないのである。ゆえに三畳紀初期のこの地層は「デッド・ゾーン」と呼ばれている。

さて、色の違いの理由であるが、温度と湿度の違いらしい。ペルム紀の地層の色は、当時の環境が気温、湿度ともに適度に保たれていたことを示している。しかし三畳紀に入ると、温度が急激に上昇し、乾燥化が進んだため、堆積物の中に含まれる鉄分の酸化度合いに変化が起きた。その結果、地層の色が変わったのである。

地層の分析から超高温化は1万年~5万年のあいだに一気に起こったため、大量絶滅の最大の原因になったと考えられるのである。地質学の世界で言えば、これも一瞬、つまり壊滅的な出来事だったというのである。

この超高温化は、当時カルー盆地を流れていた世界最大級の大河が、三畳紀に入るとすっかり消えてしまった事実とも符合するという。カルー盆地に堆積している土砂の粒の大きさの分析などから、PT境界の前後で巨大な曲がりくねった大河が細い網目状の小さな川に変わったことが確認されたからだ。 その原因として考えられるのは、超高温化のために植物が枯れ果て、根が地面に張り巡らされなくなった結果、土地の保水力が低下したためだと考えられる。

やはりPT境界をまたいで、環境は劇的に変化したのだ。

しかし興味深い化石が三畳紀中期~後期の地層から見つかる。なんと一部の哺乳類型爬虫類は地面に穴を掘って、この超高温期をしのいでいたような痕跡があったのだ(居穴の奥から化石が発見された)PT境界を何とか生き残った哺乳類型爬虫類は、その多くが「居穴性」を持っていたようなのである。代表的なものがリストロサウルス(※写真下)である。

ただし、その能力が直接、環境の超高温化から逃れるのに役に立ったかどうか、それはまだはっきりしないという。

それまで順調に見えていた哺乳類型爬虫類の進化はPTの大量絶滅で絶ち切られ、私たちへとつながる道のりには大きな関門が立ちはだかった。

そして、それから2000万年後、三畳紀の後期に入ると、哺乳類型爬虫類に代わって陸上に君臨する大型動物が、突然現れる。この後、1億6000万年にわたって続くことになる恐竜の時代の始まりである。

私たちの祖先が再び地上の支配者としてカムバックするには、KT境界で、直径10キロメートルの隕石衝突が起きるまで待たなければならなかったのだ。

ともあれ、まず片づけなければならないのは、何といっても絶滅を引き起こした原因の特定だろう。もちろん、PT境界での大量絶滅の原因については諸説粉々、百家争鳴の状態であることはすでに述べた。

しかし、こうしたなか、一つの興味深い説が浮上する。PT絶滅の原因を探る研究者たちが現在注目している場所が、
北極圏に存在するらしいのである。


         <地球が「95%死んだ」とき・完>


※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送
出版協会・2004

地球が「95%死んだ」とき(7)

2008年03月21日 | Weblog

盤竜目が繁栄したおよそ2億9000万年前の地球上の陸地は、超大陸パンゲアと呼ばれるただ一つの地塊にまとまっていた。(※写真上参照)その頃カルー盆地は大陸の奥地にあり、緯度は南極点の近くだったため、分厚い氷河に覆われていた。地球全体が、とても寒かった時期である。

こうしたなか、最初の哺乳類型爬虫類である盤竜目は、当時の赤道付近で暮らしていたことが分かっている。今の米・テキサス州やヨーロッパあたりである。特にテキサス周辺からはたくさんの盤竜目の化石が発見されている。

当時繁栄した
ディメトロドン(※写真下参照)と呼ばれる種類は、体長が最大で3メートルほどで、4本の脚の付き方はワニそっくりである。肘が横に張り出し、腹ばいの姿勢をしているのだ。まだまだ哺乳類とは縁遠いといわざるをえない。

背中の「帆」は日光で体を温めるために役立ったらしい。つまり、当時の哺乳類の祖先は、まだ自分で体温を維持できない
変温動物だったと考えられている。しかし、その姿とは裏腹に、解剖学的な特徴は、一般の爬虫類よりもはるかに人間に近いというから驚きである。

このディメトロドンに代表される盤竜目は、原因は定かではないが、ペルム紀中期頃からその数を減らし、2億6000万年頃のペルム紀後期に入ると地上から姿を消してしまった。

それと入れ替わるように現れたのが、哺乳類型爬虫類のもうひとつのグループ、
獣弓目(※リンク先参照)である。もっとも獣弓目は、盤竜目から枝分かれして進化したと考えられているから、いわば親戚関係にあたるといえる。そして脚の付き方や歯の特徴によって、より「哺乳類型」に近づき、一部の種は恒温化を達成していたのではないかとまで言われている。

ペルム紀後期には、かなり気温も温かくなり、内陸は徐々に乾燥化が進んでいたようだ。その一つの原因は超大陸パンゲアが全体的に北上し、南極点が大陸から外れたためだと考えられる。極点に大陸があった時代、熱を宇宙空間へ放出してしまい、地表の気温は下がっていたのであるが、それがなくなったのである。カルーも南極点近くから南緯40度前後まで北上した。

こうしてこれまで氷河が覆っていたカルー盆地にも、動物が住める環境が整ったのだ。
当時の獣弓目はゴルゴノプス類や、モスコプスが属するディノケファルス類、大きな2本の犬歯を持ったディキノドン類などの多様なグループがあった。そし私たち哺乳類の祖先と考えられる複雑な歯を持ったキノドン類、ペルム紀末に登場している。プロキノスクスはこのキノドン類に属する。

獣弓目には肉食のものも草食のものもいて、あるものは大きく、あるものは素早く動く野獣で、またあるものは小動物であった。この多様な動物たちが、陸上を支配していたのである。

ところが、ペルム紀末にディキノドン類やキノドン類などのわずか一部を残し、どういうわけか、そのすべてが絶滅してしまったのである。

一体何が起きたのか。

ペルム紀末に繁栄を極めた私たち哺乳類の祖先は、突然、生死のがけっぷちに追い込まれることになるのである。

※参考文献 ・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

地球が「95%死んだ」とき(6)

2008年03月21日 | Weblog
※単弓類の頭蓋骨

哺乳類型爬虫類とは何か

哺乳類型爬虫類は、研究者からはシナプシダ(穴がひとつある動物の意)、日本語では単弓類や単弓亜網などと呼ばれている。この名称は、頭蓋骨の眼窩のうしろに、「側頭窓」と呼ばれる穴がひとつだけ開いていることからきている。これは、現生の哺乳類にも受け継がれている特徴でもある。(ただし、眼窩と側頭窓が融合したものも多い)

人間ではこめかみあたりから頬骨の裏を通過するように上下方向に穿(うが)たれている隙間がその穴なのだ。人間は脳が発達したため、穴が脳頭蓋の骨に内側から押され、潰れた形になっているのである。

この側頭窓の存在からも、単弓類がその後の進化で、哺乳類や人間へとつながる動物たちであることがうかがえるのだ。

石炭紀(約3億5000万年前)に入り、一部の四肢動物(両生類)から単弓類(盤竜目→獣弓目→哺乳類)、無弓類(カメとその祖先)、双弓類(トカゲ類/恐竜・翼竜・ワニ→鳥類)へと枝分かれをする。四肢動物が上陸を果たしたのが3億6000万年前だというから、それから5000万年ほどで、哺乳類の祖先は早くも他の動物たちから枝分かれし、独自の道を歩み始めたことになる。

石炭紀が終わり、ペルム紀に入った約3億年前
、単弓類の中で一番最初に出現した盤竜目はすべての四肢動物のうち、7~8割までを占めるほど繁栄したという。とはいえ、その頃の私たちの祖先の身体的特徴は、どう見てもまだ爬虫類だったわけで、よって分類学上も爬虫類の一種とされていたのだ。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

地球が「95%死んだ」とき(5)

2008年03月20日 | Weblog

※代表的な哺乳類型爬虫類(獣弓目)

哺乳類の祖先の楽園

南アフリカのカルー盆地にはペルム紀から三畳紀にかけての動物の化石が実に2億体以上も眠っている。そして、その動物化石のほとんどが、私たち哺乳類の祖先にあたる動物たちなのである。ペルム紀の陸上世界、そこは哺乳類の祖先が支配していた世界だったのだ。

これらの動物は
哺乳類型爬虫類と呼ばれている。哺乳類の姿に良く似た爬虫類という意味だが、みんなわれわれ哺乳類の祖先である。恐竜が出現するはるか昔、カルーには私たちの祖先の楽園があったのである。

当時のカルーはミシシッピ川クラス(流域面積は日本の8.6倍)の豊かな大河の周りに、広大な森林がひろがっていたらしい。森の木々は、現在のシダ植物や裸子植物などの仲間であるが、高さ10メートル以上になることも珍しくなかった。そして、大河の支流の水辺などを中心に、大小さまざまな動物が暮らしていた。両生類や一般の爬虫類もいたが、その大半が哺乳類型爬虫類である。

丸く大きな頭を持つのがモスコプス(草食)、当時の百獣の王が巨大な牙を持ったゴルゴノプス(肉食)である。こうした哺乳類型爬虫類は、卵によって子孫を増やしたと考えられている。一方哺乳類型爬虫類のかたわらには、まるでトカゲのような小動物も暮らしていた。じつは恐竜の祖先にあたる動物である。しかしこの頃は、その後地球に君臨することになる片鱗などは、まだまったく見られないほどの小さな存在であった。

ペルム紀の哺乳類型爬虫類の中でも、最も系譜上哺乳類に近いと考えられているのが水辺に暮らしていたプロキノスクスである。歯の特徴などが現生の哺乳類に最も類似しているのだ。姿はまるでイタチのようであった。

しかし、PT境界を機に海の中の生物と同様、こうした陸上動物においても、生物種の95%が絶滅していたというのだ。

一体何が起きたというのか。

その前に私たちの祖先である哺乳類型爬虫類とは、そもそもどのように誕生し、進化してきたのだろうか。カルーのPT境界層へ話を進める前に、ここで少しばかり寄り道をさせていただきたい。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


地球が「95%死んだ」とき(4)

2008年03月20日 | Weblog

海から酸素が消えた?


PT境界で生物に何が起きたのか。煤山からは、それを解明するヒントになる特殊な化石が見つかっている。クラライア(※写真)と呼ばれる奇妙な二枚貝だ。

クラライアは、絶滅の直後の地層から見つかる数少ない生物のひとつで、その特異な性質から絶滅が起きた当時の環境が推測できるのである。

クラライアの化石は三畳紀初期の地層からたくさん発見される。直径1センチから2センチほどの円盤状のニ枚貝が重なるように含まれている。目を凝らさなければそれと分からない。

クラライアは紙のように薄い二枚貝で、その薄さのゆえに、海中の酸素が少ない状況でも生きていけたと考えられる。ここでひとつの仮説が生まれた。「絶滅直後の海は、極端な酸素欠乏症に陥っていたのではないか」ということである。もちろん何らかの理由で、偶然捕食者が消え去ったおかげで爆発的に繁栄したとも考えられる。しかし、酸素欠乏については、他のPT境界層でも数々の証拠が見つかり、現在世界でもっとも信頼される説のひとつとなっている。

ペルム紀末の酸素欠乏に関する研究は後に、詳しく述べたい。その前に、PT境界の頃、陸上では何が起きていたのか、海とはまったく異なるその驚くべき絶滅を先に語っておきたいからだ。

そこには、私たち哺乳類の祖先が主役となった、凄まじい「生」と「死」をめぐる格闘の物語があったのだ。

※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004

地球が「95%死んだ」とき(3)

2008年03月19日 | Weblog


研究者のなかにはPT大量絶滅の原因を特定したと確信しているものもいるという。


隕石説や火山説、海の環境の変化などがある。しかし全員が正しいというわけにはいかないのである。じつはすべての出来事が複雑に絡んでいるのかもしれないし、PTの絶滅は煤山のような現場を詳しく見れば見るほど、より多くの疑問が生まれる複雑な出来事だったのである。

米・ワシントン大学のルアン・ベッカー教授は、PT境界層の岩石から宇宙空間にしか存在しないヘリウム3を発見したと発表した(自然界に存在するヘリウムは4)。
そのヘリウム3はフラーレンと呼ばれる炭素分子の「かご」(60個以上の炭素原子がサッカーボール状に結合したもの)の中に閉じ込められ(※写真
、宇宙からやってきた後、2億5000万年間保存されてきたということだ。

これが事実とすると、大量絶滅はすべて地球外起源ではないかとという理論に落ち着くはずである。しかし、他の研究者たちは未だに実際にPT境界線からヘリウム3を検出できてないので、更なる分析が待たれるところなのである。

もしすべての研究者が本物の岩石のみからヘリウム3を発見すればベッカー論文の正しさが裏づけされ、逆にそれ以外の結果ならば否定されることになる。

いずれにしても研究者の中でも意見が分かれる分野の話であるので、これからの調査結果を待ち、結論を出すことしか我々にはできない。

※参考文献・出典
 http://www.washington.edu/newsroom/news/2001archive/02-01archive/k022201.html
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


地球が「95%死んだ」とき(2)

2008年03月18日 | Weblog

※ペルム紀の豊かな生態系の様子

大量絶滅の母

煤山PT境界層の下の部分、つまり古代ペルム紀末の石灰岩の層からは、腕足類や貝類、古生代型アンモナイト、魚類など、浅い海に住んでいたさまざまな生物の化石が発見される。もとより、石灰岩そのものが、生物の遺骸が堆積してできたものだ。

ペルム紀の海の化石を最も多く産する場所は米・テキサス州とニューメキシコ州の州境にあるグアダループ山脈にもあり、ここも世界的に有名である。そこには全長500キロの渡って山地が馬蹄型に連なりウミユリや三葉虫、魚類が「生」を謳歌していた証拠が数多く発見されている。

さて、一方その次の時代、中生代三畳紀に入るとその様子は一変する。煤山でも、PT境界層より上の部分からは、まったくといっていいほど化石は見つからない。

突然「死」の世界となるのだ。

地層の様子も石灰岩とは異なり、泥などが堆積してできた黒っぽい頁岩が主なものとなる。良く観察すると、その頁岩の層には細かい筋が何本も水平に走っている。この泥は静かに海底面に堆積してできたもの、つまりは海底の土砂を攪拌するような生物はまったく見られない、静まり返った海だった何よりの証拠である。

地層を観察してわかるのは、PTの大量絶滅が生態系を完全に破壊するほどの出来事だったということである。これは地球生命史の中で非常に大きな転換点をもたらした事件であった。実際この後の時代には、哺乳類や恐竜など、それ以前とはまったく異なる生物の体系が出現するのである。

PT境界での絶滅事件は「Mother of mass extinctions(大量絶滅の母)」とも呼ばれているのである。

さて、煤山の発掘調査から、100種を越える大小さまざまな生物がPT境界線で一気に絶滅している事実が確認された。つまり、ラウプ博士の計算値が大袈裟なものではなく、実際に90-95%もの種が消え去っていたいたことを示しているのだ。煤山の地層の中では厚さわずか数十センチの出来事である。

また、境界層の前後に位置する火山灰層に含まれるジルコンと呼ばれる鉱物をウラン・鉛法と呼ばれる年代測定法で分析し、
絶滅が起きた年代を2億5140万年プラス・マイナス30万年と特定した。

さらに、絶滅が始まって生物が消えるまでにかかった時間はどんなに長くても50万年、恐らくは15万年以下という。それまでPT絶滅は2000万年もの時間がかかったと信じられていたので、そこから比べるとかなりの短期間までに絞り込んだことになる。海では極めて急激で壊滅的な絶滅が起きたというのが最新の結論である。

ところで、15万年以下というと、以外に長いと思われるかもしれない。しかし、数億年というタイムスケールを扱う地質学の世界では、10万年単位という時間間隔は地層分析の分解能のいわば限界であり、地質学者にとっては一瞬のようなものだという。

それにあくまで「これ以下」という数字であって、実際には数百年で絶滅が完了した可能性さえあるのだ。

尚、最近発見されたグリーンランドのPT境界線の分析も進み、絶滅は長くても1万年から6万年で完了したという発表も学会で報告されている。

※参考文献・出典
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004


地球が「95%死んだ」とき(1)

2008年03月18日 | Weblog


大量絶滅の聖地

中国浙江省長興県煤山(メイシャン)にある石灰岩採掘場が2001年に国際地質科学連合から、ペルム紀と三畳紀の境界を示す世界標準の地層(GSSP=「世界標準模式断面・地点」)として認定を受ける。(※写真最上段。中段はその地層の一部)

世界標準の地層はそれぞれの地質年代に対してひとつだけ認定されるので、認定されればそれだけ世界中の研究者の注目の的となる。

煤山が世界標準として選ばれた理由は、その規模の大きさだけではなかった。PT境界を記録した地層はそもそも世界でも非常にまれなのである。例えば日本にもペルム紀末から三畳紀初期に至る地層があるにはある。しかし、その多くは、年代とともに堆積物が連続的に積もってできたものではないのだ。

一般的に地層は、どの年代でも不連続のものが少なくない。地殻変動による土地の隆起や沈降、海進や海退などによって、記録がとぎれとぎれになっているもの(地質学用語で
「不整合」という)がほとんどだ。

じつは、過去6億年に及ぶ顕生代(古生代・中生代・新生代を合わせた地質年代の総称)の中で、ペルム期末から三畳紀初期にかけての時代が、とくに不連続になっている場合が多いのだという。地層から得られるこうした情報の少なさこそ、PT大量絶滅のメカニズムを探ることを難しくしている大きな要因なのだ。

それにしても、なぜ連続したPT境界層が少ないのか。

その理由はペルム期末にいたる数千万年間に、世界中で海水面が下がり続ける大規模な海退が起き、PT境界直前には顕生代の中でもっとも低くなったことにある。一般的に地層は海や湖などの底に堆積した土砂などによって形成される。ところが、PT境界では、それまで順調に堆積物が蓄積していた浅瀬などが、海退によって次々と陸地と化し、地層の形成がストップしてしまったのである。

では、なぜペルム紀に大規模な海退が起きたのか。

それはペルム紀にすべての大陸が集合し、パンゲア(※写真下段)と呼ばれる超大陸が出現したことと深い関係があるという。そして、この超大陸パンゲアの出現こそが、大量絶滅の根本原因を探る鍵になるのではないかと注目を集めているのである。このことは後に詳しく述べる。その前に煤山の調査で明らかになった海の生物の大量絶滅の実態を見ることにする。

※写真・データ出典
 
http://www-personal.une.edu.au/~imetcal2/PTBound.html
 http://www1.tecnet.or.jp/lecture/index.html
※参考文献
 NHK地球大進化プロジェクト・地球大進化・日本放送出版協会・2004