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諏訪大社の謎(8)

2007-05-26 22:34:56 | 諏訪大社の謎
諏訪大社上社本宮と秩父神社(5)

「千引の石」(ちびきのいわ)とは何か?

『古事記(上)全訳注』(次田真幸 講談社学術文庫)の現代語訳でこの部分は、
そのタケミナカタノ神が、千人引きの大岩を手の先に差し上げてやって来て
となっている。

健御雷神(たけみかづちのかみ)に力競べを申し込んだくらいであるから、健御名方神(たけみなかたのかみ)は怪力であったのであろう。千人の人が引くほどの大きな岩を手の先に差し上げるくらいだから巨大でもある。

「ちびきのいわ」が大岩であることは間違いないだろう。それはいい。だが、それだけなのか?

ところで『古事記』では別の場面にも「千引の石」が登場する。それを引用する。
最後にその妹伊邪那美命、身自ら追ひ来りき。ここに千引の石をその黄泉比良坂に引き塞へて、その石を中に置き、各対ひ立ちて事戸を度す時、伊邪那美命言さく、「愛しき我がなせの命かくせば、汝の国の人草、一日に千頭絞り殺さむ」とまをしき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「愛しき我が汝妹の命、汝然せば、吾一日に千五百の産屋立てむ」とのりたまひき。是をもちて一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるるなり。

イザナキノミコトが死んだ妻イザナミノミコトを黄泉の国から連れ戻そうとしたとき、妻に自分の姿を見てはいけないと言われたのに、約束を破って見てしまった。女神の変わり果てた姿に驚いて逃げ出したが、怒ったイザナミは追いかけてきて、黄泉の国と現世の境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)で夫婦は離別した。

このとき、現世と黄泉の国の境界に「千引の石」が置かれている。黄泉の国の人となったイザナミがこの岩から先の現世に来られないような境界線の役割を果たしたのだろう。

引き続き『古事記』から引用。
 かれ、その伊邪那美命を号けて黄泉津大神と謂ふ。また云はく、その追ひしきしをもちて、道敷大神と号くといふ。またその黄泉の坂に塞りし石は、道返之大神と号け、また黄泉戸に塞ります大神とも謂ふ。かれ、その謂はゆる黄泉比良坂は、今出雲国の伊賦夜坂と謂ふ。

イザナミノミコトが「道敷大神(ちしきのおおかみ)」と名づけられたという。ちなみに、『日本書紀』では、イザナキがイザナミに「これより入ってはならない」と言って投げた履(くつ)が「道敷神」であるという。

それよりもっと興味深いのは、「黄泉の坂に塞りし石」、つまり「千引の石」「道返之大神(ちがえしのおおかみ」であるということだ。

それを考慮すれば、「ちびきのいわ」の「」も「千人の人が引くほどの」という意味だけではなく「」の「ち」の意味も含んでいると考えられるのではないだろうか。

だとすれば、あくまでも推測ではあるが、「千引の石」は「道引の石」ということになり、それを持っている健御名方神も「道の神」の可能性があるのではないか。



(おまけ)
話はずれるが、青森県七戸町(旧天間林村)に、千曳神社(ちびきじんじゃ)という神社がある。

つぼのいしぶみ(ウィキペディア)
青森県東北町の坪(つぼ)という集落の近くに、千曳神社(ちびきじんじゃ)があり、この神社の伝説に千人の人間で石碑をひっぱり、神社の地下に埋めたとするものがあった。このため、明治天皇が東北地方を巡幸する際に(1876年)、この神社の地下を発掘するように命令が政府から下った。神社の周囲はすっかり地面が掘られてしまったが、石を発掘することはできなかった。

1949年6 月、東北町の千曳神社の近くにある千曳集落の川村種吉は、千曳集落と石文(いしぶみ)集落の間の谷底に落ちていた巨石を、伝説を確かめてみようと大人数でひっくり返してみると、汚れてはいるものの、石の地面に埋まっていたところの面にははっきりと「日本中央」という文面が彫られていたという。

日本中央」というのは何を意味するのだろう。現存する石碑が本物かどうかも怪しいが、伝説の巨石について言えば、それの果たす役割は「境界」としてのものだろう。「つぼのいしぶみ」が「千引の石」であるならば、蝦夷地を意味する「ひのもと」の中央という意味ではないように思うが、それではどういう意味なのかといえばさっぱりわからない。

(つづく)



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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2010-05-27 05:52:14
自分の故郷のことを検索していたらこのブログを発見し、興味深く読ませていただきました。恥ずかしながら自分の住んで居た場所の伝説等にはすこぶる疎く、千曳神社も訪れた事はありません。しかしこの記事を読んでピンと来た事が幾つかあります。まず「みちのかみ」という住所が付近に存在するという事です。「通常は「道の上」の字を当てますが、「道の神」と同じ音ですね。他にも不可解な地名はいくつか存在するので、そちらも面白い手がかりになるかもしれません。また、千曳より数キロ北は「野辺地」という場所になり、青森県では津軽と南部の境となり、料理や風土や訛りが変わりますし、電車もバスもなぜかここで一度途切れるように強制的に乗り換えが生じます。境の場所としては非常に納得させられる場所であり頷きながら読んでいました。以上、なにかの参考になれば幸いです。
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